昭和へのノスタルジア

何を自分が求めているのか分からないですが、自分が学生時代だった昭和へのノスタルジアが日に日に強くなっています。その1つがラジオです。BOSEのスピーカに繋いでいますが、AM/FMの2,000円ちょっとの携帯ラジオです。FMはいい音ですが、AMは天候やラジオの向きで時々、雑音が入ります。番組を集中して聴こうなんて思って流すことはなく、今もFMを流していますが、ほぼBGMです。実はレコードプレーヤも買いたいなと思っていますが、好きなミュージシャンのレコード盤が手に入るのかどうか?が心配で、まだ、買ってはいません。電子ではなく電気、通信ではなく電波、ワープロではなく手書き、Kindleではなく文庫本、電子辞書ではなく紙の辞書、コーヒーメーカーではなくサイフォン、ウィキペディアではなく百科事典・・あえて、重くて、手のかかるものを、使いたくなりました。大学に合格し、祖母が使っていた1階の部屋に両親が下りたことで、やっと弟と分かれて個室になり、専門書の並んだ新しい白い机に座って、ラジオを聞いていた春の夜を思い出しています。スマホもPCもなかった時代ですが、暖かく、静かな夜で、とても幸せを感じていたのを思い出します。高校の頃と同様、バンドを組みたいとは思っていましたが、誰と組むかは決まっていませんでした。どんな歌詞もメロディーも恥ずかしがったり、躊躇することなく、いくらでも捻り出すことができていました。作った曲はカセットテープで一発取り。バンドに持ち込んで、メンバーとアレンジしていくという感じ。オーディオインターフェイスで取り込んで、PCで一人で音の良いデモ音源を作れる時代ではありません。車の音や犬の吠える声も入ってしまいます。野良犬もいたし、防音性の高い窓もなかったです。自分自身はそれらしい歌詞も書いているのに、女性も恋愛もよく知らない、大人の事や社会とも無縁。憧憬と妄想と意味のない反抗心しかなく、それが楽曲作りの源泉になっていたことは間違いありません。今、考えれば、中学や高校を卒業してすぐに働くことになった何人かの友人と比べれば、未熟であり、大学や大学院では、ふわふわした夢の中で社会と隔離されて生きていた様に感じます。そこだけで通用する常識で生きており、きっと親も含め、当時の大人は”新人類は何を考えているか分からない。このままで社会で通用するはずがない”という目で見ていたと思います。ただ、自分は今、この状態を再現したいと思っています。勿論、あの頃の様な馬鹿騒ぎをして、世間に迷惑をかけたいというわけではないです。あの頃の環境に今一度、自分を置いてみて、あの幸福感が何だったのか?を思い出してみたいと思っているのです。今が不幸なわけではありません。ただ、今の様に忙しくなかったし、疲労感がなかったことは事実で、これが、どうも、便利すぎるディジタル社会や裕福になった食べ物に原因があるのではないか?と思うのです。本を読み、紙に書き、声に出してみて、じっくりと何か考え、まとめるという独学の根気の様なものも、知らず知らずのうちに無くしている様に感じます。アナログに戻し、時の流れをしばし遅らせて、これを確かめてみたいという気持ちが昭和への回顧に繋がっているのかもしれません。そういう言えば、こういうブログやTwitter等のSNSも昭和にはなかったもので、手紙や葉書をせっせ書き、ラジオ局や新聞社へ送って自身の意見や評論として公表するか、日記を書くかしかなかったですよね?でも、これはやめるつもりはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です