情報カードボックス その2

Amazonでコレクトというメーカから出ているMDF製(Medium Density Fiberboardの略)の5×3 カードボックスを3,850円で購入しました。この5×3は購入時に全く意識していなかったのですが、後でこれが情報カードのサイズの5(inch) x 3(inch)であることを知りました。元々は収納に困っていたB6サイズ(128mm x 182mm)の情報カードに合うボックスを買おうとしていたので、この時点で確認不足です。到着してから収納してみると明らかに入らない。それで、このB6サイズよりひとまわり小さいB7サイズ(91mm x 128mm)の情報カードで妥協して購入し、それを入れてみました。今度は若干、内側で天板に情報カードが当たっている感じはあるものの、収納できないレベルではない。そこで、5×3ってなんだ?って事で調べてみて、mm換算すれば、それが75mm x 125mmでB7サイズでもサイズオーバである事に気づきました。ボックスもカードも使えない?これは、失敗したと思いましたが、意を決して、100枚のB7のカードの縦を5mm短くしました。カッターで1枚1枚、切ったということです。やはり、インデックスなどをカードにつけることを想定しているのか、縦:86mmでサイズオーバのはずなのですが、丁度良いサイズで収納できました。後日、5×3のカードを買いに石丸に行きました。元々、B6を使っていたので、非常に狭く感じます。B7ならば、5mm削っても、まぁ、我慢できますが、5×3は文章をたらたら書いてメモを残す程度ならば、事足りますが、ここに絵を描くという事はおそらくできません。メモを残す感じになると思います。もう一度、今度はAmazonではなく、コレクトのHPの直接アクセスし、同じMDF製でB6サイズの同じボックスがないか?を確認してみましたが、蓋のない木製ファイルか、プラスチック製のCDボックスの様なものか、蓋のない紙製ファイルしかありませんでした。もっとも避けたいのは百均でも手に入りそうなプラスチック製で何となく安っぽい。これならば紙製のファイルの方がコスパも良いです。また、収納タイプではない蓋のない木製ファイルはどうも中途半端です。ファイルというのは確実にカードを劣化させるのですが、カードは思考段階に必要な物で、最終的に電子データにして、いつか処分するということを考えれば、結局、紙ファイルで良いのかもしれないと思い始めています。今は5×3の情報カードを1テーマで2枚で使い、これをテープで止めて畳んで5×3のボックスに収納しようと考えており、これで上手く行けば、使い続ける予定です。収納ボックスでこんなに苦労するとは思いませんでした。

情報カードボックス その1

 ノートというのは自分の言葉で情報を整理し、記録し、再確認したいときに、タイトルや索引、あるいは日付などで記憶を辿って、情報を引き出せればラッキーと言う感じです。ですが、ノートでの検索は、なかなか、難しいです。ノートにタイトルや日付までは書きますが、さすがに、細かい索引を作り、ページを書き、インデックスを付けて、整理するまでには至らないです。ノートのタイトルと日付で当たりをつけて、探すのが常です。梅棹忠夫先生が”知的生産の技術”に書かれている様に、まず、情報カードに、疑問点や気づいた事を、ぱっと書いて、いくつかのカテゴリーに分けたボックスに入れておくのが基本かもしれません。ノートと違って、埋もれてしまう確率は少ないと思います。また、新たなテーマで書いたカードを過去に保管していたカード並べ、関連付けて思考を巡らす様な使い方にカードは最適です。カードを並べて考えている思考の過程を記録しているのがノートであって、ノートは、カードを並べてモヤモヤしている頭の中を、一度、書き出してみるのに、使うのが良い様に思います。カードでは大きな図を描いて考える様な、スペースもないし、やはり、フリーハンドで書ける、ホワイトボードの様なスペースは必要になります。そして何かを考えた結果、得られた知見は、論文の様にWordやExcelで電子データとして保管し、検索しやすい様にしておくのが良いと最近は思います。万年筆で書くのが好きなので、綺麗に学習ノートを作る事に拘っていたのですが、それは日記とか作詞とかモーニングページでいいのかなと、最近は思います。ノートは、今、どう考えているのかを書き出せれば良く、カードは考えるべきことがキーワードで思い出せれば良いわけで、そのカードが残っていれば、残件であることが把握できれば良いと思います。それで改めてカードを使いこなそうと思っているのですが、情報カードを保管し、すぐに引っ張り出せる様なカードボックスを探しているのですが、理想的な図書館の借用カードボックスの様なものがいくら探しても見つかりません。昔はいくらでも売っていた様に思うのですが、Amazonにもないし、あの引き出しがついた木製やスチール製のボックスは、今、どこに売っていますかね。半透明のプラスチック製ボックスや紙製のファイルはあるのですが、何か気に食わないのですよね。何とか見つけて、このブログで紹介したいと思います。

