自分のハードル

私はどんなに頑張っても結果を出せず、もがき苦み、最悪は自ら命を絶ってしまった人や世間の評判を気にするあまり、頑張って走っていたが、あるきっかけで、その緊張の糸が切れ、二度と立ち直れず廃人の様になった人を職場でもニュースでも見てきました。今年も真因は定かではありませんが、芸能界でも”まさか、あの人が・・”いう人達が自殺されましたね。俳優さんや女優さんの場合は、一般人とは少し事情が異なるかもしれませんが、”自分が役として演じているイメージやテレビを通じて見せている偽った姿をプライベートまで引きずり、家庭を含め一般人との付き合いの中で、そのギャップに悩む”という事なのかなと想像しています。我々、サラリーマンにも多少はあると思います。芸能人ほどではないですが、外面はありますし、働き盛りの頃はそのまま仕事を家に持ち込み、家族は二の次という事があったと記憶しています。共通しているのは”身の丈に合わない事をしている”という事だと思います。それが”昔は若さで乗り切れていた”という人もいれば、”年齢にかかわらず、ずっとつらいが、せっかく就職できた会社を簡単に辞められないし、多少の無理は仕方がない”という人も居るでしょう。でも、やっぱり、自分に課したハードルが高すぎて、それを超えられない自分を自分で責めている状態だと私は思います。自分はできる、もっとやれる、やらなければならない・・本当でしょうか?私は今は50代ですが、40歳で”自分は大した事ないな”と気づきました。相当、遅いですが、”道を誤った”とも思いました。そこから仕事に関しては”できる事で役に立ち、できない事は人に助けてもらおう”と決めました。”大した事ない人間”が恰好をつけて、仕事ができる様に見せているのは、まるで、不細工な男が一流ブランドで着飾って俳優の様な口調で話している様なもので、それは私ではないと思ったのです。その後、私は人生を楽しむ事を選びました。40歳まで、頑張ってきた・・それこそ、命を削って、気を失いながら走ってきたので、その道の知識や仕事をこなすスキルは確かにあり、そこで培った人脈もあるので、それがあるから、そんな悠長な事を言っていられるんでしょ?と言われるかもしれません。どこかで無理をし、背伸びをしてみなければ、自分の目指す目標やあるべき姿としているモデルが自分の身の丈にあっているかどうかはわからないので、その過程は必要なんだと思います。しかし、命を絶ったり、廃人になる前にどこで咲いて朽ち果てるのが自分にとって幸せなのか?に気づいて欲しいと思います。今、成績で悩んでいる娘や必死で仕事に邁進している妻を見ていて、これを書きたくなったのでちょっと長々と説教くさい文章を書いてしまいました。

ほぼ日刊イトイ新聞:製品戦略

YOUTUBEで2015年ごろにアップされていたGLOBISの動画で当時、東京糸井重里事務所の取締役CFOだった篠田真貴子氏がほぼ日イトイ新聞の製品戦略について語っている動画があります。彼女は小学校1年生~4年生を米国ですごした女性で以下の動画でも語っている通り、お嬢様です。慶応大学卒業後、新生銀行へ就職したのですが、きっとまだ勉強したりない事があったのか、4年で銀行を辞めてペンシルバニア大学でMBA取得、ジョンズ・ホプキンス大学で修士号取得したのち、マッキンゼー等、いくつかの外資企業を経て2008年からつい最近まで東京糸井重里事務所の取締役CFOとして活躍されていました。私から見れば年齢もほぼタメ年の非常に親近感のある才女で、一緒に仕事をしてみたかったと思う女性です。(してくれないでしょうけど)私はこの動画を夕方、晩酌しながらよく見ています。今の自分の悩みに何かヒントがある様に思えて、聞き逃した事はないか?と何度も見ているわけです。興味があるのは、この女性が語る製品戦略です。誤解を恐れずに書けば、わざわざ女性と書いたのは、私は女性教師が教えてくれる事は素直によく聞き、よく頭に入るからです。これは小中学校の頃からそうでした。おばあちゃん先生でも新卒のおねーちゃん先生でも良いのです。この会社にはクリエイティブとか人が喜ぶものだとか面白さという言葉がよく出てきます。本当に人が望むものをとことん掘り下げて製品を生む。クリエータたちは自分の中に色々な視点を持つレビューアーを飼っていて、常に自問自答しながら製品を生み出していくと説明されています。ここが非常に心にささるのです。日頃、人が本当に望む事は何かと本気で考えて製品を企画した事が長い会社生活の中であっただろうか?と自省しますし、明日から何か1つでも人が欲しがるものとういう観点で製品企画をしてみようとやる気が湧いてきます。興味のある方は是非一度、ご覧になってください。

