英語学習:理解しようと努力する事

 最近、気分が上がらないことが多くなってきています。喜怒哀楽が少ないというか、物事に動じなくなってきているというか・・毎日の英語学習やRunningもルーチンであり、やらなければ気持ちが悪く、落ち着かない状態だったのに、今日は疲れたからやめておくという選択を自然にできる様になりました。これは良いことなのか?悪いことなのか?一度決めたことをサボるとは何事だとこれまでの自分であれば無条件に反省するところ、最近は、そもそも、何の為にやっているのか?楽しめる時間には限りがあるのだから、その日にやりたいと思った事をやり、やりたくない事はやらない方が効率的じゃないか?とも思うのです。今の自分は英語にそこまでのモチベーションは持てていません。つまり、会社で使う程度の英語は大体できているという自覚があるからだと思います。昨日もインド人とちょっと会話しましたが、ほとんど聞き取れていなかったそのインド人の発音がある程度聞こえ、自然な会話ができていることを自覚しました。これまでの自分は相当、英語にコンプレックスと危機感があったので、英語のルーチンは絶対的なものでした。今はその壁は1つ越えた感覚があります。仕事でその英語を話せるかどうかは、その内容に通じているかどうかであり、仕事以外で何気ない日常会話ができるかどうかは、英語が得意かどうかではなく、話題を広げる力があるかどうかだと改めて実感することが多くなっています。リスニングもちゃんと相手の言うことを理解しようという気があるどうかであり、自分は、まず、その英語だけの修羅場を何とか早く終わらせたいが先に立っていた様に思います。つまり、理解するためならば何度聞き返しても良い。あるいは自分の解釈はこうだが間違っていないか?をDo you mean・・やAre you saying・・で何度でも確認しても良い。最近はこう思う様になってきたわけです。1つ進歩しているのは英語のBlogを再開し、リスニングはディクテーションにかえたこと。Blogをレビューしてもらうことで自分は正しい英語を書けているのか?が評価できますし、ディクテーションをすれば、何が聞こえていないのか?がすぐにわかります。しかし、ディクテーションは少し反省もあり、1つ1つのWordを聞き取ることも大事なのですが、まずメモを取りながら流して、ポイントを要約するという作業が抜けていたと思っています。実践の会議たプレゼンのQ&Aではこの作業が必要になるわけで、このメモを取るという訓練が欠けていました。特に数字や年代を表す数詞、固有名詞としてでてくる場所や著名人などをメモって聞くと言うのは不可欠だと感じます。リテンションが弱く覚えきれないのに、メモも取らないならば、長い話をされた場合に会話できないのは当然です。ただ、日常の会話にメモは取れないので、ある程度の長さの文章は記憶しなければならない。つまり、短文のディクテーションはやはり必要です。読むことと聞くことができれば、しめたもの。私は多分、書く事と話す事は何とかなる様な気がしています。NHKのラジオ英会話の文章はせいぜい、高校生レベル。しかし、これが残念ながら聞こえていない場合がある。スクリプトを見えて瞬時に大意が掴めない場合がある。これを今年は集中的に克服したいと考えます。今日も疲れていたので、今日の英語はどうしよう?やめて別のことをしようか?と悩んでこのブログを書き始めましたが、やはり、書いて良かったです。読むことと聞くことを集中的に強化することが課題であることを再認識でき、何とかモチベーションを維持できそうです。聞こえれば何とか会話できる。読めれば書いてe-mailで返信できる。これにつきますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です