M1 MacBook Air 13″使用感 その2

 前回のその1の投稿が11月8日だったので20日経過したことになります。その1の時点で概ねインストールすべきアプリはインストール済みだったのですが、その後、インストールした大容量のアプリと言えばXCODE13.1とPython3.10でさらにPython でグラフィック環境が必要だったのでHomebrewとMatplotlibをインストールしています。Pythonのプログラミング奮闘記については別のブログで紹介しますが、M1ではIntel版MacからHomebrewとMatplotlibのインストール要領や使うコマンドが変わっていた様で、ちょっと手こずりました。その状態で現在のDiskの使用状態は以下の通り。11月8日の投稿時点で105GB程度あった空きは63GB程度に減りました。さらに40GBを使ったことになりますが、全然余裕です。データをハードディスクとiCloudへ移せば削減できるので、これ以上、大容量のアプリをインストールしない限りは現時点でも256GBで十分であることがわかります。

 前回とは順番が逆になりましたが、Geekbench5の計測経過は以下の通りです。まずCPU性能は前回、Single:1750/Multi:7737でしたのでほとんど変化ありません。一方、GPU は前回、Metal:18508/OpenCL:16677でしたのでいずれも1000pointほどアップしています。まぁこれがBestということでしょう。

 

SafariでWordpressにアクセスしてこのブログを書いている時にCPU負荷とメモリの状態を撮ったアクティビティモニタのショットは以下の通り。CPU負荷が小さいことは明らかで、メモリプレッシャも同じく小さいですね。使用済みメモリは6GBに届かない程度です。

 この状態にもう少し負荷をかけるべくPhotoshopを立ち上げキャンパスの写真を移動させた直後に抑えたショットが以下に通り。CPU負荷はほとんど増えておらず、使用済みメモリが0.8Gアップした程度です。写真の移動操作だけなので、もっと細かい編集を加えればもう少し増えるのかもしれませんが16GB を積んでいたIntel版Macbook Proでは、写真を移動する程度の作業でもレインボーカーソルが回ることもあったので、それもほとんど無くなり、かなり快適です。

 次はLogic Pro Xです。操作はキーボードでSTEP入力を行い再生し、書き出し操作まで行った時にショットです。CPU負荷は1.5 倍から2倍程度にアップしていますが、メモリはPhotoshopとほとんど変わらないか、むしろ小さいです。音飛びや遅れなども外部モニタ聴いている限りは感じません。

 最後にバッテリですが、今のところ確認できているのは3時間程度の使用で1時間あたり10%程度の消費であるというところまでです。このままリニアに減少するならば10時間持つという試算になるのかもしれませんが、例えば5時間使用したあたりから減りが早くなる可能性もあるので、控えめに見積もって 7−8時間がいいところではないでしょうか?しかし、8時間持ってくれれば、日常使いならば、外出時、電源アダプタを持っていく必要はないと判断します。

 約3週間の私の使用感で言えば、今のところ、全く、快適であり、何1つ悪いところは見つからないので、Macbook Air 13″ SSD:256GB/メモリ:8GBの整備済み品で何1つ問題無しと言えそうです。

英文のレビュー

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 海外の仕事をしている人は英語を読み、英語を書くという機会は多いと思います。私も2000年ぐらいを境に海外顧客との仕事が多くなり、英語を使う機会が増えました。当時は文章や文字でのやりとりが今ほど手軽ではなく、我が社では、ようやく、メールが普及し始めた頃で、ほとんどが紙の図面かレターでした。時間はかかって良いので、フォーマルな文章を求められるのが当たり前で、今よりも気を遣って英文を何度も推敲していた様に思います。しかし、昨今、チャットやLineで文字会話が一般的になると、少々、砕けていても良いので短文で素早く要点を伝えることを求められる様になってきたと思っています。一方で海外顧客とやりとりの場合は、Lineでやりとりすることはできないし、それが許されたとしても、砕けた英語でやりとりするほどの英語力はないわけので、せいぜい、ビジネスの場ではメールが略式文書の限界だと思っています。

 メールはフォーマルレターではないとは言っても、今やビジネス文書として扱われる場合も多く、ビジネスの場ではエビデンスにもなりうるため、やはり、きちんとしたフォーマットで、且つ、筋道立てて書く点においては紙のレターと中身はなんら変わりはなく、自部門の上司や関連部署の決済を簡略化したものに過ぎません。代わりに対外発信する前に上司や関係部署レビューを受けた後で発信するか、軽い内容の場合は、何をやり取りをしているのかがわかる様にCC(写)に上司や関係者を入れて発信することが多いと思います。私の会社でも関係者のレビューを受けてメールやプレゼン資料を発信したりすることがありますが、この英文レビューは非常にストレスが溜まります。

