LEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム1917)

 万年筆でも裏抜けせず、引っ掛かりも少ない程よい綴じノートがないものか?と探していたら、バレットジャーナル信望者の妻からLEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム1917)というドイツ製のノートを紹介してもらいました。妻が持っていたノートに少し試し書きをさせてもらって、これならば大丈夫と確信がありました。イタリア製のモレスキンノートの様に裏抜けせず、フランス製のRHODIAの様に開きにくくなく、日本製のLifeノートの様に裏抜けはないが紙が厚く引っ掛かり易くもない、これぞ求めていたノートだと、急いで長崎の老舗である石丸へ行き、A5サイズとA6サイズの両方を購入しました。税込で5,000円ちょっとでしたかね・・通常は方眼を選ぶのですが、あえて、妻が持っていたノートと同じドットを購入し、来年は、これを使い切るぞとワクワクして家に戻ってきました。まず、小さいA6サイズで試し書きしようと、書き始めたところ・・妻のノートで試し書きさせてもらった時とは違う、何とも文字のバランスが取りにくい違和感がありました。そして、何か引っ掛かりもあります。もっとも懸念していた、裏抜けは流石にないのですが、一言で言うと書きにくいのです。色々考えていると、字を書くときに紙面か机上におくべき右手の小指球(小指を正面から見て左側から下の方に降りた部位)が浮いているのです。A6サイズは紙面が狭いので当然、机上に小指球置いて、右手を安定させて書くべきなのですが、右側の紙面に書く時に何故か浮いている。コクヨの同じサイズのメモ帳で試してみたところ、そうはなりません。わかったのは186ページ綴じられたこのノートの約15mmの厚さに原因がありました。大体同じ大きさのモレスキンノートポケットサイズは6ページ多い192ページで厚さは10mm。この5mmの差が使い始めの数ページの頃は大きく影響し、机上と紙面の差でペンを傾ける事になる為、何か違和感があるのです。自然にペンを立てたくなり、それによって小指球が浮いてきます。新しい事もあって、180°に開いてくれないというのも多少あるのかもしれません。もう1つは紙の硬さです。裏抜けしない紙質である為か、厚くて、ペンが思うように滑ってくれないのです。システム手帳ではダヴィンチのリフィルやトモエリバーを使っているほぼ日手帳を使っていたので、比較的、薄めの滑りやすい紙質に慣れていて、わがままかもしれませんが、ある程度は滲んでくれないとぬらぬら感がなく、文字のバランスが取りにくいのです。これは使っているペンにもよるので一概には言えないのですが、私が使用しているMontblanc146のEFニブのインクフローでは確実に引っ掛かりがあって、ちょっと厳しかったです。と言う事で高い授業料でしたが、このノートは使わない事にしました。でも、時々、思い返した様に使いたくなるかもしれないので、少なくとも1年は保管しておきたいと思います。今日は大晦日で、もう、今日中に来年のノートを決める必要がありので、これから石丸に言って、ツバメノート、紳士なノート、場合によってはコクヨのいずれかを選択し、ノートカバーをかける事になりそうです。