独学術

前回の投稿で”知的生活とは程遠い生活”について反省の意味も込めて書いてみました。書きながら、あるいは後で読み返してみて、”やはり、このままではダメだな”と改めて思い、何か自分のネジをもう一度、巻き直してくれる本がないか?と書店で探していたところ、第一刷:2012年9月15日、第5刷:2018年9月10日発行の”独学術”というやたらシンプルなタイトルの本が目に留まりました。白取春彦さんという66歳の評論家/翻訳家で、ドイツ語、哲学、宗教等をご専門とされている青森県出身の方でした。元々、こういうノウハウ本には惹かれるタチなのですが、あまりにも、探していた時の心境にドンピシャだったので、通常、Amazonで中古本を探し、届くまで数日待つという事で節約するのですが、それもせず、1,000円(税別)でさっと購入しました。まず、導入部は自分で疑問を持ち多くの本を読んで解決していく独学とテキストの書かれている事を普遍の知識と捉え、疑いもせず、半ば暗記し、そこにある手法にのみ固執して問題を解く様な学習の違いを説明しており、とにかく、借りた本ではなく、自分でお金を出して本を買って読む事を勧めています。この章でピンときたのは、独学のテーマは”疑問を持てるほど興味の沸いた事”でなければならないと示唆しているいう事。英語も大学の専門教科も”英語は2年間の英会話スクールに、専門教科は大学、大学院に投資して、一応、身につけたのに、投資に見合う活かし方を、社会でできていない。もったいない”が動機になっている為、それは決して”疑問を持てるほどの興味”が動機になっていないということ。また、英語は特に”人前でペラペラと話せたら格好が良い”、逆に”海外の仕事をしているのに話せないのは格好が悪い”という、幼稚な動機であり、まぁ譲っても、”仕事に必要だから、最低限、やらざるを得ない”という程度のものです。せいぜい、TOEICで600-700点の当たりをマークできていれば、つまずきながらでも、うちの会社で海外の仕事をやる程度ならば十分です。好きなテーマははっきりしているのです。時空や次元、数学、天皇の歴史、日本人のルーツ、未解決の古代ミステリー、そして、おそらく英語を多読する事になるCIAが公開しているX Fileです。それに絞る事にしました。最後から2番目の章に外国語の独学法についても解説されていますが、懸念していた通り、会話より、コツコツと読む事が推奨されていました。一語一会を大事にし、その一語の意味を辞書(多分、書かれてはいないがここは英語の場合は英英辞書だと推測)を噛むように読み、徹底的に意味を知る・・そんな時間を費やせるかよ?と昔の私ならば思っていたはずですが、独学は”急いては事を仕損じる”がポリシーです。いい加減な知識でわかった様な顔をして、誤魔化して進める事を渡辺先生も厳禁とされていました。白取さんも同じことを書いておられると思いました。この英語も学ぶではなく、好きなテーマに繋がった英語読解、好きなテーマを共有したい人との英会話や英文メールに繋げられたらいいなと思います。さらに、飲酒を常習するのは、全くの無駄時間と釘を刺されており、ここは、反論の余地なし。もうきっぱり絶つことに決めました。この本は独学や知的生活に憧れながらもなかなか実行できない人に喝を入れるには最適です。ぜひ、読んでみてください。