 1つは作者としてのストレスです。それはレビューをする人の単語や言い回しに好みがあり、自分のメールや資料が自分にとって、馴染みのない文章に書き換えられしまうことです。私は技術系の仕事をしていますが、例えば自分の上司にレビューを依頼した場合にお互い同じ技術の仕事で飯を食っていますから、その文章を和訳した場合に言いたい主旨も使っている専門用語もほぼ同じなのです。ところが、どういう順番で序論から結論まで持っていくかという様な文章の組み立て方や専門用語以外の単語は好みの問題であり、下手をすると自分のオリジナルの文章が影も形もない様なレビューをして全面、書き直しで自分の文章を押し付けてくる上司や関係者がいるわけです。私はそのようなレビュー者には次に様な確認をします。

”あなたの英語が間違っているとは言わないが、この文書の発信者は私であり、この文書に対して先方から何か質問や苦情がきた場合、あなたが対応してくれるならば、このまま、あなたの添削した内容で発信します。そうではなく、私が矢面で対応するならば、英文法的な不備だけを指摘してもらえると助かります。私はあなたの英語には馴染みがなく、私はこんな英語は書かないからです。”

 そう言われた相手は悪気はなく添削しており、ましてや、対外的に矢面に立つ気もないため、大抵は引き下がるはずです。しかし、同時に英文法的な不備があったとしても、それも指摘してくれなくなるため、その文責は自分で負う覚悟が必要です。

 もう1つはレビューを担当する場合です。その文書の主旨も発信に至った経緯も何1つ説明せずに、いきなり英文のレビューを依頼してくる人がいるというのが非常にストレスになります。そもそも英文は、先に記載した通り、個人の好みがあり、他人の英文をスムースに受け入れることは難しいのです。私ならば絶対にこんな文章は書かないと思いながら、知らない単語を調べさせられ、こんなことを書いているのかなと想像をしながらレビューするのはかなりエネルギーを使います。自分はただのレビュー担当であり、文責は負わないことを伝えた上で斜め読みし、明らかな文法的ミスだけを指摘して早々に依頼者へ返すことを心がけています。きちんとレビューしてほしいならば、

1.まず何の目的でこの文書を発信するのか?

2.どういう内容なのか?

を和文でレビューしてもらった後、英文の文書をレビューしてもらうというやり方が良いと思っています。最近はチャットやLineの影響で、そもそも、この和文のレビュー段階において論理性にかけ、何を言いたいのかわからない場合が多く、英作文に行きつかない若い人が増えている様に思います。一方で私を含むシニアは言わずもがなで若い人にも自分の言っていることは理解されているという甘えや勝手な思い込みが目立ちます。私も気をつけたいと思います。

フランクリンプランナー

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ノートや手帳を仕事や勉強に活用する方法については書籍も多く出版されており、最近は YOU TUBEでもその類のコンテンツが増えた様に思います。手帳の使い方で、まず、思いつくのはスケジュール管理ですね。私も一時期はシステム手帳に月間と週間のリフィルを装着し、予定が確定するたびに手書きで記入していました。どちらか言えば、受動的な備忘録として活用していたということです。しかし、社用は支給されたスマホのスケジューラで会社PCのOutlookとも同期した形で管理する様になってきたため、手書きの忘備録としての手帳は必要がなくなりました。

 その後、フランクリンプランナーに出会い、自分がやるべき(あるいは実現したい)長期目標をまず自分の価値観を知って設定し、それを最終的にはデイリープランナーに詳細のタスクとして記入し、日々、進捗を管理していく能動的な手帳活用術があることを知りました。仕事以外で自分に何かを課して実行するという場合は、今の仕事を継続していくために必要なスキルや勉強がほとんどですが、フランクリンプランナーはそういうことばかりではなく、”仕事と関係していなくても、自分が本当にやりたかったことにも向き合った方が良い”ということに気づかせてくれました。目先の仕事に忙殺されがちな、自分を、冷静に見つめ直し、本来、やりたかった目標を達成するために必要なタスクを効率的に実行するためのスケジュール管理に手帳を使うというものになります。