あと一歩の気力

 ザ・シークレットを完読しました。”私は神がたまたま、2020年に50代の人間の男性として具現化しているだけで、神である以上、望んだ物は全て手に入るし、なりたいものにもなれるし、行きたい場所にも自由にいける存在である。”ということが、最後の最後まで色々な表現で繰り返し、書かれていた様に思います。禁煙セラピーを読んだ時の様に途中で洗脳された様に、共感し、そう思いこむ事ができた部分もありましたし、手に入ると信じるだけならば、それくらいは、自分にもできそうだと思いました。そこで、では、一体、何が望みなのか?と考えたところ、お金でも物でもなかったです。私が欲しいものは”何かをやろうとしていることを途中で、決して、萎えて放り出すことにならない様な情熱とか気力”。もっといえば”何かに集中して、空腹も疲労も忘れる様なフロー状態に陥る事”を望んでいると言うのがよくわかりました。いくら時間やお金があっても、それを余すことなく使う為には”情熱や気力”がないと意味がありません。”さぁ、なんでも叶えてやるから、望むもの言ってみろ”と悪魔に囁かれて、”働かなくても済むだけのお金”と答え、ぽんと3億円が手に入ったとしたら、もちろん、同時に膨大な自由時間も手に入ります。その自由時間を与えられて、何をやっても途中で投げ出してしまう様な気力しかなかったら、全く、楽しめないと思うのです。3億円だって、地道に使って行けば、40年くらいは繋ぐことができそうですが、それだって、生活費だけに地道に使う事ができる保証もありません。今は贅沢と感じることにでも、日常的に出費することに慣れてしまう可能性もあります。医者が毎日、お抱え運転手を指名して、2000円払ってタクシー通勤している様な現実は確かにあります。こういうことを考えているうちに、以前とは、考え方が変わりました。必要なお金を稼ぎ、若さを維持する為にも、社会と繋がりを持てる仕事は継続すべきという前提は変えず、仕事以外の時間をいかに楽しめるか?という事を考える方が現実的だと考え直したわけです。そこに不足しているのは、例えば”仕事が終わっても、きちんと2時間は数学の専門書を読むぞ”という目標を達成する為の”気力”でした。朝の筋トレやボイトレ、夕方のランニング、NHKラジオ英語学習、ギターで歌う等は先日ブログに書いた家事と同様、何かやらないと気持ちが悪い、あるいは、サボると何か悪いことが起きそうな罪悪感で継続できているのですが、ギターで歌う以外は”自分のやりたい事”とは言い難い物ばかり。”自分はこうなりたいから、これを毎日、勉強する。あるいは練習する。”というものが私にもいくつかありますが、上記のルーチンをこなせば、あとは”ワインを飲んで、寝るまでのんびりしたい”という事が全てに優先してしまいます。それだけ緊急度がないから、気力も湧いてこないというのもあります。”やりたいんだけど、別にそれができなくても、クビにはならないし、命も取られない。将来を左右し、リミットのある受験の様な目標でもない。”という目標に邁進できる気力が欲しいのです。おそらく、私がやっているルーチンの部分だけでも、毎日継続するのは厳しいという人も居るでしょう。私はあと一歩の気力が欲しいです。これが引き寄せの法則で手に入るならば、このザ・シークレットに書かれている事を実践してみる価値はあると思います。何事にも興味を持ち、前向きで、明日の事など考えず、その時にできる事を一生懸命やれていた、かつての私が持っていたものをただ取り返したいということだけなのですが・・少しワクワクしてきました。

