限界!それは、あなた次第

 無理をすると、明日どうなるかわからないので、今日は安静にしておくという考え方はいつの間にか、だんだん私の心を支配していきました。確かに40歳手前あたりで、仕事で無理をして肺を患い手術を要する入院をしましたので、それ以来、タバコもやめ、無理をしないという事を肝に銘ずる様になったのです。しかし、いくら安静にして備えておいても、朝、目が覚めると快調な日もあれば不調な日もあり、不調でもどうにかなるさと走りに行くとその不調さが和らいでいる場合もあります。さっきまで何もやる気が起こらなかったのに、新しい手帳や万年筆などを買うと、何かやる気が湧いてきて、途端に行動的になったりもします。一見、疲労が原因と思えるこの状態は、どうも脳の前頭葉の老化が原因である場合が多い様です。確かに何事にも興味が無くなりワクワクしないから活力が湧いてこない、逆に数少ないがたまにワクワクすることがあれば元気になるというのは脳が感じることであり、理に叶っています。筋トレなども同じで”もう、無理、ここが限界だ”という苦しさも、脳の仕業である場合が多く、通常30回しかできない腕立伏せが気の持ち様であと10回、あと20回と、どんどん増やせる場合がありますし、体感したこともあります。こう考えると”自分は50歳も過ぎているのだから、もう無理はできない。こんなことができなくても、おかしくはない。”と思うからできないのであって、”人生は200年であり、まだ1/4しか生きていない。60歳で定年?冗談じゃない。最低でも100歳まで、今のままフルスロットルで働くさ”と豪快に笑っていれば、できることも増えてくるのではないか?とも思うのです。限界は結局、その人がそれまでと思えばそれまでであり、いくらでも気の持ち様で引き伸ばせるが、一方で何が幸福なのか?は別問題だと思います。これはよく矢沢永吉さんがおっしゃっていますが、”まだまだ、走れるはずの20代がゆったりと老成していたり、自分の様なおじいさんがバリバリのRockをやっているのは、全て幸福感によるもの。自分はこれが気持ちいいからやっていて、人の為にやっているわけではない。色々な価値観や幸福感を持つ人がいるから人生は面白い。”という、彼の至言に尽きると最近は思います。何が欲しいか?それは、迷う事なく”気力”です。見てくれだけの若さでも、富でも、地位でもない。それは後からついてくるものであり、まずは、”よし、やってやるぞ”という気力なのです。それで突っ走ったら、とんでもない事が待っていた。コテンパンにやられた。そんなことはいくらでも若い頃あったはずです。とにかく、嘘でもいいので、自分に暗示をかけてでも気力の火を燃やし続けたいと思います。

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