使命の本質

このブログについて

 私は若い頃、海外現地で働いていて、どちらかといえば、今の設計職の様に生み出す仕事ではなく、設計から引き取ったものの仕上げを行ってお客さんへ引き渡す仕事に従事してきました。若い頃といっても、まぁ20代から30代までがピークだったので、人にはそう言うのですが、実際、マネージャ時代の仕事を含めれば、20代から40代半ばまで、一貫して海外プロジェクトの主に現地業務に従事していたことになります。長くなるので武勇伝は置いておいて、今日、このブログに書きたかったのは、使命感の話です。

 自分の立場がお客さんや最前線に近くなればなるほど、しっかりと、自分の責任範囲だけを明確に決めて、その範囲にある仕事だけに集中したいというのは、どんな職種も共通している心理だと私は思います。若い頃の私は、まさにそういう思想で凝り固まっており、現場で発生する不具合は、ほとんどが設計ミスか工場での検証不足がきっかけになっていることが多く、それを現場まで流出させた為に起こっている問題に対する責任が我々にあるはずはないと信じていました。だから、答えはわかっていても、何も決断しないという姿勢を徹底的に維持していました。

 しかし、あるとき、日頃、懇意にしてもらい、現場の苦労も共にしてくれていたお客さんから、私が不具合として設計担当に流してしている、いくつかの案件に対して一向に設計方針が出されず、現場が進んでいないことに対して”答えがわかっているのであれば、どうして、教えてあげないのですか?あなたはそれで良いのですか?”と言われました。私は”あぁ、あいつらが(設計者が)サボっているのが、問題なのだから、わかっていても答えは教えないことにしてるんで・・”と答えると、そのお客さんは少し、悲しい顔をさて”一緒に戦っている私が困っていてもですか?”とさらに質問してきました。私はこの時、このお客さんから自分の心の奥底にあるドロドロしたものを見透かされた様な気になり、同時、本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。私がここにいて現場の仕事をしている理由は何か?それは”机上や工場で想定できない様な製品の使い方をお客さんがされることを試運転の中で発見した場合、それを正しく設計へフィードバックし、こうあるべきではないか?という提案をする事”だったのです。

一方、当時の私は設計の合格基準も工場試験の合格基準もクリアして出荷されている良品が現地試運転で想定しなかった動作をした場合、それを”不具合”と言い切り、その原因は”設計や工場の担当がチェックしていないのが悪い”とお客さんに公言していたことになります。なぜ、そんな態度だったのか?それこそが私の本音でありお客さんはそれに気づいて私を諭してくれただと気づきました。その本音は”できるだけ自分の責任範囲を狭め、楽したい”ということ。もし、私が今の自分の様に”この製品をお客さんが使いやすい一番のコンディションを現場で見極め、最終仕上げの為にここにいるのだ。”という自分の使命に誇りを持っていたら、自分に都合の良い責任範囲の解釈で仕事と向き合うことは無かったと思います。私は入社して10年たってようやく、そのことに気づき、考え方をセクショナリズム度外視の全体最適に改めました。その反省によって、今では、あらゆる支援をタイムリーに得ることができる様になり、人間関係も仕事自体もスムースなり、ストレスフリーになりました。あいつは俺の仕事を何も助けてくれない・・違うのです。あなたが何をしてあげたのか?なのです。

投稿者: KAZU

生まれも育ちも長崎で長崎在住のブロガーです。仕事はエンジニアで普通のサラリーマンでブログです。このブログは主に3つのカテゴリーで構成していて1つは仕事術や図解などノウハウブログ、もう1つは自身や目標を立てて取り組んでいる事などを紹介したチャレンジブログ、そして最後は万年筆、Mac、ギターなど私の好きなものを集めたホビーブログです。

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