夫婦共働きとは

 お坊さんほどは厳しくはないですが、私にはやるべき家事があり、長年継続しています。妻や娘と私は美意識が全く異なるので、自分が快適に過ごす為に家事を習慣化し、自発的にやる事でやらされ感をなくす様にしようと決めました。家事というのは、妻が1回しか今週、やっておらず、土曜日に遅くまで寝ているのに、何故、自分が3回もやらされているのか?とか言うと、特にフルタイムの共働きの場合は、夫婦関係が上手くいきません。また、勢い余って、自分のセンスで思春期の娘の部屋を勝手に片付け様ものならば、父娘関係も上手くいきません。自発的にやるのだけれど、決して、やってあげているアピールをしない事です。二度手間にならない程度に、さらっとやってしまっている事が大事です。朝、起きると、まず、洗濯物を畳み、洗った食器を棚に片付けます。これは妻がやって欲しいと言ったわけではなく、私が放置されているのが嫌だから片付けるのです。次に猫のトイレ掃除、餌や水の交換です。2匹の猫が何故か妻にはあまり懐かないのは、明らかです。これも、任せておくと忘れる。猫の餌は香りが大事であり、量が入っていれば良いというものではなく、交換する必要があるのです。火金は可燃物、木はプラ+資源ごみをまとめ捨てる。この捨てるは最近、私の在宅が増え、妻が出勤途中に捨ててくれます。掃除は土曜日にリビングと書斎は私が掃除機をかけます。ランニング後はできるだけ古いお湯で風呂を済ませ、2日に1回、風呂掃除をします。この時、排水溝の髪の毛などは彼女たちが掃除する事は絶対になく、ヘドロ状になるまで放置するので、ここも私が掃除します。これに加え、妻が管理職をやっている頃は夕食作りがあったのですが、彼女が管理職を終えた後はお返ししました。彼女は元々、料理とかお菓子作りは好きなのです。時間と余裕さえあれば、私がやる理由は全くないです。すごく、大変だと思うかもしれませんし、遅くまで残業して凌いでいる30-40代では、なかなか難しいものがありますが、私が今の様になったのは、否応無しに40代でそれをやらなければならない環境になったという事が大きいです。はっきり、会社にも共働きと育児の状況を伝え、理解してもらい、できるだけ定時に上がることを許してもらいました。妻には海外を含め一切の出張、一切の残業を断らず、安心して働いて良いと伝えました。むしろ、色々、仕事を選んで不平不満を言う様ならば、みっともないので、会社を辞めて欲しいと言うつもりでした。それは会社に貢献したいという高い志に反するからです。会社も女性活躍とか格好の良い事を言っている建前、じゃあ、お前はクビだともいえず、困惑したと思います。もし、母の申し出に従い、私もめちゃくちゃ残業しまくって、家庭を放置し、全部の家事をやってもらっていたとしたら、おそらく、今、70代後半になってしまった母には相当な負担を強いてしまうことになったのではないか?とも思うのです。妻は私の様に会社と家庭をこなせるほど、器用ではなく、なんでもハマってしまう理系の性格です。私とは考え方が違い、会社に貢献することに、生きがいを持って働いている会社人間なので、じゃあ、どこまでやれるか働いてもらうかという感じでした。私より8年ほど後に入社しており、似たような職種でもあるので、危なっかしいところもたまに見えるのですが、しかし、頑張ったことでそれなりの役職も与えらえ、期待通りに貢献していると思いますし、正社員が二人で稼いでいるので生活は豊かな方だと思います。私は会社などに幸福はないと思って生きてきました。全く、妻とは逆の発想で生活が不安だから、安定した企業で好きでもない仕事をして仕方なく働いているのです。従って、会社から管理職のオファーを受けても一切、受けない。人からは、”せっかくのチャンスなのに、なぜ、受けないのか?給与も上がるし、権利も増えるのに・・”と当時は不思議がられました。そう言ってくる人には”チャンス?じゃあ、君を推してやろうか?社長になれると言うならば受けてもいいが、半端に出世して何が幸せなのか?が今だにわからない。それに今の所得で十分、暮らせる。”と言い切ってきました。頑張りたいとか貢献したいとか言っている妻が頑張ればいいのです。両方がそういう事を言っていると、娘は放置され、家庭はもっと荒れていた思います。夫婦というのは上手くできているなと思います。