 ”そんな余裕なんかないよ。そんな暇があれば1時間でも寝ていたい・・”、確かにそんな時期も人生にはあると思いますし、私もありました。しかし、50代になって”あの頃は、随分、お金も時間も無駄にしたな”と思うことも確かに多いのです。集中力や体力も有り余っている時期にもっと自分を高めることにお金や時間を投資できることを知っていたならば、もっと色々なスキルが短期で身についていただろうし、もう少し魅力的な人間になっていた可能性もあったかもなんて、今更ながら思うわけです。最たるものは飲み会やタバコ。タバコは15年以上、酔いに任せて勢いで吸うことを除き、常習的な喫煙はなくなりましたが、酒は、晩酌をやめてようやく4ヶ月目です。フランクリン手帳の様なツールもしくは考え方を知っていたら、もう少し早く知的生活へ移行することができていたかもしれません。

 では、今現在、私がフランクリンプランナーを使って長期目標に向けた時間管理をやっているか?と言われると、それはできていません。フランクリンプランナーの最大の問題は自分の価値感に従った夢や目標があり、それらを達成する手段が明確に見ている場合にのみに限り有効だという点です。逆に言えば、目標があって、どんなに時間が掛かってもそれを達成する手段が見えていれば、このプランナーを活用することができるはずです。私がこのプランナーを使わなくなった理由は寝食忘れて没頭できそうな目標や夢がないことに気づいたということ。そして、本当に自分の価値観に従って、考えた場合、起業し自分の裁量で事業をしてみたいとか、働かなくても食っていけるだけの金を貯めたいとか、とにかく、現実から逃れたいという目標ばかりで出てきて、具体的なタスクに落とせないことが多いということに気づいたことです。”それを達成したらどうなるのか?”と自問し突き詰めていくと、結局は”余裕を持って、楽して暮らしたい”というところに行き着いてしまいました。

 挫折して、約5年ほど経ちました。今はもう一度、フランクリンプランナー的な手帳で、日々を管理して行きたいと考える様になりました。働いている間は現実から逃れたいということに結びつく目標しか出てこないので、もし、定年後、自由になったら何をしたいのか?にアプローチを変えてみたのです。残ったのは”大学院の勉強のやり直し”と”プログラム”でした。このプログラムは大学院で研究をしていた頃に覚えたものでまとめると”大学院までに積み残したことや、卒業や就職を優先するあまり、深く学べなかったことをやり直したい”という大きな目標がたちました。ただし、働いている今、フランクリンプランナーのがんじがらめの予定をこなせるかどうかは微妙なところです。

 

疲労の錯覚

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 最近、何事にも粘りがなくなったと感じますが、その大きな原因は眼精疲労と睡眠時間にあると思います。加齢で老眼なので仕方ないのではないか?と少し諦め気味でしたが、眼精疲労が眼を酷使した結果だとしたら、それは根本原因を突き止めて改善すべきかと思い、色々、試して様子を見てきました。結果、私の場合は、支配的な眼精疲労の要因は会社でほとんど休憩なしに向き合っているPC作業、仕事が終わった後もプライベートで使用しているMacでの作業、そして、待ち時間が少しでもあればネットサーフィンしたり、就寝前に習慣になってしまっているYOU TUBEなど、スマホの過剰な依存に原因があるということで間違いない様です。

 最初は何事にも脳疲労が原因だと思っていたのです。脳が何らかのストレス受けることで、何事にもやる気がなくなり、あたかも体が疲れているかの様な錯覚を起こして体を休ませようとする現象のことです。何かし始める前からすぐに横になりたいというパターンが多かったし、比較的、好きな”ギターを弾いて歌う”ということを無理やりにでもやり始めるとその疲労感が無くなっていくのに気付き、好きな事ならばできるので、モチベーションの問題だと思っていたのです。ギターを弾くという行為は、ただ、自室に行って、Macを立ち上げてDisplayに歌詞を映し、好きな曲を選んで歌えば良いだけなので、勉強やこのブログの様に何か考えてOutputするという行為ではなく、脳の負担は比較的少ない行為です。しかし、これすら、やり始めるまで若い頃と比べてすごく億劫なのです。歌い出せば楽しいのに、やり始めるのが億劫というのは脳疲労ではなく、何か他に原因があると思いました。一方、テレビを横になって観る行為は全然、億劫ではないです。別にそれがとても観たい番組でも何でもないのに、ギターを弾いて歌う方が明らかに楽しいはずなのに、ギターを弾き出すまでが億劫というのは何なのか?と考えていました。おそらく、ギターを弾きながら歌うという行為はテレビを横になって観るよりも肉体に負担をかける行為だとわかっているから億劫なんだという結論に至りました。つまり、楽しいと思っていることでも肉体に負担がかかりそうなことに脳でブレーキがかかって、なかなか、やろうという気力が湧かないということに気づいたのです。