言い訳

 最近、自分がどこを目指そうとしているのかが、わからなくなっており、仕事が終わるとランニングをして、350mlの糖質オフビールを飲み、その後、ワイングラスで赤と白を飲み、気分が良くなるとギターを弾いて、その後、夕食を食べて寝るという生活を漫然と繰り返しています。朝はアクティブなんですが、もう夜はただYOU TUBEを見ながら晩酌するのが楽しみで、それに向かって、仕事とランニングをやっているのがはっきり分かります。40代前半に自分の50代が、ここまでだらしなくなるとは思っていませんでした。私は知的生活に憧れていて、渡部昇一先生の”知的生活の方法”に習って生きるつもりで50代を迎え様としていたのです。40代の途中までは、とにかく、仕事と育児で余裕がなく、その憧れは益々、強くなりました。うちは妻も同じ会社の正社員で普通のサラリーマンなので、生活は比較的、豊かで、自分の部屋もあり、妻も結構、遅くまで働いているので、一人で自室で独学する時間はあって、非常に恵まれていたのですが、当時はその環境を使いこなせる時間的な余裕がなかったのです。47歳で管理職をおりた頃から、時間の余裕ができましたので、この機会に生涯学び続けられる何かを見つけて、定年後、退屈しないことを今から始めておこうと考えていました。英語学習、大学や大学院時代の専門分野に関係する専門書や論文の読み直し、ギターを基礎からやり直す、ブログを書く、ペン字を学ぶ、プログラムを作る、作曲をする等、書き出したマインドマップを見返すとやりたい事を相当、挙げています。この中でNHKラジオ英語講座とブログは何となく続いているものの、漫然とルーチンの様にやっていて、何か目的が明確ではなく、芯が一本通っていない感じがあります。まぁ周りに言わせれば、ランニングを含め仕事をしながら続いているだけ偉いじゃないかと言われるのですが、”知的生活の方法”からは、とても、程遠いのです。何か大きな目的やRole Modelを目指して日々やっている感じではない。さらに、根気がなくなっていると感じるのが専門書や論文を読むことです。これは英文法の学習も同じで読んで理解した事を自分の言葉でノートにまとめるとか、不明点を書き出しておく、証明問題や例題を解く等が全く続かないです。ビールやワインを飲めば、そこからは無理なので、ランニング後、ビールを飲む前に1時間でも独学の時間を取るとか、土日に集中してやるなどを実行すればできるはずなのですが、どうしても、そこに向かうことができません。字が汚いことにも原因があると思い、ペン字を学ぼうとしたのですが、ただ、お手本を見て書き写すという、理系脳には耐え難い単調作業についていけません。これはギターを基礎からやり直すというのも近いものがあります。お手本を見てその通りに運指すると言うのは、我流と耳コピーで中1からギターを弾いてきた自分には、もう、遅すぎる感じがあります。楽曲作りは、クリエイティブな作業なのですが、世間を知りすぎたせいか、ワクワクもドキドキも、もはやない為、バンド時代の様な名曲?が出てこないのです。こうやって、色々、言い訳しながら、どんどん先送りして、今があります。肺気胸で手術したとき、このままでは、自分の体は将来、ぼろぼろになると、30代後半でタバコをやめ切れたので、今度は何とか酒を断ちたいと思います。酒をやめると何かが開ける様に思えるのですが、一方で酒があるからリラックスできている気もするし、食べる事を楽しめている面もあるので、ちょっと思案中。今日は雨が降りそうだったので、ランニングを中止し、ここで飲むと太ると自分を洗脳してこのまま飲むのをやめる予定です。きっと明日も雨です。これが禁酒のきっかけになればシメたものですが約束はしないことにしましょう。