夫婦別室

 物を直角並行に置くのが好きな私と雑然と並べる妻は夫婦になった頃、お互いの美意識の違いでよく揉めました。理由は彼女が私の持っていたマンションに転がり込んできて、それまで保っていた適度な空間を女性らしい大量の物で埋め尽くし、あっという間に満杯にしてしまった事、それだけならば、まだしも、雑然と置いて無駄に場所をとっている事、明らかに使わないものをいつまでも片付けない事にありました。マンションの頃は娘も、まだ、生まれていなかったし、若かった事もあって、寝室も一緒、生活スペースも一緒、全ての空間を共有していた為、この美的感覚が大きく違うというのは正直、困った問題でした。一方、妻から見れば、埃が溜まっている部屋や机でも平気な私の感覚が信じられないという事で彼女は彼女なりに私に不満があったと思います。この一戸建てを買ってから私たちは別々の部屋を持つ事ができました。まぁマンションの頃でも、部屋を別にしようと思えばできたのですが、まだ、若かった彼女の神経を逆なでする結果になり、それはできない年齢であったと言えます。しかし、もう結婚して15年以上経過した現在はお互い会社から帰る時間が違った時期もあり、寝室+書斎をセットにした個室で分けました。そして、埃が気になるという割には掃除機をかけたり拭き掃除をするのが億劫そうな彼女に代わって私がリビングの掃除をする事にしました。うちにはリビングに可愛い猫を2匹飼っているので、彼らの毛は散るし、猫砂は散乱するし、餌も食べこぼすので、絶対に小まめな掃除が不可欠なのです。掃除はやらされ感でやるとストレスが溜まりますが、私は決して嫌いではないので、この役割分担の方が上手くいきます。しかも書斎や寝室を分けた事はセックスレスに近い夫婦生活にはなったものの、個室を与えられた子供の様にあれやこれやと自室を自分の好みでアレンジする事や模様替えする事ができ楽しいし、長い夫婦生活を考えるとこれで良かったのだと思っています。要するに共有する空間が広くなるほど、お互いの好みで主張をし合い、結果として、必ず、一方が妥協しなければならない状況も増えるので、それは、もう中年夫婦にはストレスになるだけです。それよりは夫婦であってもプライベートな空間を持っている事で自分に合わない相手の空間を共有せず、どんなに散らかっていても見なくて済むならばそれに越した事はありません。ただし、快適だからと言って家庭内離婚をしているわけではないのだから、自室に引き籠ってばかりではなく、リビングや外出で妻や娘と過ごす時間も意識的にきちんと取る様に心がける様にしています。

Macintoshというコンピュータ

 私は2006年にAppleがPower PCからIntelのプロセッサに完全シフトして以来、Mac OSだけではなく、BootcampでWindows OSも載せられる様になった事でMacintoshというWindows PCとは一線を画した個性あるコンピュータは無くなったと思いました。私は2005年ごろまでPowerbook G4を愛用しており、Windows版とは見てくれの違うPower Macでしか動作しないMac版Officeを使っている事やそこに美しいフォントが揃っている事等、自分はMacintoshという人とは違うコンピュータを持っていて、それを仕事にも趣味にも使っているんだという自負がありました。私は人があまり持っていないものを持ち、それを実用的に使いこなしたいという拘りが強い人間です。今の様に情報セキュリティがうるさくなく、個人のLaptopを会社に持ち込んで仕事をして良かった時代は大半がWindows PCで仕事をしている職場で本体はスタイリッシュでマウス1つとっても美しいフォルムを持つMacintoshで仕事をしている自分をクールだと思っていたし、それもモチベーションの1つになっていました。そのMacintoshにWindowsが載せる事ができ、画面はWindowsのDesktopと何ら変わらない、Windowsのアプリもそのまま動くとなってしまうとそれはもはやMacintoshではなく、Windows PCじゃないか?と感じる様になってきました。もちろん、Mac OSは引き続きリリースされ、Mac OSで動かしている限りはそれは誰が見てもMacintoshであり、Mac版Officeもあの美しいフォントも健在なのですが、でもそれありきではなく、”Windows PCにも私はなれます”と言われた途端、何か自分の彼女だった女性が自分だけのものではなくなり、みんなが愛でる事のできるアイドルや女優になってしまった様な感じだったのです。今までは清楚で奥ゆかしかった女性が急に派手なメイクを覚え、衣装を身にまとい、万人に愛される様になった。そんな感じもありました。そして、あれから、もう14年が過ぎました。もちろん、これは私の受けた印象であって、Macファンの誰もがそうは感じなかったと思います。Intel プロセッサに乗り換えたことで性能は各段に向上し、できる事も増え、時代に取り残されずに済んだのだから、良かったじゃないかと思った人も多いでしょう。しかし、ついに2020年内にAppleシリコンが搭載された新型Macがリリースされ、そこから2年間でIntelプロセッサとはお別れするというニュースが入ってきました。Bootcampはサポートされておらず、Windowsを載せる事はできなくなります。再びAppleシリコンでしか動作しないMac専用のソフトも逐次増えてくるだろうし、それが熟した頃にはハードとソフト一体で真にMacintoshと呼んでも差支えのないWindows PCとは一線を画したマシンが生まれる事でしょう。このニュースを知るまで、私はMacbook Pro 16″かiMac 27″かを近々、購入しようとしていました。しかし、私は買うのを止めました。私が本当に欲しいのはMacintoshという事に気づいたからです。今から非常にワクワクしています。

