幸福の自覚

一命を取り留める夢や拘束の身から解放される夢を見たことはないでしょうか?最もいずれか、または、その両方を現実に体験された方もおられるでしょうし、軽微な事ならば、それが病気かも知れないし、事故かも知れないし、仕事かも知れませんが、多少は皆さんあると思います。特に夢の場合は、矛盾した特殊なストーリの中で命を取られそうになっている為、こんな事で死んでたまるかという気持ちも一層、強い様で、恥ずかしながら、卑怯な逃げ方や命乞いすらしてでも生き様とする自分を発見することがあります。その助かった時や解放された時の幸福感は何事にも変え難い、何も要らないと思える様な幸福感で心地よい休息と安眠に堕ちていきます。その次が受験し合格した後だと思います。中学や高校を卒業し、高校や大学が決まっている春休みは天国です。私の場合、家の事情もあって、地元に残るしかなく、大学は自身の学力レベルより低い大学だった為、そこまでの喜びはないだろうと思っていたのですが、ここを落ちる様では話にならないという失礼なうがったプレッシャだと思いますが、その様なプレッシャが予想以上にかかっていた様で、とても解放され、嬉しかったのを覚えています。ところが、この幸福感は一命を取り留めた場合も受験に成功した場合も一時の事。あれだけ生きられる事に感謝をし、合格した事に喜んでいた心は、生きられる事や希望の学校に、日々、通える事を日常的な事と勘違いしてしまいます。生かされているとも、通わせてもらっているとも思わなくなるという事です。日常的な事と書きましたが、雨風が凌げる家があり、三度の食事ができて、風呂に毎日入る事ができ、清潔で、好みの服をきる事ができる事だって、日常的ではない人だっていますので、この日常/非日常の定義も人それぞれで違います。大学に通うなんて夢のまた夢という人もいるはずです。私はある時から幸福とは何かを深く考える様になりました。考える様になったとは哲学者の様に深く思考するということではなく、ある時代を思い出し、そこから今の自分を見て幸福な点を考えてみるということです。小学生の自分から見れば、20年前の30代働き盛りで仕事に明け暮れ、最初の妻とは喧嘩ばかりしていた自分の不幸な境遇も、おそらく、幸せに見えるのではないか?と思うのです。冷房もない真夏の熱帯夜にせっかく風呂に入ったのに、汗をかきながら眠りについた時代です。しょっちゅう虫に刺され、かきむしって化膿しており、その化膿した足でドブ川にジャブジャブ入って遊んでいました。トイレはうちは貧乏で汲み取り式でしたが、世間は、やっと水洗になった時代で、ウォシュレットなど当然ありません。冷えた水などなく、水道から水をコップに注いで飲んでいました。たまに買ってもらえる合成着色料たっぷりの炭酸飲料は500mlを3人で分けて飲む。冬は隙間風の入る様な家でストーブとこたつ。朝、着替える時には、こぞってストーブの前を奪い合うような状態。ストーブの上にはスウィートポテトのケーキやフレンチフライではなく、買ってきた芋がそのままストーブで焼かれており、加湿器はストーブの上のヤカンでした。スナック菓子はありましたが、ポテトチップスは私が6年生のころに出てきたぐらいで、その前は、ほぼ、小麦粉やとうもろこしを主原料にしたもの。アイスは濃厚な味がするのはバニラかチョコアイスぐらいで、ほぼ、かき氷状のもの。遊びは主に外でスポーツであり、ソフトボール、サッカー、バットベース、陣取り、馬乗り、Sけん、ケイドロ、コマ、メンコ、ビー玉・・このあたりが定番。家の中のゲームはトランプ、将棋、ボードゲームです。これが1970年代の長崎です。そこからわずか30年後の30代の私はすでに2800万円で購入したマンションに住み、携帯電話やパソコンを持って生活していました。もちろん、ウォシュレットのトイレも冷暖房も完備され、4LDKの夜景の見える最上階の部屋に妻と2人だけで暮らしていたのです。私は海外の長期出張が多く、その分、同世代よりリッチでした。しかし、妻には寂しい思いをさせ、自分も普通の夫婦生活がどういうものか?を知る由もなく、子供も作らず、ただ、馬車馬の様に働いては、酒を煽り、泥の様に眠る毎日でした。何でも買える、何でも揃っている・・でも、手に入ってしまえば、それを、全部、日常と錯覚し、幸福感など全くありませんでした。育ててくれた親にも会わず、感謝もせず、まぁ、人としては、ひどいものでした。こんなに自分は不幸なのだから、仕事のない時ぐらい、放っておいてくれよという感じです。小学生の自分は、裕福ないとこや友人の家庭と比較して、こんな暮らしはいやだ、金持ちになりたいと思っていたので、30代の自分は、その目的を果たしたのですから幸福の絶頂のはずなのです。しかし、感謝の気持ちがなければ、絶対に幸せになれないことにやっと40歳を過ぎた頃に気づくのです。おそらく、同世代はとっくにその事や、家庭の大切さ、そこに働く為の原動力がある事を知っていたと思いますが、私は気づけなかった。遅ればせながら、毎日、自分は最も幸せな人間であると感じながら生きることにしました。

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