感染拡大行動の特定

コロナの緊急事態宣言発令後に特に若者が、日中の不要不急の外出を控えず、夜は夜で、20:00以降も自粛要請に従わず営業を続ける店に集まっていて、感染者の高止まり状態が続いているというニュースが連日流れています。これとセットで逼迫した医療現場の映像も流され、医療崩壊直前の状態にあり、救える命が救えない状態にあるとも伝えられています。いずれも事実だと思って見ていますが、事実は事実でも、極端な例を取り上げている場合もあるので、それが正しく今の日本を象徴しているのか?は冷静に見ていく必要があると思います。ある若者文化を研究している評論家が、”今の若者に、上から目線で強制する様に、昭和を楽しんできた、おっさん/おばさん政治家がいくらStay Homeと叫んだところで、そこに関心とRespectがない限り、絶対に言うことを聞かない。”と言っていました。私もおっさん/おばさんで、間違いなく、昭和後半や平成初期を楽しんできた世代であり、会社では社会人の若者と接し、大学生の甥っ子と接し、さらにもう一世代下の中学生の娘の世代に接してみて、年々、その”押さえつけの論法”が通らなくなっている事が分かります。Stay Homeだって、お願いであって、法を犯しているわけではなし、自分が動き回る事で感染させていると言う自覚も確証もないので、所詮、白黒はっきりしない世界です。何の根拠があって、我々、若者だけが悪として非難されるのか?と。散々若いころ、楽しんできた世代に、何故、自分たちだけが自粛を強制されなければならないのか?と。自分が20代であってもそう思うかもしれません。真面目に働いている人は特にそう思うだろうし、マスクをちょっとずらしただけで大学共通テストで不正と評価された受験生なんて本当に不運で可哀想だとも思います。国はその行動が感染拡大につながる迷惑行為であることをなぜ、データで示すことができないのか?なんでも可能性があることを、あれはだめ、これもだめと締め付ければ、受ける側のフラストレーションはたまる一方です。個人の行動ルートの可視化を中国ができているならば、日本が自国のテクノロジーでそれも中国よりは圧倒的に少ない人口の特定の世代に対して、それがやれないはずはない。夜の街を楽しもうが、昼間に会食しようが、自由だが、自粛に協力しないならば、あなた方の行動は、逐一、トレースさせてもらうので、スマホに専用のアプリを入れることを義務付けると、なぜ、言えないのでしょうか?エビデンス主義ならば、そのエビデンスとなる仕組みは、きちんと受け入れてもらわなければ、感染源になっていないという証拠もない。これが人権無視とか個人情報の侵害だと言うならば、代案で感染させていないという証を立てるべきだと私は思います。自由は欲しいが義務は、ごめん被ると言う一部の腐った若者を甘やかしちゃいけないですよ。一方で一部の腐った若者がとんでもない行動をしているからと言って、それを若者と一括りにするのは、もっと問題です。我々、大人は、もうちょっと毅然と襟を正して、感染拡大につながる非常識な行動を取る若者を限定的に抽出して、忠告する必要があると思います。私は先日、タクシーの乗りましたが、その運転手さんはおしゃべりで、マスクはつけていましたが、密室のタクシーの中で、道中、ずーっと話していました。彼はサービスのつもりで話していたのでしょうが、こちらは非常に不愉快だった。夜、徘徊する若者と、このおしゃべりな運転手さんは、私の中では全く同じです。感染拡大する行動をする人で括るべきであって、受験でマスクをずらした人と一緒ではない。受験でマスクをずらす事が本当に感染を拡大するのか?という評価の方が先決です。頭ごなしではなく、冷静に、証拠となるデータで諭す必要あるので、感染しやすい行動を特定する仕組みを急いで作って欲しいと思います。その為には個人の行動をある程度トレースし、情報を集めなければ何も始まらないです。