では、ランニングはどうなのか?特に今の寒い時期、外に出るのも億劫です。しかし、ギターを弾くよりも肉体に負担がかかることが明らかなのに、習慣になっています。肉体に負担がかかると脳が判断した行為全てにブレーキがかかり、なかなか、やり始められないというのであればランニングもとっくに止めていてもおかしくないのですが、これは続いています。おそらく、やらなければならないこと(つまり義務)になっているからだと思います。走ることをやめると、食事制限したり、太ったりと、もっと自分にとって嫌なことが起こる。だから続いていると思います。

 いずれも、続けられるのは、やれば楽しいか、やらなければ嫌なことが起こる事ばかり。その行為を始める前より疲れるのは確実だけど、それに足る何かが行為の結果、得られれば、その行為を難なく始められるということ様です。だから、仕事も英会話もランニングも義務的に続いている。そして楽しいことがわかっているギターはたまたま、”やれば楽しいので、じゃあやってみるか”のスイッチが入れば、やれてきているということになります。ところが同じギターでも”作曲”とか”基礎練”はどうでしょう?”作曲”は”面白味”が出てまでに相当、時間がかかるし、機材を毎回セットするのに準備がいるし、TAB譜通り忠実に運指する”基礎練”はスポーツのそれと同じで、全く楽しくはありません。つまり、義務でもなく、楽しそうに思えないことはなかなか始められないということがよくわかります。

 それで話は眼精疲労に戻るわけですが・・”面白い域に達しておらず、努力を要する段階にある勉強”は脳が”肉体的に疲れることはないと信じ込める環境”と”これをやらなければ後が苦しくなると感じる義務感”が必要だと思い、当面、克服すべき疲労は眼精疲労だと思っています。勉強は考える以上、脳は疲れて良いのですが、その前に目が疲れてブレーキがかからない様、PCやスマホに向き合う時間を最小限にしたいと考えています。

万年筆

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 私は落ち着いて書きたいシーンでは必ず万年筆を使います。愛用しているのは以下のモンブラン マイスターシュティンク ル・グランで昔、146と呼ばれていたモデルです。ペン先はニブと呼ぶのですが、私は一番細いEF(Extra Fine)のものを使っています。PilotやSailorなど国産ならばFやMを選び手帳やノートに漢字を書いても潰れず読めますが、モンブランやペリカンなどの海外メーカの場合、Fでも国産のM以上と思っていた方がよく、もしMを選ぼうものならば、まず、漢字で文字を書くことが難しいと思います。まぁ原稿用紙にマス目を気にせずサラサラと文章を書く小説家などは良いのかもしれませんが、普段使いには向いていないでしょう。インクは昔はミッドナイトブルーというやや黒に近い藍色の様なインクを好んで使っていたのですが、最近は明るい青のロイヤルブルーを使っています。会社でサインをする場合、海外むけのレターや議事録は青色が一般的で黒色はあまり使われていないというのもあります。

 

 何故、書きやすく、筆跡も万年筆とさほど変わらない安価な油性や水性のペンが多く出回っている時代に万年筆なのか?何がいいのか?とよく聞かれます。メンテに手がかかるし、万が一、固い床などに落としてニブ先を曲げてしまったら、交換に2-3万円は覚悟しなければなりません。ボールペンの様に筆圧をかけて書くとニブ先が潰れたり、インクフローが悪くなります。インクを吸入すると必ず手を汚すし、乾かさずにページを閉じると見開き左半面に書いた文字や文章のインクが右半面に写ってしまうことがあるので以下の様なブロッターと呼ばれるインク吸取器を持参しなければなりません。安いノートでは裏抜けして万年筆で書いたページの裏ページに続けて書けない場合もあります。