コロナ禍 飲食店の救済

 このところ、各地で高止まりが続いているコロナ感染者数ですが、さらに悪いことにイギリスでは変異したウィルスまで発生している様子。今日のニュースではイギリスからの日本への入国は制限はかかっているが、香港に帰国した留学生からこの変異ウィルスが発見されたとか。この留学生がすでにこの変異ウィルスをばら撒いていたら、香港からすでに日本に入ってきている可能性もあります。さて、このコロナですが、テレビ報道では”医療崩壊はもう間近。医療関係者はもう限界です。みなさん自粛を。”と医師団が東京をはじめとする首都圏の人々に訴える映像が流れたかと思えば、その呼びかけによって、自粛している様には見えない街の映像も同時に流れています。また、Go To禁止令が出されたことで観光業や飲食業の方々の落胆し、失望した姿が流れている事もありました。今の時代は新聞やTV以外にネットがありますので、ここにも様々情報があり、その中でもTV以上に過激かつ刺激的な映像が流れることがあるYOU TUBEでは”実はコロナはただの風邪か、悪く見積もってもインフルエンザと同じで、ウィルスが粘膜に付着しているから陽性とし、発症していない人までカウントすれば風邪だってこれ以上の感染者数になり、同じく、三密の中で流行していく。また、基礎疾患のある人や老人から死んでいくというのも必然であり全く同じ。違うのは未知の部分が多く、信用できるワクチンがまだ完成していない事”と楽観的な意見を主張する人もいます。ここ長崎でも日々、0人か一桁の感染者数だったものが、ここにきて30人近くの感染者数にまで増えており、やはり、拡散してきたなという感じなのですが、これが死をもたらす病なのか?というのは、身近に感染者がいない為、よく実感できないというのが率直な感想です。50代の私でも地方にいれば、この程度なのだから、そりゃ若い人に自粛せよと言っても、自分達の生死に直結していなければ、普段通りに行動すると思うのです。菅政権になってから特に経済を回すことの方を優先してきている様に思えるのですが、自粛してくださいの結果がこれです。ちょっと考えて見ればわかる話であり、自粛って自粛であり、罰せられないのだから、特に飲食業は従わない人が出てきます。従わない人の暮らしぶりが特にコロナにも感染せず、良ければ、自分だけが貯蓄を食い潰している状態を真面目に自粛しているのは馬鹿らしいと感じ、さらに従わない人が増えます。そうやっていつまで経っても、普通に営業していれば人は集まります。そこでクラスターが発生し、たちまち、病院が忙しくなります。コロナを優先して受け入れている病院であっても、限られたスタッフでコロナではない重篤な患者さんも診察し、手当をしているわけで、医療現場は逼迫し、医療ミスも増える可能性があります。つまり、救える命が救えないという事になります。感染者が増え、死者や重症者が増え、コロナも収まらないならば、結局、経済も回せないです。つまり、”全国の感染者が一桁になるまで、一旦、経済を止めて、入国も出国も禁止し、それによって稼げない人の生活を政府がまずは1年間保証する”以外にないと思います。例えば、4人家族の1世帯に毎月30万円配ったら、国が破綻するのでしょうかね?日本の世帯数を6,000万世帯としましょう。このうち人を集める場所で仕事をしている世帯を1割としても600万世帯です。1ヶ月間に1.8兆円、1年間で21.6兆円が必要です。日本の飲食店の店舗数は67万店らしく、そこで働く人は437万人というデータがあるので、もう少し減るのかもしれませんが、国の年間予算は102.7兆円ですから、これを1年間だけ143.3兆円にするだけです。もちろん、コンビニや材料を売る市場などは対象外。人が集まるといっても長く三密状態にならない場所は外します。ファストフード、カフェ、レストラン、飲み屋等であり、その中でも出前で凌げる店にはこの30万円を審査の上、支給せず、営業を許すかわり10万円以下の助成金を渡す方針にしても良いのです。まず、一旦、止めて、自己申告してきた人を審査にかけて支給とすれば良いのではと思います。落ち着いてきたら、経済を回すに変えなければ、あまりにも半端すぎます。