本質不明のルール

 会社の常識が世間の非常識になっている事に気づかず、過ちを犯すという話はよく聞きます。私が入社したのは平成の初めであり、長崎にはバブルがあったのか無かったのかはよくわかりませんが、日本ではバブル崩壊した直後で、社会は、まだまだ、活気がありました。これを書くと武勇伝みたいになるのですが、サービス残業当たり前、22時定時でそのまま飲みに直行、朝は帰らずそのまま出勤、よく働き、よく遊びって感じでした。我々は20代ですから、元気なのは当たり前なのですが、当時の40代は、見かけは明らかに今の私らより老成していましたが、めちゃくちゃ元気でした。ところが50代に入った途端、ぱったり、遊びも仕事もトーンダウンし、出勤しているのに、”あの人は今?”みたいな状態になり、そのまま55歳付近で関連会社へ出向し、そこで定年退職を迎えるのが、一般的な流れでした。ひょっとしたら、当時は一旦、うちを早期退職して出向し、関連会社で2度目の退職をしていた可能性もありますが、定かではありません。こういうことを言うと怒られるかもしれませんが、人間的には魅力があっても、仕事だけに限って言えば、邪魔なので、早く消えてくれって人が多かったです。いわゆる老害を撒き散らす先輩の事です。その立場にとうとうなってしまいました。時代が変わり、社会のルールが変わり、否応無しに会社はそれに追従せざるを得ないことは、管理職の経験上、承知しているものの、その追従の仕方があまりにも過剰反応し、本質不明のルールで社員を縛ろうとしている場合は、やはり、意見したくなってしまいます。過剰反応しているのは、大抵、我々の働く現場のそばには居ない、高い地位や権威を得た幹部クラスの管理職なのですが、社会に対して果たすべき役目を確実に果たし、株式会社として投資してくれている株主さん達を失望させない経営を継続する為に、ちょっとしたルール違反で、企業としての信用を失墜する事はあってはならない事なので、念には念を入れて、一言で言えば”現場の手間の増えるルール”を、どんどん、追加していきます。問題は社長→本社幹部→支店の幹部→工場長と現場に近くなると、”狼に食べられない様、夜間外出は控える様に。”というのが社長指示だったのに、工場では”夜間外出をする場合は届けを出し、万が一、無断で外出したものは最低、6ヶ月の減給処分とする。”というルールになります。ある夜、工場の方から悲鳴が聞こえたが、無断で寮から出て減給処分になるのを恐れた、日勤の若い社員が、その事を看過した結果、夜勤の社員が機械に巻き込まれ悲惨な最後を迎えていたといった様な事が起こる可能性もあります。これは、社長の”狼に食べられない様に・・”という社員の安全を気遣った本質的な意図が省略され、伝わった結果、罰則だけがクローズアップされ、当たり前に救える命を救えなかったという話です。この教訓を知ってから、私は”社長は、なぜ、そんなルールを作ったのですか?”という事を必ず、自分の上司に聞く様にしています。ただ、上の指示に何の疑いもなく従っただけという、上司は、きっと、耳が痛いし、面倒だと思っているはずですが、この上司へのツッコミが、最近、全くないのです。理由は査定が下がるとか、上司の命令は絶対だからとか、面倒臭いやつだと思われたくないとか、色々あるでしょうが、みんなが、おかしいと思っている事まで見て見ぬふりをしている。これって何かと似ていませんか?そうです。子供の世界に起こりがちなイジメです。話は老害に戻るのですが、私らの世代になると、”あまり事を荒立てて老害と認定され、あと数年を住みにくくするのはナンセンス。若いもんに任せて、静かにしておくに限る。”という人も多いです。私も50歳なった頃、そう思っていました。