価値観とは

 あるべき自分の姿や理想的な自分の人生と現状とのギャップを把握し、そのギャップを無くす為に起こすべき行動を決め、日々のルーチンに落とし込み、実行していくというのは、よくある手帳術や時間術などの出てくるお決まりの手法だと思います。これと対比して、”自身に素直になり、やるべき事ではなく、やりたい事を見極め、それを実行すべき”という様なアドバイスもあります。いずれも価値観を明確化するという点は共通するのですが、この”やりたい事”というのは、誤解を招くし、ちょっと違うかもしれないと最近、思う様になりました。人間はそもそも”働かず、楽に生きたい”というのが根底にあり、特に日本人は”食生活が豊かではなく、エネルギーの消費を低くしようとするDNA”があると言われていますから、余計な活動は控え様ということで、一般的に見れば働きもせず”怠惰な方向”が理想となるはずなのです。私もやりたい事は何かと聞かれれば、”好きなオードブルを揃え、ワインを飲んで、ゆっくりくつろぎ、眠くなったら誰に気兼ねする事なく眠る。”、”気分がよくなったら、ギターを弾き語る”と即答すると思います。こういう怠惰な状態を繰り返していることが、本当に自分の理想なのか?と自分に問う事が価値観を明確にする第一歩だと思っています。食欲と睡眠欲は満たされても、おそらく、性欲を満たすことは困難でしょう。性欲というのは風俗では絶対に満たすことはできない、もっと、精神的で愛情の延長線上にある本物の性欲ということにしておきましょう。いくらお金があったとしても、一日中、遊んで暮らしている男を女は信用できないし、体も鍛えておらず、体型もだらしがない為、いざという時に体を張って守ってくれる保証もない。まず、抱かれる気にはならないと思うのです。体ばかりか、使わない頭は確実に悪くなります。限られた世界でしか生きていない引きこもりがちな男は話していても話題に乏しく、退屈です。つまり、男の価値は女に好かれてなんぼというのは、生物学的にも間違っていないと私は思います。つまり、女が魅力的に感じる要素をどれだけ持っているかが男の価値と心得、体を鍛え、勉強をし、その過程で精神力を鍛えていくということ。その一点において、自分はどんな理想的な男になりたいのか?というのが男の価値観だと、最近、気づきました。正直、私は40代でそういう事は終わるのだろうと思っていたのです。50代でそんなことを言っていたら若い人からも異常だと思われはしないか?と心配でした。ですが、やはり、何か事を起こそうする原動力は食欲でも睡眠欲もなく、やはり、性欲だと分かったのです。モテたいと思わなければ、できるだけ楽な仕事で少しの金を稼ぎ、食べて寝ていれば、それで事足ります。じゃあなんで、大企業で重責を負い、会社が終わってからも英語などの勉強で自己研鑽し、太らない様に気をつけてランニングを習慣にするのか?ということを、よくよく自身に問いかけてみれば、それが自分の求める男になる為に不可欠だからという事です。ここでしつこく、男、男と繰り返すのは理由があります。理想の人間になる為というならば、このパワーは出てこないのです。きっとこの世に中性しかおらず、男性と女性の性別のある世界ではなかったならば、ずーっとワインを飲んで歌いながら暮らしているのだろうと思います。本当に好きな事を見つけよう、やっていて楽しい事をやろう。それが理想なんだという人はそれはそれで良いと思います。一時は私もそうでした。もう50代にもなって、無理して努力など、しなくていいじゃないか?と思っていたのです。しかし、今は、まず、自分が魅力のある男になるために何を目標にすれば、その過程の苦労に耐えられるか?を考えてみたいと思っています。その魅力のある男というところは、よくよく考える必要があります。そこに行き着く過程は決して、やりたいことばかりではないと思うからです。

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