体得した真実

 ネットの時代になったことで手軽に知りたい情報を入手できる様になったことは、本当にありがたい事だし、特に仕事では色々な意味で時短になるケースが多いです。私が就職した1990年代、長崎には、今の様に専門書も売っている様な大型の書店もなく、現在の長崎市立図書館の様に本屋では手に入らない蔵書を保管している様な大きな図書館も存在しなかったため、特に仕事では、何が真実か?を判断することが極めて難しい時代でした。先輩の指導が全てだったと言えます。言っていることが、前回と異なり、おかしいなと思っていても、実績のあるノウハウだとかと、理論はないけど、経験値として正しいということを、受け入れざるを得ないことは、まず、疑って自分で調べる様、指導されてきた大学院卒の私にとっては非常に苦痛でした。かと言って、他の先輩にも確認して確度を真実に近づけていく以外、手段もなく、時間もないわけですから、黙って受け入れて仕事を進めるしかなかったのです。一方で、この上っ面だけ舐めてわかった気になっている自分が許せなかったし、どうにも、消化不良感が残り、次に進めないわけです。しばらくの間、このジレンマのせいで、私はダメ社員の部類にカテゴライズされていたはず。しかし、その後、その究極とも言える海外現地の仕事に配属され、メールやスマホもない時代ですから、先輩の指導すらタイムリーには受けられない状況になり、理論の追求どころではなくなりました。試行錯誤で作って、動かしていく中で、よく状況はわからないけれど、納得行かなかった先輩の指導通りのことが現象として起こり、それを体得していくという事になります。そして、時が立ち、ある程度、スキルが身に付くと、もう、大学院のころの”疑って自分で調べる”という気力すらなくなり、どんどん、理系的なセンスが失われていきました。仕事はできるので問題もなく、吹っ切れたせいで、先輩や上司からの受けも良くなり、だんだん、ダメ社員からできる社員の部類へシフトしていることが所得や昇進で実感できました。ところが、それに甘んじることができない時代に入っていきます。先輩と同じやり方で後輩を指導したり、お客様へ説明したとしても、それが何故か?を逆に追求されるわけです。情報が豊富かつ手軽に入手できる様になった事と、もはや、先輩とか上司に対する畏敬の念がなくなり、フラットな人間関係た多様性が良しとされる時代に変化したことが影響していると個人的には思っています。”とにかく、結果は大昔から明らかなのだから、黙ってやれ”という指導とか、”この部分は当社のスタンダードですし、企業秘密にに近い内容も含まれていて、お教えすることができません。お客様に簡単に説明するというのが難しい状況です”いう説明が通らない。いちいち、根拠や理論を求めてくるわけです。まさに、私の時代が来たと感じました。それを感じ始めたのが、ここ5-6年のことですから、入社して20年以上経過して、漸く、大学院の頃の理屈っぽい自分を出しても、むしろ歓迎される時代になったわけです。今、私は、当時、先輩から教えてもらい体感的に覚えた真実を論文や専門書から理論付けする作業を行なっています。後輩には正しい知識で指導したいと考える様になり、いい時代になったと思っています。

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