あんな先輩の様に絶対にならないぞと決めていたのですが、私はおかしいと思う事は、冷静にきちんと確認しようと決めました。それは、これから主役になろうとしている世代の為であって、自分が住みやすくする為ではないので、きっと理解されると信じています。いつの間にそうなったのか?は定かではありませんし、自分が、その様にしてきた覚えもないのですが、ただ上の指示を、その意図を理解しないまま、流すだけの上司が多くなってきているのは事実です。それは配下のモチベーションを下げ、疲弊させ、結果、その組織を弱体化させます。それを少しでも、改善して定年を迎えたいと思っています。

ノート

 ブログで書くのも、おかしな話かもしれませんが、私は手書きが好きで、愛用のMontblancの万年筆で最近、お気に入りになったツバメノートに、今流行りのモーニングページ(モーニングノート)に近い、日々の記録を行なっています。出来事を記録するのが日記ならば、このモーニングページというのは感情を記録し整理するものだと理解しています。思いつくままに、今、心に思ったことを赤裸々に紙に書き出すことでイライラや迷いなどの感情や何かやりたいけどモヤモヤしてどこから手をつけて良いかわからない思考の整理に役立つそうで、モーニングページが流行る前から、実行していたことです。書き殴る様に行などを意識せずにひたすら吐き出す様に書くのが良いそうですが、私はそういうのは、好きではなく、読み返せる程度の字でバランス良く書きたいと思う方で、字が汚いと逆にストレスになります。”ラテの乱れは心乱れ”という名言がありますが、まさしく、日によって、文字のバランスが変わってしまいます。自学するときのノートも同じですが、何度も消すことができるシャープペンシルを使うと、特に理数系のノートは何か問題を解いて閃いたりすると、消した後の黒ずみを含め、本当に汚いです。少しでも、解消しようと、方眼タイプのノートを使っていますが、これが一番、良い様です。マス目1つの中に日本語ならば1文字、英数字は2文字を書くということを決めて、1文字ずつ丁寧に書く。あと10分以内に書き終えなければならない等と制限をつけると、乱れるので、そういう時はできるだけ、書かない事にしています。時間制限のある書き物など、今の時代はないはずで、板書ですら写メで済みます。何かを考えながら書く場合は相当な時間を要するわけで、そもそも、思考中に時間は必要だし、理数系教科の様に、思考の過程で数ケースのTry & Errorを繰り返し書く必要がある場合は、先にノート以外のメモ紙か、雑記用の安いノートに鉛筆で書きながら考え、まとまったところで、まとめ用のノートに丁寧に書けば良いだけで何の支障もないはず。そこでノートには次の5つのタイプがある事に気づきました。手書きが必要なのは、考えてみれば、3項と4項だけで、3項は思考のプロセスノートと言っても良く、ここは手書きの方が良いですが、まとまってしまえば、2項はWordで良いのかなと思います。しかし、自分の思考があっちに行ったり、こっちに行ったりしている過程も記憶として残しておきたいと思うならば、3項をしっかり手書きで清書しても良いかもしれません。4項はこのブログの最初に書いたモーニングページであり、PCで打っても良いのでしょうが、PCでは”じっくりと自分に向き合えず、正直な気持ちに気付きにくい”という人や”読み返した時に、ワープロ文字では何だか味気ない”という人も居るかもしれません。確かにPCはこのブログの様に”人に伝える事を目的にした文章”を書くのに適しており、心を吐露するには役不足かもしれません。今日もいくつかのノートを書くと思いますが、できるだけ1文字ずつ丁寧に書きたいと思います。

