時の権力者が天皇にならなかった訳

倉山満著 ”日本一やさしい天皇の講座”という本を読んでいます。190ページほどの本ですが今、3章まで130ページほど読んでおり、あとは4章を読むと終わりです。この本には、まだ、天皇が神話で古事記に出てくる初代:神武天皇から平成の今上天皇までを対象としており、中学や高校の歴史の教科書では、決してクローズアップされる事のない天皇まで、詳細な行いや性格などが記載されていて、とても、興味深いです。また、その時代の政治を仕切っていた時の権力者達、つまり、蘇我氏→藤原氏→平氏→源氏→北条氏→足利氏(特に義満)→織田氏(特に信長)→豊臣氏→徳川氏→薩長→伊藤博文→軍部・・等と並行して、その時代時代の天皇が記載されおり、天皇がどの様なお立場で崇め奉られ、不幸にも、増長した権力者たちに政治利用されていたのか?を、垣間見る事ができて、この点も、わかりやすいと思いました。各章に都度、出てくる、”時の権力者達は、何故、中国やローマの様に、それだけの権力や武力を持っていながら、自分が天皇になろうとしなかったのか?”という問いは、この本の最大のテーマになっており、本当に考えさせられます。この本の作者は、タマタマだと記載しています。本当にそれだけか?と私は思うのです。一方で、作者がタマタマと言いたくなる気持ちも何となくわかり、もし、時の権力者が天皇を恐れ多いと思っていたならば、自分の都合の悪い皇族を堂々と暗殺したり、言う事を聞かない天皇を譲位させ、傀儡にすべく、力のない若い天皇を据えたり、当時は天皇の死後退位が不吉とされて生前退位で譲位してから亡くなられるのが常識だった時代に、お金がなく譲位できない御所の貧困ぶりを見て見ぬふりをするか?とも思うわけです。なぜ、天皇家が必要だったのか?やはり、神の信託の様なものを求め、それを具現化した存在が天皇家だったのではないか?と私は思います。要は事を起こす際、自分の正当性を担保するものを自分以外に求める場合、勅命や錦の御旗があれば、これに勝るものはない。その為には、天皇という存在が必要で、天皇がやって良いと言ったから、自分は誰々を成敗に行くのだとか、その様な政治を行うのだという大義名分を立てて、その実、自分の立場や家を磐石する戦や政治を行いたいというのが本音。その天皇とは日本人が古の昔から、天皇家と認めてきた家系につながる存在でなければならず、自分が今の天皇家を滅し今日から天皇であると宣言したところで、日本人に認めてもらえるわけがない。また、自分が起こそうとしている戦や行おうとしている政治についてはわかるが、それ以外に、天皇が天皇であるがゆえになすべき儀式や祭事まで理解し、それを実践しなければならないとすれば、元々、やろうとしている事に十分な精力を傾ける事が難しくなる。そうであれば、一民間人のまま、天皇に許可をもらって事を起こす立場であり続けた方が、煩わしい事に巻き込まれず、思い通りに戦や政治ができる・・まぁ、こう考えたのではないか?と私は思っています。これは、今の日本の社会にもあると思うからです。会社で、何か事を起こす為には、ある程度の地位が必要である事は間違いありません。ヒラ社員では、自分の裁量だけで、やれる事は何もないはずです。しかし、上り詰めると、今度は、自由や個性は、どんどん制限されるばかりか、その地位を手に入れても、配下がついてこなければ、その地位でやりたかった事ができないという結果にもなり兼ねない。最高の地位より、もう1つ2つ下の立場の方が、健やかであり、配下にも人気もあり、思うがままに事を進める事ができていたというのは、覚えがある人もいるのではないでしょうかね?もちろん、それは、最高の地位に座った上司が煩わしいところを全部、取ってくれて、自由にやらせてくれていたという事で、会社では感謝すべき事なのですが・・これが権力者の場合は、ちょっと違います。何か自分は無敵な感覚になり、増長し、勘違いする為、いつしか、天皇家は必要だが、天皇は自分に同調してくれる人でなければならないという事になり、本来は、反対されれば引っ込むしかないはずのの一民間人が恐れ多いことに、天皇家に意見したり、排斥したりする様になり、世の中は乱れてきたわけです。非常に奥が深い、この天皇家をもう少し、勉強してみたいと思います。

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