 そんなこんなで仕事でメモを取ったり、何か思考しながらノートにガンガン書きたい場合に、万年筆は実用的とは言えません。質問する人はおおむね、そこを勘違いしているのですが、この様にメンテに手間がかかり、心を落ち着けて文字をゆっくりと書くという精神で向き合わない限り言うこと聞いてくれない大人の女性の様なところが良いのです。そして、万年筆は軸育という楽しみがあり、だんだんと自分好みの書き味にニブが馴染んできて、使えば使うほど、自分にとってのみ書きやすいペンになるのです。そうなのです。わがままなお嬢様がだんだん自分好みの女性になっていくあの妄想の世界がこの万年筆にはあるのです。

 最初、私は品質の良い、細字に適した国産メーカが良いと思っていました。国産ならば関税が価格に乗ってきませんから、たとえば10万円のモンブランの品質に相当するPILOT万年筆が5万円程度で手に入ります。しかし、それを所持したり、人前で使っている時にPILOTが自分のステータスを表現してくれる一品か?と考える様になったのです。よく考えると万年筆は時計やスーツと何ら変わらないステータスを表現するアクセサリーに近いものなのです。ある時から同じ品質でも高いモンブランが良いと思う様になりました。私は贅沢かもしれません。しかし、私は高くて手間がかかって気分屋でも、このモンブランが大好きです

ランニング

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もう 15年ぐらいは続けているといると思いますが、私は週4回のペースで5.3kmの距離を走ることを習慣にしています。昔は雨天を除き、毎日走っていたのですが、さすがに50代になってだんだん疲労感も残る様になってきたので、月水金の出勤日は昼食を抜いて、通勤で歩数も稼いで、走ることは控え、在宅勤務の火木と休日の土日の週4回に減らしました。さらに昔は5.3kmを 25分-26 分で息もゼーゼーと上がるほど心拍数をバリバリに上げて走っていたのですが、これが疲労感の主因であることがわかり、今はスロージョグに変えています。以下のコニカミノルタのHPによれば大体、150-160拍/分を維持して走った方が良さそうだったので、Apple Watchのワークアウトで計測しながら走っています。

(URL) https://www.konicaminolta.com/jp-ja/athlete/running/sports_safety/004.html

 長崎はご存知の方も多いかもしれませんが、坂が多い街であり、私のコースもアップダウンが激しいコースです。往路はほぼ登りで折り返しに到着すると、昔はボロボロになっていました。今は心拍数を抑えているので、そこまではないのですが、この心拍数というのはApple Watchが正しく計測できていると仮定すれば、必ずしも息苦しさとは一致していません。呼吸が苦しくなくとも、例えば早朝に起き抜けで走ったりすると走り出しの頃は心拍数だけが一気に170-180拍/分まで上昇していて驚かされることがあります。快調に走っているし、何ともないのですが、一応、用心のためにペースダウンします。想像ですが、ポンプである心臓が頑張って血液を全身に押し出してくれているからこそ、酸素不足にならず苦しくないのではないでしょうか?しかし、一方で心拍数が上がれば上がるほど、走った後に残る疲労感は大きくなることがわかっていますから、走っている間は快調だったとしても、その日は倦怠感で何もできないという状況になれば本末転倒です。

私が走る目的はアンチエージングと体重維持です。やはり、好きな食べ物を制限しなければならないというのは、カロリーを制限すると同時に必要な栄養も不足することになるため、結果、スタミナ不足や老化に繋がります。もう若くないのだから、ウォーキングにしたらと妻からも言われますが、ウォーキングは同じ距離を往復するのに時間が2倍の1時間になりますので、せっかちな私はその30分の時短をどうしても譲れないのです。おそらく、老化で弱る足腰の筋肉を維持し、太らない様にするだけならば、ウォーキングで良いと思うのですが、黙っていても、その時が来ると思うので、走れる限り走ろうと思っています。

 もう1つ心配は以前ほど足が上がらなくなったことによってすり足になりがちで、つまずくことが増えたという事です。骨折するほどではないですが、本当によく転ぶ様になっています。でも、まだ走り続けたいと思う、今日この頃です。

独学再開

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 9月半ばからWordPressでホームページを作成したり、MacをIntelからM1に更新する検討や、M1 Macbook Airを 購入後もカスタマイズしたり、Photoshopなどのアプリを試用したりしているうちに、11 月ももう半ば。気づけば、2ヶ月が過ぎていました。