1.ただ、何か書き写すだけのノート

これは今はほとんど不要なはずで、講義の板書を書き写している様な場合。

2.バラバラの書籍に書かれている情報を1つに纏め、自分の言葉でわかり易く整理するノート

これは、文理系共通で配置以外は思考が伴わず、機械的に作成できる。

3.2項以前に思考が伴い、疑問点や問題を明確にして、それを解決するノート

(1)文理系共通では、1つの書籍に書かれている内容が理解できない場合、2項に行き着く前にあれやこれや疑問点があり、それらを記録し、別の書籍を調べているプロセスを記録する場合。

(2)理系教科固有では例題や証明等を自分で解いているプロセスを記録する場合。

(3)仕事の場合はアイデアを記録する。

4.自分の感情を整理するノート(モーニングページ)

5.ただ、今日の出来事を記録するだけのノート。

4項と纏めるとプライベートは良いが、仕事の事を一緒に記録しづらいので分けている方が良い。

コロナ緊急事態宣言の根拠

 1都3県(東京、神奈川、千葉、埼玉)に2月7日までの緊急事態宣言が出す方針で決定しましたね。ここ1ヶ月の感染者数の増加傾向から判断すれば已むを得ないと思いますし、私はむしろ、決断が遅すぎたという声に賛成です。テレビで取り上げているので極端な例かもしれませんが、街頭のインタビューに答えている若い人の中には”自分は感染しても重症化しないので、普段通りに外出を控えることもなく、店が営業している限り、夜遅くまで遊びまわっている”と平気で答える人もいて、こういう他人の迷惑を顧みない若い人達には宣言や特措法で縛り、飲食できる場所や時間を制限し、遊ぶ場所を減らすというのは有効だと思います。街に活気がなく、ゴーストタウンの様になってしまえば、出歩く理由はなく、ただ、寒いだけなので、外出する動機や誘惑も減るでしょう。時短の対象になった店や施設には、国や地方自治体は、しっかりと時短による損失をお金で補填する制度の確立も同時に求められると予想し、最低限、そこはしっかりやらないと、成立しないと思います。しかし、私はそれだけでは不十分だと思います。なぜならば、三密にならず、飛沫感染も抑止できる対策が取れるという事で、時短対象になっていない店や施設を利用するお客さんも同時に減るわけで、店は開けている以上は補填もなく、逆に商売にならないからと店を閉めても、国がそれを命じたわけではないから、知らないと言えるとすれば、まるで”へびの生殺し”の様な状態を生む事は容易に想像できると思います。国が求められていることは”一旦、国民全員が不要不急の外出をしなくても良い環境を国が作り、感染拡大をこれ以上増やさない。”ということです。止めたいのは経済ではなく、不要不急の外出です。働く為に普通通りに会社に出勤し、密閉された会社の中で、ソーシャルディスタンスを意識しながらサラリーマンとしての活動を行う事は”不要不急の外出”と言わないでしょう。その人から見れば会社が休業していない以上、出勤するしかないはずなのです。会社自体が休業し、出勤しなくても、生活が保証されているならば、みんな、休みますよ。サラリーマンが毎日、多少、熱っぽく感じてもコロナ判定基準の37℃を超えてなければ公共交通機関を使って出勤している事実があるとすれば、それは感染の原因にならないと断言できますかね?そもそも、平熱は人それぞれですが、何℃を平熱として37℃以上という設定にしているでしょうか?熱は平熱より何℃高くなったかで、その人の体調は決まるわけで、36.5℃でも感染を拡大する人も居るのではないか?と思うわけです。私は長崎に暮らしていますが、徐々に感染は拡大しています。普通のサラリーマンですが、在宅勤務率を上げる努力をする様、指示は出ていますが、仕事に支障をきたす人は出勤して良いという甘めのルールです。Inputでは、むしろ、在宅勤務でネットの調子が悪く、指示された内容を聞き間違え、失敗しましたなんて言い訳をする人の方が問題視されます。また、Outputの方は、ネット環境では相手に伝わらないコミュニケーションしか取れない人もいます。そんな事ならば、出勤して働けというのが会社の指示です。勤務に支障をきたさない事が在宅勤務の条件だからです。本当に飲食関係だけが感染を広げていると言えるのでしょうかね?そういう影響度を特定する分析はやった上で飲食の影響度が大きいと判断するデータがあって、制限をかけているのでしょうか?本質は、店に感染を拡大する様な振る舞いをする客が来ているか、感染を拡大させないという意識が希薄な店があるかのいずれかではないのかと思うのです。遅くまで開けていて良いので席数を制限するとか、ルールを守っていない人を入店させないとか、席数の制限をはじめ、飛沫感染防止やソーシャルディスタンスをとる配慮など、感染拡大を抑止する為の最低限のルールを守らず営業している店は厚労省の権限で閉めさせる事ができる等の特措法で縛った方がより効果的だと思うのですが・・これはこれで人権侵害とか言われるのでしょうかね?経済活動を止めるというのはどうもおかしい気がするのです。止めたいのは感染させるかもしれないという意識の低い人ではないでしょうかね。

サンカ(山窩)