限界!それは、あなた次第

 無理をすると、明日どうなるかわからないので、今日は安静にしておくという考え方はいつの間にか、だんだん私の心を支配していきました。確かに40歳手前あたりで、仕事で無理をして肺を患い手術を要する入院をしましたので、それ以来、タバコもやめ、無理をしないという事を肝に銘ずる様になったのです。しかし、いくら安静にして備えておいても、朝、目が覚めると快調な日もあれば不調な日もあり、不調でもどうにかなるさと走りに行くとその不調さが和らいでいる場合もあります。さっきまで何もやる気が起こらなかったのに、新しい手帳や万年筆などを買うと、何かやる気が湧いてきて、途端に行動的になったりもします。一見、疲労が原因と思えるこの状態は、どうも脳の前頭葉の老化が原因である場合が多い様です。確かに何事にも興味が無くなりワクワクしないから活力が湧いてこない、逆に数少ないがたまにワクワクすることがあれば元気になるというのは脳が感じることであり、理に叶っています。筋トレなども同じで”もう、無理、ここが限界だ”という苦しさも、脳の仕業である場合が多く、通常30回しかできない腕立伏せが気の持ち様であと10回、あと20回と、どんどん増やせる場合がありますし、体感したこともあります。こう考えると”自分は50歳も過ぎているのだから、もう無理はできない。こんなことができなくても、おかしくはない。”と思うからできないのであって、”人生は200年であり、まだ1/4しか生きていない。60歳で定年?冗談じゃない。最低でも100歳まで、今のままフルスロットルで働くさ”と豪快に笑っていれば、できることも増えてくるのではないか?とも思うのです。限界は結局、その人がそれまでと思えばそれまでであり、いくらでも気の持ち様で引き伸ばせるが、一方で何が幸福なのか?は別問題だと思います。これはよく矢沢永吉さんがおっしゃっていますが、”まだまだ、走れるはずの20代がゆったりと老成していたり、自分の様なおじいさんがバリバリのRockをやっているのは、全て幸福感によるもの。自分はこれが気持ちいいからやっていて、人の為にやっているわけではない。色々な価値観や幸福感を持つ人がいるから人生は面白い。”という、彼の至言に尽きると最近は思います。何が欲しいか?それは、迷う事なく”気力”です。見てくれだけの若さでも、富でも、地位でもない。それは後からついてくるものであり、まずは、”よし、やってやるぞ”という気力なのです。それで突っ走ったら、とんでもない事が待っていた。コテンパンにやられた。そんなことはいくらでも若い頃あったはずです。とにかく、嘘でもいいので、自分に暗示をかけてでも気力の火を燃やし続けたいと思います。

全力疾走か全力失速か?

 若い頃はあまり後先考えず、何事も全力でやっていた様に感じます。その若い頃というのは、きっと70代の両親達にとっては50代の私の年齢さえ若い頃というのかもしれませんし、私から見れば20代から30代を意味しています。なぜ、10代を含めないのか?と言われそうですが、10代というのは記憶も曖昧になってきているというのもあるのでしょうが、自分がどこに向いて走っているのかすらわからない、迷走状態であり、若いというよりは幼いというのが正しいし、1つ間違えば、今ならば確実に少年院送りになりそうな世界に足を踏み入れたこともあります。結果が出せたかどうかは別にして、何か真剣に取り組んで頑張った時期というのが私の場合は大学院入学〜会社で管理職になる手前迄の15年間で、自分の部下に現役の仕事を渡し、部下を管理することに終始した40代は”部下を押し退けて全力でやり過ぎる事も悪”という考え方に、だんだん、変わってきました。一言で言えば、年甲斐もなく、ガムシャラにやって見せつける事が何だか恥ずかしいという感じですかね。50代になって、その管理職も40代に譲ると、今度は部下だった40代に仕えるシニアプレイヤーに戻ります。人を使う事に慣れ切った自分を鼓舞して、自分で何かOutputを出すという仕事になるわけですが、若い頃の様に叱咤激励してくれる人もいません。つまり、私にやれそうな仕事を上司が流してくるのですが、それを好きな様に捌いてくださいと原材だけを与えられる様な感じですかね。上司は元部下ですから、私の好みを知っているので、間違っても、アジフライを作るのが得意な私に、ヒレ肉を持ってくる様なことは流石にありません。ですが、アジフライはアジフライであり、それ以上の物は作り様がありません。結局、頑張った15年で蓄積してきた料理しか、並べることはできないわけです。この料理が、長年、需要のあるロングセラーばかりならば良いですが、だんだん、飽きられるのが普通の流れだと思います。仕事に話を戻せば、この料理の例えは、仕事の成果だけではなく、成果を出すまでのプロセスを含めて例えているわけで、会議の中でその人の発する言葉や態度も含め全てということであり、その人自身が飽きられるという事にも繋がっています。過去の栄光に縋る武勇伝ばかりを語り始めると、そろそろお引き取り頂きたいと思われる様になるのですが、元部下の上司はそれをストレートには言えない。自分が管理職の頃に覚えがありますが、やはり、怖いし、恩もあるし、申し出憎いわけです。”まだまだやれる”と信じ切っている心身共に若い老兵は特に難しい。その人ができる範囲において”まだまだ、いける事”はわかっているのですが、その範囲が限定的で幅がなく、あれこれ仕事を振れないことや、考え方が頑固過ぎるところ、その為に周囲の若い世代との間に不協和音が流れチームワークに問題が生じており、今までチームの結束力で生まれていた成果が減ってきていることなど、この人の”まだまだ、俺はやれる”が組織的には負の方向に働いていることを自覚してもらう必要があります。これを自分の置き換えると”扱い辛い老兵になる前に去る”か”多少、自分にストレスをかけてでもEverything is OKで受け入れて慣れない仕事もこなす”かのいずれかしかないです。前者を選択すれば、完璧に家事をこなせる主夫道に身を置き、働く妻を全力で支える。後者を選択した場合、今までのカードは使えないわけなので、新しいスキルを身につける為にあの15年間の様に、全力で走るしかないです。老害だけは何としても避けたいと思う今日この頃。