Windows 10 クリーンインストール

 現在、私はDellのLaptop PCでInspiron 5390を使用していますが、Macを使っていた頃のLogic Pro Xは音楽制作ソフトとしては使えない為、Cubase LE AI Elements 10という最も安いバージョンをインストールしています。しかし、Logic Pro Xで慣れていたせいもあり、どうにも使い辛く最近では何だか動作も重くなってきた為、それがMacに戻りたいという動機の1つになっています。第8世代のCore i7-8565Uプロセッサ,SSD :512GB , メモリ8GBでそれなりのマシンなのですが、Cubaseを使うにはメモリが不足しているのかもしれません。それで今日は市内のPCデポにMacを触りに行くの予定なのですが、それはちょっと置いておいて・・このDell PCもMacではできないVisual Basic(VB)のプログラミングやOfficeとVBの連携あるいはVISIOの作画等には必要なわけで、必要最小限のソフトだけを入れて持ち歩く、モバイルPCとして使おうと、今、Windows 10からのクリーンインストールを試みようとしています。Windows 10はMicrosoftのサイトからダウンロードできて、8GB以上あるUSBやDVDに保存し他のPCへインストールという事が可能なので、早速、USBへ落としました。Windows 10からのクリーンインストールは以下のURLの通り、Dellでも推奨されている復元方法の1つなのですが、要はDell OS Recovery Toolで作成したUSBやDVDに作成したリカバリメディア(昔風に言えば復元ディスク)による復元で、出荷時、プリインストールされていた不要なアプリケーションソフトまで復元されるのは違い、プライマリパーティションをフォーマットして、Windows 10のみをインストールする方法につき、自分の望むアプリケーションだけをカスタムインストールできるというメリットがあります。このPCのディスクの管理を確認してみると、プライマリパーティションはOS : 460GB、WINRETOOLS(回復パーティション): 990MB、Image(回復パーティション): 13.38GB、DELLSUPPORT(回復パーティション): 1.19GB及びEFIシステムパーティション:650MBで構成されていました。不安なのは、このクリーンインストールによってプライマリパーティションのOS以外のデータも完全に消えてしまうではないか?という事。一応、出荷時の状態に戻すリカバリメディアは作っているのですが、クリーンインストールでプライマリパーティションにフォーマットがかかると回復パーティションのデータも消えてしまうのではないか?という事です。万が一、クリーンインストールに失敗したら、出荷時の状態に戻すのに、おそらく、この回復パーティションは必要ではないか?と予想しているのです。もう日曜日も終わろうとしていますので、もうちょっと調べてから来週の土日のTryする事にします。