私も最近、知ったのですが、かつて大和朝廷から滅ぼされた、熊襲、蝦夷、土蜘蛛等と言った反体制の少数民族の一種で、サンカ(山窩)と呼ばれる民族が昭和までこの日本の山の中に戸籍も持たずに、生存していたという情報を得ました。同和問題や部落差別問題で取り上げられる、穢多(エタ)や非人の子孫の方々は生まれながらにして言われもない差別を受け、人として扱われない過酷な時代を過ごされた方々も多いと聞きますし、現代でさえ、まだ、特定のエリアに差別問題が残っているそうですが、その方々には、きちんと戸籍はあって日本人として認可されている点で、日本政府のサンカの方々に対する処遇は違います。まず、いつからこの方々が我々、日本人の先祖の系列から外れて、山で独自のライフスタイルや文化を形成して暮らす様になっていたのか?というのは諸説あます。一説には縄文時代の終わりから弥生時代の初期に日本に暮らす人達(あえて日本人とか国民という表現は避けます)の中にフラットな関係の縄文文化から上下関係のある弥生文化に移行できた弥生人と、自然と調和したライフスタイルでフラットな関係を維持したい縄文人に分かれ、弥生人の子孫が我々一般の日本人に、一方、縄文人の子孫が少数民族に分岐していったという説もあります。この分岐点が大きな時代の変わり目において、諸説あり、現代に近いところでは明治維新後という説まである様です。私は色々、情報を見ていく中で、彼らは、サンカではない日本人(弥生人の子孫)と自分たちの獲った物や手作りの生活品を農作物やお金と交換していたという事実があったり、使っている文字はサンカ文字と呼ばれる独特の象形文字で、サンカ同志は全く通じない言語(隠語という説もありますが)で話していたという事実から、縄文人説を信じています。私はこのサンガのご先祖様は、熊襲とか蝦夷の様な戦闘能力の高い少数の弥生民族ではないと思うのです。もし、大和朝廷の脅威になる様な武装集団であったならば、まず、中央政権に従わせる為の交渉があり、交渉の場では、大和朝廷から使者が伝える言葉の意味を解していなければならないし、返答もまた然りです。蝦夷の中には阿弖流為(アテルイ)の様に戸籍を持っていたかどうかは兎も角も、勝者側の大和朝廷が書き残した名前すらあります。つまり、蝦夷や熊襲は我々、日本人の先祖、つまり上下関係のある文化を受け入れた弥生人を先祖に持つただの反政府軍であり、”何か大和政権のやり方が気に食わないから従いたくない”という集団だからこそ、滅ぼされたのだと理解しています。サンカという特殊な言語や文化で戸籍すら持たない日本人が本当に弥生時代から昭和まで生存できていたとしたら、それは毒にも薬にもならない中央政権にとっては脅威でも何でもない民族だからこそ、捨て置かれた結果だったのではないか?と思うのです。分岐点が現代に近づくと今度は使っている言語や文化の面で矛盾が出てきそうです。流石に明治維新が分岐点だと仮定した場合、新政府のやり方に耐えらなくなった江戸時代の庶民が、いきなり山の中で独自の文字や文化を考え出し、自然と協調した暮らしを築いていたというのは考えづらいです。似たような民族にアイヌ民族の方々がいます。しかし、彼らはのルーツはその身体的な特徴から我々、日本人が属するモンゴロイドではなくシベリア南部に多いコーカソイドにあり、明治時代に統制されるまで別の意味で日本人扱いされていないし、地理的にも大和政権や幕府等の覇権もロシアから統制される事も免れたのだと想像します。旧石器時代から現代まで続いている民族という説もあり、ちょっとサンガとは違う理由で生存し続けてきたわけですが、言語や文字が明らかに日本語とは異なり、フラットな関係を良しとする点などは、縄文時代あたりから長らく生存してきた民族という点で共通している様に思うわけです。おそらく、アイヌも日本国の脅威にはなり得なかった為、長く生存したのだと理解します。失礼だなと思うのは、ドロップアウトした日本人がアイヌやサンカのふりをし、悪事を働いた例も多くあった様で、彼らのステータスを落としている点です。戦後になって、目撃例はなくサンガは姿を消したそうです。これが何を意味するのか?アイヌの様に既に現代人に同化した結果なのか?、日本人としても認められず、生活困窮者としてホームレスに紛れて暮らしているのか?密かに政府が集落を襲い、皆殺しにしてしまったのか?きっと自分はサンガの子孫であることを知っていても、明かすことはないと思うと残念です。あの縄文から弥生に移行するときに、現代までの人類の発展があった反面、人がヒト族たる、大事な掟を破り、破壊し尽くしてきたとも思うからです。それを取り戻そうとして、コロナは暴れ回っているのかもしれませんね。スペイン風邪もエイズもSARSも、多めにみてやったが、今度ばかりは愚かな人類を許さないという感じで猛威を振るっている様に私は思えます。

ツバメノートへ転身

 最終的にツバメノートA5サイズに落ち着きそうです。もっとも、インクフローが多く、EFで国産のFの太さのあるLammyでしかも石丸で購入したカクテルインクで書いて、裏抜けや滲みがなく、Montblanc146のEFで引っ掛かりがなく、さらに乾燥も早い。これ以上の紙質のノートはないかもしれません。万年筆ユーザとしては非常に、気に入りました。価格はAmazonで4冊で968円。1冊は30枚綴じで242円なので、60ページとすれば約4円/ページ。一方、LEUCHTTURM1917のA5サイズは1冊 251ページで3,190円なので、約13円/ページ。単純にページ数だけで比較すればツバメノートの方が3倍ほどのコスパの良さです。ですが・・このまま、紙綴じのツバメノートをカバンに入れて持ち歩き続けると、きっと、劣化します。そこでAmazonでCollasaroレザーノートを購入しましたが、Q&Aを見るとA5ノートを収納することができないと記載ありましたので、結局、返品しました。レザーノートとしてリフィルと一緒に購入する必要があった様なのです、好みのレザー調でモスグリーンだったので、非常に良いと思ったのですが、ツバメノートをカバーする事が目的なので残念です。これからカバーだけを購入しに行きます。あとはMonthlyのカレンダーシールが欲しかったので、以下のシールを購入しました。これは既にLEUCHTTURM1917でお試し済みであり、Montblanc 146では確実に滲む事がわかっています。スケジュールは変更が多いのでフリクションで書く方が良いのかもしれませんが、取り敢えず、多色ボールペンで記入していこうと思います。