あと一歩の気力

 ザ・シークレットを完読しました。”私は神がたまたま、2020年に50代の人間の男性として具現化しているだけで、神である以上、望んだ物は全て手に入るし、なりたいものにもなれるし、行きたい場所にも自由にいける存在である。”ということが、最後の最後まで色々な表現で繰り返し、書かれていた様に思います。禁煙セラピーを読んだ時の様に途中で洗脳された様に、共感し、そう思いこむ事ができた部分もありましたし、手に入ると信じるだけならば、それくらいは、自分にもできそうだと思いました。そこで、では、一体、何が望みなのか?と考えたところ、お金でも物でもなかったです。私が欲しいものは”何かをやろうとしていることを途中で、決して、萎えて放り出すことにならない様な情熱とか気力”。もっといえば”何かに集中して、空腹も疲労も忘れる様なフロー状態に陥る事”を望んでいると言うのがよくわかりました。いくら時間やお金があっても、それを余すことなく使う為には”情熱や気力”がないと意味がありません。”さぁ、なんでも叶えてやるから、望むもの言ってみろ”と悪魔に囁かれて、”働かなくても済むだけのお金”と答え、ぽんと3億円が手に入ったとしたら、もちろん、同時に膨大な自由時間も手に入ります。その自由時間を与えられて、何をやっても途中で投げ出してしまう様な気力しかなかったら、全く、楽しめないと思うのです。3億円だって、地道に使って行けば、40年くらいは繋ぐことができそうですが、それだって、生活費だけに地道に使う事ができる保証もありません。今は贅沢と感じることにでも、日常的に出費することに慣れてしまう可能性もあります。医者が毎日、お抱え運転手を指名して、2000円払ってタクシー通勤している様な現実は確かにあります。こういうことを考えているうちに、以前とは、考え方が変わりました。必要なお金を稼ぎ、若さを維持する為にも、社会と繋がりを持てる仕事は継続すべきという前提は変えず、仕事以外の時間をいかに楽しめるか?という事を考える方が現実的だと考え直したわけです。そこに不足しているのは、例えば”仕事が終わっても、きちんと2時間は数学の専門書を読むぞ”という目標を達成する為の”気力”でした。朝の筋トレやボイトレ、夕方のランニング、NHKラジオ英語学習、ギターで歌う等は先日ブログに書いた家事と同様、何かやらないと気持ちが悪い、あるいは、サボると何か悪いことが起きそうな罪悪感で継続できているのですが、ギターで歌う以外は”自分のやりたい事”とは言い難い物ばかり。”自分はこうなりたいから、これを毎日、勉強する。あるいは練習する。”というものが私にもいくつかありますが、上記のルーチンをこなせば、あとは”ワインを飲んで、寝るまでのんびりしたい”という事が全てに優先してしまいます。それだけ緊急度がないから、気力も湧いてこないというのもあります。”やりたいんだけど、別にそれができなくても、クビにはならないし、命も取られない。将来を左右し、リミットのある受験の様な目標でもない。”という目標に邁進できる気力が欲しいのです。おそらく、私がやっているルーチンの部分だけでも、毎日継続するのは厳しいという人も居るでしょう。私はあと一歩の気力が欲しいです。これが引き寄せの法則で手に入るならば、このザ・シークレットに書かれている事を実践してみる価値はあると思います。何事にも興味を持ち、前向きで、明日の事など考えず、その時にできる事を一生懸命やれていた、かつての私が持っていたものをただ取り返したいということだけなのですが・・少しワクワクしてきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です