 この間、NHKのラジオ英会話以外の独学は全てやめていましたが週末に計画を立てて来週から再開したいと思います。”就職や修論を優先する余り、大学院の研究でやり残した事”や”卒論や大学院への合格を優先する余り、雑に専門書を読んで本当は理解できていない事”などを売らずにとってある専門書を今一度、読み返し、やり直してみたいと考えています。うちは高校卒業時点で余り裕福とは言えず、弟もいたことで、県外の大学に行くことはできませんでしたが、それでも奨学金で工面する条件で両親は大学院まで出してくれました。本当は修士課程から博士課程へ進み、パワーエレクトロニクスや自動制御理論を専門とする研究者になることも考えていたのですが、このまま、あと3年授業料を出して欲しいともいえず、企業奨学金は修士課程までということもあって、奨学金を出してくれた企業に就職して今があります。大学院の2年間は楽しくもあったし、本気で研究に没頭した期間でもあり、お金はないけど、このまま続けていたかったという思いが卒業して30年も心の中に残っているわけです。会社では、技術系であっても、大学で研究をするような仕事の仕方はできず、納得いかない事はきちんと理解するまで先に進めないという様な研究者魂はなかなか受け入れられません。だんだん、自分がいい加減でせっかちで利害を主体に物事を進める様になってしまいました。言い方は悪いですが、”だんだんバカになっているな”と感じながら働いてきた感じです。

 50代に入ってあれだけ多忙を極めた仕事も、だんだん落ち着き、時間に余裕ができると残り少ない会社での立ち位置や定年後の余生を過ごし方を考える様になり、この独学を思いついたわけです。勉強をやり直す独学は過去3年程、何度かチャレンジしては挫折することを繰り返してきています。1つは晩酌を習慣にしていることで仕事が終わるとどうしてもそっちに逃げたくなり、挫折しました。晩酌をやめて約3ヶ月が経ちましたが、外食してもアルコールを欲しなくなり、再開するには良いタイミングだと思います。もう1つは晩酌をしなくても仕事が終わった後、机に向かう気力が湧かず、眼精疲労もあって工学系の専門書を読み続けられないという事です。物事を深く考えようとする根気がないという感じです。高校生の娘を見ていると学校から帰って、ちょっと甘いものを食べたら、すぐに机に向かって宿題やったり、塾に行って勉強したりできている、20代までは普通にできていたライフスタイルが非常に難しいのです。じゃあ、少し仮眠をとったあとやろうとしてベッドに入ると疲労感を感じているのに眠ることはできません。この疲労感はまだ原因も対策もわかっていないので、来週から再開しても同じ結果になるのかもしれません。

 計画は例えば”電気磁気学の専門書を1日に5ページずつ読む”と計画を立てても、それは絶対に計画倒れになります。もう少しロングスパンで”電気磁気学の専門書の第一章を2週間で読んでノートにまとめる”という様な計画にしなければ、毎日、5ページを理解しないまま読んだことにしてしまう可能性があります。専門書は毎日決まったページ読めるものはなく、小骨の様な引っかかりがある部分とスムースにほぐれる部分が出てくるのが常ですので、これまでの挫折はこの1日何ページ読むという計画にあったと反省しています。退職後もお金をかけず毎日、続けられる趣味としてこの独学を今回は是非、継続したいと思っています。

貢献できる働き方

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 上司に仕事を命じられたとき、部下はそれを断る権利は、まず、ありません。上司はこの仕事を、あなたならばできると評価し、仮に途中であなたが何らかの理由で業務遂行困難になっても、引き継げるレベルにまでは仕上げて撤退してくれると信じて依頼しているはずです。つまり、あなたに仕事を任せる上でその失敗のリスクは極めて低いと判断しているわけです。しかし、その好評価とあなたの受け止め方は全く別物でこんなクソ忙しい時に、何故、自分にばかり仕事をふるのだ?しかも、緊急の要件ばかりを持ってくるが、もしかしたら、リストラが道義的に難しいので、失敗させて、自ら退職を申し出るのを待っているのか?と疑心暗鬼になることもあるかもしれません。

 では、自分にとっては身に余る、責任の大きな立場や役職に推薦された場合はどうでしょうか?これは個々の仕事の指示や命令とは違って会社における1つのキャリアップを提案されているわけで、特に今の時代は上司は無理強いできないし、部下であるあなたも断る権利はあります。もちろん、その権利とは裏腹に個人的な感情までは縛ることはできませんから、断り方次第で、その上司の風当たりがあなたに対して強くなったり、不機嫌になったりする事はパワハラにならないレベルであるのかもしれません。私も覚えがあります。ある部署の課長への推薦を断ったのですが、私はその時、管理職などになって、技術から遠ざかり、黒も白と言わなければならない様な世界では、自分は絶対に幸せになれないという確信がありました。子供も小さく手がかかり、夫婦共働きで家庭が忙しかったというのもあります。課長の自分を管理し、査定するその直属の次長や部長という人たちは自分にとっては信頼できない人だったというのもあります。