労働の価値

ザ・シークレットもページ数で2/3に達し、今は”人間関係の秘密”を読んでいます。一言で言えば、”自分を愛しなさい。自分の魅力に気付いて自身を好きになれば、人から見ても輝いた人になり、人が集まる”という内容であり、まぁ月並みと言えば月並みです。読んでいるうちに、このザ・シークレットの作者であるロンダバーンを調べたくなりました。本の写真では、年齢は30代後半か40代前半ぐらいにしか見えないのですが、ウィキペディア情報が正しければ1945年生まれと記載があったので2020年現在は65歳という事になります。ご存命かどうかも未知の様です。関連記事を色々、リサーチしていたら、”引き寄せの法則で闇堕ちしたリアルな実話-引き寄せの法則に振り回されて”というサイトを見つけました。このサイトの開設者もスピリチュアルなお仕事の人の様だし、単にザ・シークレットを実践して上手くいかなかったから、否定論者になっている可能性もあるので、全部を信用しようとは思いません。しかし、引き寄せの法則の熱烈な信者は”何でも思い通りに引き寄せる事ができる自分は特別な存在であるというエゴの塊の様な傲慢な人間になる”という意見には共感できるし、確かに注意が必要だと思いました。もし、本当に引き寄せの法則が正しく、望むものが次々と自分の手に入ったとすれば、弱い人間はどんどん堕落していくというのは容易に想像できるからです。苦労は少なく、収穫は多い方が良いに決まっていますが、この考え方は日本人にはしっくりきません。武田邦彦先生がブログでおっしゃっていましたが、アーリア人の子孫である現代の欧米人には、その倫理観が受け継がれていて、侵略は善、労働は損、できるだけ調達した奴隷を働かせて自分達は遊んで暮らすのが当たり前の発想が元々、あるそうです。一方、日本人は苦労して収穫することが当たり前で、その苦労するプロセスが人を成長をさせるみたいな、倫理観が間違いなくあります。サボったり、自分だけが楽をしてはいけないという考え方です。ザ・シークレットの作者は欧米人です。そもそも労働や苦労に対する倫理観が日本人の我々とは異なりますから、どこか受け入れ難い、胡散臭いと思うのは必然の様な気もしますし、書かれている通り、実践できたとしても得られる成果は異なるのではないか?と思うのです。ただ、私はそんなに欧米の倫理観を否定するならば、なぜ、日本は明治維新以来、欧米文化をここまで受け入れたのか?とも思うのです。憧れなのか?危機感なのか?あるいは已む無くだったのか?日本から生み出された技術もあるのでしょうが、大元となっているアイデアとか発想というのは、ほとんど、欧米発で、それらの応用とか改良に日本の技術の素晴らしさがあると私は理解しています。逆にアイデアの創出と、それに基づいた初品の華々しいリリースは欧米は素晴らしいが、その後、より精密により実用的に改良し、ブラッシュアップしていく段階では仕事が丁寧な日本人が群を抜いているのではないでしょうか?それは苦労を厭わない日本人にしかできないこと。金持ちになりたいと願いながら、ひたすら努力していたら、その苦労したプロセスによって人間的にも成長できたし、求めた富も得た。これが日本人にとって最高の引き寄せではないでしょうかね?

