創造と仕事の切り替え

 最近、テクニカルな仕事をする機会があって、プライベートでやっている大学の専門学科のやり直しが役立ったのですが、大学院のころには難なくできていた、じっくりと考え、正しく理解するという粘り強さがなくなっていると感じました。大学院の頃は学会の論文締め切りや最後は修士論文の締め切りという比較的、ロングスパンでの期限というものはあるのですが、仕事の様に1週間ベース、数日ベースで期限に追われるというのはありませんでした。だから、落ち着いてじっくり理解するなんて猶予はほとんど与えれることはないない中で長年、今の仕事をやる癖がついており、60%程度、理解した状態、見切り発車し、一応、期限に間に合わせた上で指摘を受けながらでも軌道修正し、先方に迷惑を掛けないというやり方になっていると思っています。大学や大学院を卒業し入ってきたばかりの新人には、自分でわかっているだけに申し訳ないと思いながらも、じっくり考えて過ぎて期限を守らない社員に育てるわけにはいかないので、60%理解したら取り敢えず何かOutputをする様に指導します。ちゃんと理解するまでじっくり考えろとか、これありきでなくあらゆる可能性を検討せよと指導されてきているであろう大学院生には非常に酷なことだと思っています。自分でも感じるのですが、残りの40%は当たっていることもあれば間違っていることもあるわけで、そこをつかれると痛いわけですが、そこを何とかいなさなければ仕事にならない。大抵は時間稼ぎして、先方に少し猶予をもらい、そこだけに集中して短時間で答えを出すということになります。残り40%を全部理解するまで何も発信しないという選択より、相手が求めている部分だけを調べ答える選択の方が理にかなっているし、遥かに効率的です。結局、相手の求めるパーフェクトな回答というのは100%理解することが必須ではないので、一般的な仕事のやり方としては、これが正しいと思います。一方、大学院という場所は、言えば、未解決事案だけを取り扱う研究機関であり、未解決だからこそ、早計な結論を出すのはふさわしくないわけです。あらゆる可能性をじっくりと熟考する必要があり、時間もかけて良いのです。一方で仕事も何か問題を解決するための需要があるからこそ仕事になるわけですが、その内容は仕様として明確な場合が多いです。何かを新しく創造するということは少なく大抵、結論は決まっています。お金を払ってくれる顧客が求める結果を出すためにその仕事をするわけで、顧客の満足する結果を短期かつリーズナブルな価格で出すということに知恵を絞る以外にないです。明らかに研究とは質が違います。ですが、この仕事の中でこれまでの知見では解決できない事案もたまに出てきます。そうなるといきなりアカデミックなことをやることになり、新たな型紙を作らなければなりません。大学院の様な猶予は与えられないにしても、ある程度、ロングスパンで熟考を重ねる事を求められることになります。この切り替えがすごく難しいと最近、思っています。歳を取るとそういう仕事が増えてきます。つまり、経験や持てる知見を一般化して、形にして欲しいというNeedsなのです。私はプログラムを多少かじっていますので、専門家に委託する前にある程度のデモソフトを作って表現できるという強みがあります。仕様書や補足説明だけで伝えきれないところを実際に動きとして見せて発注できるというのは、かなり優位に立てます。だから、何か生み出す仕事を任せられることが、最近は増えてきています。ありがたいのですが、一般の仕事もあるので、この切り替えに悩んでいるというのが実情です。

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