(参照URL)

https://www.dell.com/community/Windows-10

Macbook Pro 16″とiMac 27″

 色々、調べていくと、リリースされたのは昨年2019年の11月14日でもうすぐ1年経つのですが、最近、Macbook Pro 16″が気になって仕方がありません。Appleの公式サイトにあるモノクロのプロモーションビデオの恰好良さと、このサイズ感が、かつて、巨大Laptopとして発表されたPowerbook G4 17″を彷彿させるものがあり、それしか購買意欲をそそる理由はないかもしれません。重量2㎏で持ち歩くには最適とは言えないこのMacをこれからやろうとしている作曲やデザインに使ってみたいと思うのです。重量2kgもあるLaptopを持ち歩くわけがないのだから、そんなに広い画面でクリエーティブな事をやろうというならばDesktopのiMacの方が安いだろうという意見も聞こえてきそうです。色々なカスタマイズの仕方があると思いますが、SSDを512GBとメモリ16GBに合わせ比較してみる以下の通りで、Macbook Pro 16″の方がiMac 27″よりは高い様です。私は昨年、Macbook Airを使っていたのですが、主にVisual Basicでプログラムができない事を理由にMacbook Airを売ったお金に手出しして今のDell PCを購入しており、これはこれで必要なのですが、どうしてもMacへの愛を断ち切る事ができませんでした。作曲をしようとCubase LEをこのDell PCにインストールしましたが、やはり、直感的に使いにくく、LOGIC PRO Xの方が良いと感じます。さらに、最近、このDellのLaptop PCが動作的に重いと感じる場合があり、とにかく、中身をOfficeとVisioだけにする為に一旦、フォーマットを掛けWindows10からクリーンインストールしようかと考えています。ブログを書いたり、Officeを使ったり、VISIOで作画したり、プログラムを書いたりするのは、持ち歩くのも苦にならないDell PCの方が良いので、それ専用にカスタマイズしようと考えています。どのMacを買うにしても、さすがに昔の様に一括で購入というのは難しそうなので2年の分割が良いかなと思っています。ちょっとYOU TUBEに感化されて、その気になり過ぎ、冷静さを欠いているかもしれないし、Macは冬になると欲しくなるので、一度、頭を冷やして考えたいと思います。

右脳と左脳

 私が高校で理系を選んだ動機は”男は理数系の科目ができる方が印象が良いし、就職の幅も広がる”とか”国語ができる男というのはくるくるメガネをかけた文学青年みたいで恰好が悪い”とか、そういう、幼稚で単純なものだったと思います。それはそうですよね、この前まで中学生だった16歳ですから。しかし、大学、大学院ぐらいまでは、何となく若さで誤魔化せても、いよいよ就職となると、そもそも不向きで恰好つけだった事が徐々に露見しだします。まず、技術系の会社を選んで入社すると、”私は昔からプラモ等を含め、物作りが好きでした”とか”今でも休日には電気工作が趣味です”とか”バイクは乗るのも好きだけど、ばらしてチューンナップし、また組み立てるのが至福の時です”なんて自己紹介する人がたくさんいるわけです。確かに私と同じ様に楽器や作曲が趣味ですという人もいましたが、こっちは生粋のバンド小僧であり、そもそも大学も留年するほど没頭し、趣味のレベルを超えて活動していたわけで、何かちょっと違います。その作詞や作曲が好きっていう右脳派は、おおむね、左脳で物事を突き詰めていく技術系とは真反対にいる人間であって、”どうもこの辺りに機械のトラブルの原因がある気がする”で仕事をされると困るわけです。入社して3年もすれば先輩や上司から”お前がそこまで言うならば根拠を示してみろ”と言われる事がよくあり、時代もあって、1から技術系のお仕事を叩き込まれ、すっかり、染まってしまい現在があります。飯を食う為には仕方がないですもんね。今の若い人の様に簡単に一度決めた会社を辞めて転職するというのが難しい時代で終身雇用が当たり前の時代。且つ、長崎で公務員以外で安定な大企業というのも限られているわけです。従って、右脳を止めて不得意な左脳を使う様な働き方を強いられた為、人より疲れやすい状態だったと思います。僕にも娘がいますが、彼女も含めて若い人に言いたいのは、傷が浅いうちに自分がストレスの溜まりにくい事は何かを見極め、自分に素直になって学校や仕事を選んで欲しいという事です。好きな事になると、なかなか、仕事にするのは難しい面があります。趣味や遊びならば楽しかった事さえ、お金をもらって働く仕事にした途端、こんなはずじゃなかった、思っていた内容と違って厳しい世界だったという事が往々にしてあるからです。だから、少々、自分を奮い立たせて頑張っている様な事でも比較的、これならば我慢できるなというものが良いと思います。勉強をしようとして、まず、机に向かって最初に取り掛かる教科がまさにそれであり、嫌な事に向かうにあたって、比較的、努力の要らない教科を選ぶはずなんです。僕の場合、数学は得意な教科だったので別にして、絶対に物理が最初に来ることはなく、大抵、英語か国語だったと思います。なのに電気工学を選択するってやっぱりおかしいわけです。しかも僕の大学の二次試験は電気工学を希望しているのに、数学、化学、英語という選択ができたのです。たいていの人は英語が嫌いなので、数学、化学、物理で受験します。どう考えても理学部か薬学部の選択です。確かに化学は面白いと思いました。でも物理や地学が面白いと思った事は一度もありません。当時はエレクトロニクスブームで電気、電子工学の偏差値が工学部の中で最も高かったという事もあり、ここでも変なプライドが働いてこの学科を選択しています。だけど、やはり、向かなかった。入学したら、教養学部の間はすごく優秀だったけれど、専門教科が始まる2年生になると全く、面白みを感じず、ストレスに満ちた学生生活となり、右脳が使えるバンド活動を優先した結果、留年です。大学を留年したのに、留年生の合格点は一般の4年生よりも高いというペナルティが課せられると聞き、これで合格したらレジェンドになれるなと思い、未消化の単位を追試でクリアしながらほとんど3カ月間、眠る事なく、死ぬ気で過去問を暗記しまくって試験に臨んだら、合格したのです。大学院は右脳の私に学問をする楽しさを教えてくれました。確かに専門書や論文を読み、実験や解析で結果を出すところまでは、明らかに左脳なのですが、ここから論文を書き、いかにドラマティックな演出でプレゼンができるか?という部分は明らかに右脳の企画力が必要なのです。このステージが非常に楽しいので、ここをモチベーションにして専門書や論文を読むという左脳の活動にも耐える事ができました。まぁあまり書くと自慢話と思われるのは嫌なので、止めますが、自分は直感やフィーリングで判断して上手くいく人は理系ではなく、文系を志して欲しいと思いますし、何でも理詰めでなければ気にくわないという人はやはり理系だと思います。その自分に持って生まれた特性に素直に向き合って欲しいというお話でした。