痙攣性発声障害:息継ぎの重要性

 これは、発声時、声帯が開いて息が抜けやすい外転型だけに当てはまり、個人差はあるのかしれませんが、普通の人が一息で言える文章が一息では難しく何度も息継ぎしないと音がフェードアウトしてしまいそうになるという事を感じていらっしゃる人はいないでしょうか?私は毎日、リハビリに和文と英文の音読を取り入れており、その音読の時には調子が良く発声できていたのに、それから1時間も経っていない時刻での日常会話ですら、非常に発声困難で状態が悪いという現象を不思議に思って色々、考えていたのですが、これは息継ぎに問題があると思っているのです。音読は自分のペースで息継ぎし、息継ぎを行う文節も自由です。別に相手がいるわけでもなく、待たせることもありません。一方、会話では、何度も息継ぎして、1つ1つの音を明瞭に発声できたとしても、あまりに短い文節で切って会話すると相手に違和感を与えるのではないか?と不安になります。また、英会話学習でも、教材の中で会話形式になると、こちらのパートが読み終わっていないのに、一定時間経過すると相手のパートが被ってくる場合があります。従って、十分な息継ぎができないまま、発声する事になる為、所々、フェードアウトするケースが増えます。しかし、息継ぎをせず且つ、音もフェードアウトしない様に発声しようとすれば、腹式呼吸か努力発声になる為、腹式呼吸は、歌唱と同じで、そんなに長い時間、継続できないし、努力発声の場合は喉へ負担をかけ、結局、”ゆっくり力まずに話す方が、声帯が開きにくく、スタートは小さな声でも、だんだん話しているうちに明瞭になってくるという最良パターン”からどんどん遠ざかっていきます。外転型はとにかく力んだ発声は厳禁なので、相手に違和感を与えても気にせず、十分な息継ぎをしながら、ゆっくりと話して良いということに私は最近、気づきました。それを繰り返しているとだんだんと息継ぎが減ってきて、普通に話せる様になります。これは力まないことで声帯が定位置で固定され、動きが小さくなる為、息が抜ける頻度が減り、発声しやすくなってくると私は解釈します。もし、私と同じ外転型の方で同じ苦労をされている方がいらっしゃるならば、息継ぎをお勧めします。私たちは健常者でありません。だから、話し方が、少し、おかしくても、通じればそれで良しという意識を持ちましょう。諦めずに頑張りましょうね。

お金持ち

ロンダバーン著のザ・シークレット(The Secert written by Rhonda Byrne)を貪る様に読んでいます。痙攣性発声障害のリハビリにもなるので音読することもあります。約300ページのうち大体、半分の168ページまで今日の時点で読み終わりました。今日はちょうど”お金の秘密”で非常に身近で、外国の話とは言え、思い当たる事も多く、誰もが、まず、思いつく”欲しい物”でもある為、非常にスムースに頭に入りました。最初にジャックキャンフィールドという作家の話が出てくるのですが、この人の父親が彼に与えた”人生とは苦しいもの”と”お金は苦労しなければ手に入れらないもの”という、一見、庶民の誰もが、信じそうなネガティブな教訓を否定できた彼はその後、この”秘密”を使って大成功するわけですが、その話はちょっと置いておいて、響いたのは、この父親のネガティブな感情です。この感情は”お金持ち=人を騙して儲ける悪人”という彼にとっての”普遍の真理”から出てきているとジャックは語っています。ジャックはお金に関して、常にネガティブな話を、毎日、父親から聞かされて育ち、だんだん、自身も苦難に満ちた道を歩んでいた様で、ある時、実業家のクレメント・ストーンに出会ってから、彼の教えに従い、考え方を変えて道がひらけた様です。この内容を読んだとき、まるで、自分の様だと思いました。振り返ってみても、”食うに困った極貧体験”は思い当たらないのですが、”他人が難なくできている色々なことが、お金がない事で思う様にならなかった”という思い出はあり、そのたびに、お金の話をされた覚えはあります。うちは、もっとひどく”苦労しても手に入らないお金や物はある。贅沢こそ敵である。”に近い精神論が我が家にポリシーとして1本通っていた様に思えます。嫌なことがあれば、会社をやめる様な、お世辞にも社会に適合してスムースに世の中を渡っていたとは言えない父や、とにかく、戦争から戻ったあとは”極貧生活で食うや食わずの生活”を強いられた祖父母のいわゆる”貧乏癖”の様なものが、私が社会にでるまで、蔓延していたのが、我が家でした。ザ・シークレットを読んで、はたと気づいたのです。私は今は豊かな暮らしだと、思っているのですが、この”貧乏癖”の様なものや”お金へのネガティブな感情”はしっかりと父や祖父母から受け継がれ、特に進路に関して娘に悪い影響を与えていないだろうか?と。”求めれば何でも与えれられる様な甘い人生”はあり得ないので、この家をでたあとの君の人生は苦しいことの方が多いのだと、あらかじめ教えておいて、甘えた根性で社会に出て行って苦労しない様にしたいという親心のつもりでしたが、”それは間違ったネガティブな感情で自らが引き寄せた父親である私の人生”の話であり、その感情がなかったら、”求めるものが何でも手に入る、苦労知らずの薔薇色の人生”だったかもしれないという事に気付かされた思いです。それが真実だとしたら、つまり、。ザ・シークレットの引き寄せの法則が真実だとしたら、私は娘に詫びなければならないと思っています。何かこの本に書かれている秘密を実証できる手段がないか?と少しワクワクしながら考えています。

引き寄せの法則

You Tubeで知った、ロンダバーン著 The Secretを遅ればせながら読み始めました。Amazonで購入した古本で470円で、新書を買うお金が無かったわけではないのですが、第一印象として完読できないのではないか?と思ったからです。内容はややオカルトチックで、まるで、いにしえの古文書の様な紙に呪文の様な文字で書かれていたので、正直、胡散臭いと思ったのです。しかし、強く、その物を望めば、現実に手に入るという事に思い当たる節もあり、それはオカルトでも魔術でもなく、その物を強く意識する事で、これまで見逃してきた情報や関係する人が紐つけられ、手に入り易い環境が整ったり、その方向に向けて努力したりするというのは何となくわかる様な気がします。その何となくをこの本に登場する何人かの師(Masterと訳されていますが)の体験から確信を得たいと思いました。何せ歴史上の偉人や芸術家、あるいは、現存する資産家等はこの法則を知って、利用しているというのですから、そんな上手い方法があるのならば、誰だって知りたいと思うでしょう。私が欲しいのは働かなくても今の生活レベルを維持できる環境です。とにかく、やりたい勉強や作曲などを行うエネルギーが17:00まで残っていません。帰宅してRunningを終えたら、お酒を飲んで一刻も早くくつろぎたいと最近は思うのです。だから、引き寄せの法則で望むのは、本当は気力とか体力なのかもしれません。しかし、痙攣性発声障害の為、コミュニケーションを取ることが普通の人以上に辛い面があり、これは気力でどうにかなるものでもない為、働かなくても生きていける環境をやはり望んでいます。非常に贅沢な事を言っているのかも知れませんが何か1つ、欲しい物をと悪魔に誘惑されたら、一時的なお金も地位も欲しいとは思いません。月並みですが知的生活にエネルギーを注ぎ込める環境と勤労からの解放を望みます。きっと在宅ワークが心地良いと感じるのは、そういう望みから来ているものだと思います。禁煙セラピーに洗脳され禁煙できた様に脳が騙されてくれればしめたものですが、読み進めて面白い事に気づいたら、また、ブログにアップさせてもらいます。