作曲

 私は大学時代ですらWindowsがまだ存在しなかった世代で当時は今のマウス操作でアイコンをクリックするスタイルのパソコンはMacのみでした。Winodws系のPCは当時、MS-DOSというOSにコマンドを入力して、アプリケーションソフトを起動したり、BASICと呼ばれる言語でプログラムを書いたりという事ぐらいしかできず、 音楽を制作したり、絵を描いたりといういわゆる、アートに使うには難がありました。話はさらに相当、遡るのですが、私は中一からギターを弾き始め、既にバンドの真似事の様な事はやっており、作曲もしていました。高校~大学にかけては、ほとんどのプライベートな時間はバンドと楽曲作りに費やしていて、当時はMac等、買えるはずもなく、個人向けのレコーディングスタジオは長崎にはなかったので、楽曲を個人で作る設備がありません。従って、カセットテープ(これも昭和であり、今でいうCDやDVDメディア)に録音して、そのデモテープをバンドの練習にもっていき、その場でメンバーと一緒にアレンジして一発取りで再度、録音し、完成させる方法でした。おそらく、個人がPC上で作曲できるソフト(Desktop Music:DTM)の元祖は1989年にNEC製PC-9801向けにRoland社から発売された”みゅーじくん”だと思います。Mac向けのDTMはやはり少し早かった様で、Mark of the Union社から1985年のリリースされたPerformerという初のMIDIシーケンサソフトがある様です。1980年代と言えば日本でMacを買おうものならば、一式で100万円を超える値段でしたから、10万円程度で買えたこのみゅーじくんは決して安価ではないけれども、音楽制作者にとっては画期的な製品だったと思います。その後、私が思うに主流になったのは、Windows系ではCubase、MacではLogic Pro、あるいは、Logic Proの一部の機能が無料で使えるGarage Bandかなと思います。私は最近までMacbook Airを使っていたのでLogic Pro Xだったのですが、プログラム作成にMacは向かないのでWindows 10を搭載したDellのPCに変え、DTMはCubase LEを使っています。使っていますと書いていますが、実は、昨年、Dell PCに変えてから、はまって作曲をしていないので、ギターを弾き、ドラムをチョット手入力して試し撮りした程度です。長年、Logic pro Xを使っていた為、Cubaseに馴染めず、情けない事に気力が萎えてしまい作曲まで行きつかない感じです。30代の頃、何故、50代が新しい会社設備やソフトが導入されるたびに1人、2人と会社を辞めていくのか?と冷ややかな目で見ていましたが、この歳になって漸く、わかった気がします。好きでやっている趣味ですら新しいものを覚えるのは大変なのに、仕事ならば言わずもがなだったはず。若造がゴールが見えてきた人に対する過酷な押し付けと失礼な指導を当時の先輩方にしてしまったと思います。(ここで詫びても仕方がないのですが・・・)今週末にA5手帳に、やりたい事に対するビジョンを書いていて、長い事、作曲をやっていない事に気づきました。そこで、やっていない理由は怠惰以外、何も理由はなく、一念発起したので、このブログでコミットして、楽曲作りを再開しようと思っています。

依頼と命令

 やや、堅い内容が続きますが、今週は私がこういう内容を書きたいと思える様な事が会社で比較的多くあったので、退屈かもしれませんが、書かせて頂きます。私の職場だけかもしれませんが、最近の上司は頑固さがなく、物分かりが良くなった分、それが”依頼”なのか”命令”なのかよく分からない仕事の振り方をしてきます。最初は”お願いがあるのですが・・”という調子で切り出してきます。その後、やり取りをしていくなかで、この上司は部下である私に丸投げしたいのか?、ある程度、自分の方針に沿って私に案を出して欲しいと言っているのか?、単に自分の命令通りに私に動いて欲しいのか?を判断する事になります。もちろん、お願いがあるのですが・・と前置きがあったのに、何故、命令するのか?なんて野暮な事は言いません。どんな言い方であろうが、サラリーマンの世界では、コンプライアンスを遵守し、社則に従っていれば、どの様に自分の部下を使おうが、それは上司の裁量です。問題は明らかに途中まで丸投げだった癖にある程度、目途がつくと自分の意見を言い出して、こちらの方針をひっくり返してしまう上司がいる事です。おそらくは、この上司は最初、自身の組織に求められているOutputや期待されている成果をイメージできないまま、部下に投げたはずです。つまり先を読む事や具現化が苦手な上司の典型です。ところが受けた部下の方が上司よりも問題を先例に従って類似の事象にあてはめ、ケース分けして対策を打ち出す事が得意な場合、上司はその問題の本質をその段階で理解し、あれやこれやその対策に口を出したくなるという事だと思います。そして、いつの間にか、そのアプローチを、最初から自分1人でやった事の様にクライアントへ提案していると、部下はここで確実にモチベーションが下がります。もし”依頼”ならば”私はこの問題にどうアプローチしたら良いのか分からないので、経験豊富な君のアイデアを今日から一週間後に、いくつか出して欲しいのだが、今、仕事の負荷はどうかな?受けられる状態かな?”という切り出し方をすべきだと私は思います。そして、提案されたら、あくまで、この部下に託したのだから、この部下のアイデアの中からチョイスすべきであって、それを全否定して、自分のアイデアにすり替えるというのは、非常に失礼な話です。それも、悪気なく、そうしている事が多く、それは、もっと、たちが悪いです。クライアントへ提案する場合も必ず、この部下を横に置いて、”彼が考えた案なので詳細のコンセプトについて彼から説明させますが、宜しいでしょうか?”と切り出し、クライアントのリアクションやコメントを記録する役に徹するというのが良いと思います。全てが終わったら、”君のアイデアを先方は大変、気に入っていたよ。ありがとう。助かったよ。”と労う。我々にとっては当たり前の部下とのコミュニケーションが、だんだん、できなくなってきている様で、コンプライアンスに守られている割には、むしろ、上司と部下の関係がぎくしゃくしている様にも見える場合があります。逆に言えば”私はこうやりたいと思っている。全責任を私が取るので、黙ってついてきて欲しい”と宣言して、仕事を割り振るのは”命令”であり、昔はワンマンな上司が多かったので、ほとんど、このパターンでした。この命令の場合、Outputや成果に大きな差を生むのが、日ごろからの信頼関係であり、ほとんどがアフター5で築いていくものでした。信頼関係ができていますから、多少、理不尽な事や前言を撤回する様なチェンジマインドの指示を出されても、耐えられるわけです。一方で、ただ上司だから部下に命令できると勘違いしている人も居たわけで、この場合はちょっと矛盾した事を言うだけで、信頼関係がないですから、重箱の隅をつつく様な揚げ足取りが始まり収集がつかなくなります。何とか、この上司を引きずり降ろして、違うボスを担ぎたいと部下は思っているわけですから、質の高いOutputや成果が期待できるはずはありません。”命令”で、自分の方針通りに部下に動いて欲しいならば、仕事ができるのは当たり前で、それでは不十分であり、どこか人間臭いところを部下に披露し、可愛げがないと上手くいかないというのが何人かの上司に仕えてきて思う事です。おそらく、今の上司は”命令”は成立せず、いかに上手く”依頼”し、気持ちよく仕事をしてもらうか?なのでしょうが・・・それだけだとすれば残念です。

フランクリン手帳

 私は2年ほど前、フランクリン手帳を使っていました。この手帳をご存じの方や実際に使用されている方も多いと思いますが、あの有名なスティーブン・R・コヴィー著 ”7つの習慣”を実践しやすい様な専用リフィルをバインドしたシステム手帳です。7つの習慣については、ここで、細かく説明しませんが、一日の中でも時系列で変化する自分の役割(例えば課長、父親、息子・・)と、それらに関わる人たち(例えば、部下、子供、両親・・)との良好な関係性を維持する為の指南書であり、その良好な関係性を維持しながら、決して1人では達成できない目標や夢をも達成する方法について述べた著書です。この著書には立場による視点の違いや人間関係の構築という点で学ぶ事が多いのですが、手帳で目標や夢を達成するという事を述べているわけでもなく、おそらくはFrankilin Planner Japanが戦略的にこの著書に記載されているワードや思想を巧みに引用したと思える節があります。スターターキッドには自分の価値観のルーツとなっているものを紐解くエクササイズがいくつか仕掛けられており、価値観が明確になったらミッションステートメントを宣言し、そのミッションステートメントを起点に長期目標を立て、それらを達成する為に日々やるべき事をTo Do ListとDaily Scheduleに具体的に明記しフォローしていくというものです。これとは別に一週間コンパスという縦長のリフィルがあり、ここに”どの役割(例えば、息子という立場)において、この1週間、何を目標(両親に優しくする事を目標)として、具体的に何をするか(少なくとも1日30分の会話の時間を設ける)。”を宣言し、別途、実行します。そして翌週には何が問題で実行できなかったのか?を客観的に見て、反省を活かし再計画するというものです。確かに”7つの習慣”のワードや手法が取り入れられ、目先の事ばかりに追われ、長期的にコツコツと実践すべき高い目標を忘れるな!という事をベースにしているのでしょうが、普通にサラリーマンとして、日々、働いていれば、特に責任世代は計画倒れで終わってしまうのではないか?と感じます。この手帳の考案者は普通の多くのサラリーマンが1日の中で仕事や家庭の事以外に、どれだけの時間がさけるのか?という点に関してリサーチ不足だと思います。おそらく、だらっとする時間、ランニング等、体力作りに使う時間そして最もパフォーマンス回復に必要な7時間の睡眠を確保しようとしたら、たぶん2時間あれば良い方です。さらに一週間コンパスには”良い父親になる為に家族との時間を大切にする”なんて宣言しているわけです。仕事の拘束時間が最低8時間あるとすれば、この時間は生活を維持する為に絶対に削れないし、この時間に夢を叶える活動はできません。おそらく、スティーブン博士は”人は夢を叶える方向に向かって日々の仕事をしているし、そうあるべきだ”という思想を持ってこの著書を書いていると理解しています。実に白人らしい発想です。しかし、多くの日本人の場合、夢とかやりたい事は別にあって、それとは別に家庭生活だけは安定させなければならないから、義務的に会社で働いているわけで、自分の価値観に基づくミッションステートメントとサラリーマンとしてのミッションがシンクロする事の方が珍しいと思っています。自分を律する意味で使えるのは1週間コンパスだけ。この手帳に何か書けば夢が叶うとは私は思えず、使う事を辞めました。夢や目標を叶えるには実現に向けてのプロセスが”眠らなくても続けられるし、朝起きた瞬間からワクワクするほど楽しい”か”それを実行しなければ死を覚悟するしかないか”のいずれかであり、手帳はそれが何なのか?を探す為に自分の心を書き出し、整理するツールだと悟りました。つまり、Time Managementなんていらないわけです。