 しかし、その部署の課長を断って2年後だったと記憶していますが、今度は自分が信頼している別の次長から”君が管理職を拒んでいるのはわかった上で、お願いしたいのだが、この部署(断った部署は別の部署)の課長を有期で受けてくれないだろうか?実は、あてにしていた候補がご家族の介護にウエイトをおかなければならなくなったのだ。助けてくれないか?”と相談があったのです。私は何も聞かず、ただ、その次長の力になりたいと思い2つ返事でOKしました。私はこの次長と一緒にここまで事業を成長させてきたという自負もあったし、何よりもこの次長に若い頃、大変迷惑をかけ、世話にもなったという思いが強く、恩を返すのは今しかないと思ったのです。同じ課長への推薦なのですが、全く2年前とは違い清々しい気持ちで受けました。

 仕事のモチベーションは自分が誰かの役に立ち感謝されているということに気づいた時にMaxになるのは間違いありません。私の経験では給与やボーナスが上がったとか昇進したなどは、一瞬でその幸福感も消えてしまい、際限のない欲望だけが残ります。何故なら、それはただの結果に過ぎないからであり、極端にいえば、邪な気持ちで正しい道ではない道を選んでも、出世したり、所得を増やしたりすることはできてしまう場合があるからです。一方で出世や所得度外視で人や組織のために自分は貢献していると感じながら、日々、仕事を遂行したり、与えられた責任を果たそうと努力している事は何事にも変えられない最高の幸福感や充実感に満たされ、ストレスも減り心地良いものになります。貢献できていると実感できる働き方をしたいと思う人は自分は一体、この会社で何ができるのか?ではなく、何を求められているのか?を考えながら働くのです。また、前述している通り、どんなに威圧的に命令され様が、所得を倍増され様が、そんな事では部下は思い通りに動いてくれないことを管理者の皆さんは意識していた方が良いと思います。

M1 MacBook Air 13″使用感 その1

 M1 MacBook Air 13″ (SSD:256GB , メモリ:8GB)を97,680円で購入し、Intel Corei5 Macbook Pro 13″(SSD:512GB, メモリ:16GB)を74,000円で売りましたので結果、23,280円でM1 Macbook Airを手に入れました。まず、 Geek Benchは以下の結果でCPUもGPUも格段に性能アップしています。Intel Macbook Proのスコアは11/2のブログにアップしている通りで、CPUはSingle:1022/Malti:4368でGPUはOpenCL:8530/Metal:10470でしたから文句無しのスコアです。ちなみにどこかで詳しく紹介したいと思いますが、外付けDisplayはDisplayLinkで2台繋ぎ、クラムシェルで計測しています。

 SSD:256GBで良かったか?については、Logic Pro Xをフルパッケージ、その他、Photoshop、iMindmap及びEdraw(CAD Soft)をインストールして残量が100GB以上残っていました。今後、制作するデータは外付けHarddiskやiCloudへ保管するので、256GBで十分だったと言えそうです。ちなみにMacOSはBig SurからMontereyにアップデートしています。

 次にメモリ:8GBですが、Photoshopで選択→反転→背景の塗りつぶし→テキストの追加を実施したときの使用状況は以下の通り。最大で6.87GBとやや危ない状況まで行きました。さすがにSSDとのスワップやメモリリーク、最悪は容量不足による強制終了などはなかったですが、M1にしてはややもたつく感じはあります。しかし、編集がやりづらいというレベルではありません。Thinking Timeでレインボーマークがしばし回る程度。吊るしモデルを20,000円台 で買ったのだから、これくらいは我慢できます。本体温度も高温になっておらず、バッテリもほとんど減っていませんでした。

第一印象として、Photoshop、Logic Pro X及びXCODEでPythonしか使わない私の場合、最も安価なこのモデルで十分だったと思っています。

痙攣性発声障害3:甲状軟骨形成術

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 前回はリハビリを約1年続けた後で一応、見切りをつけ、京都の”ひろしば耳鼻咽喉科”で手術を受ける決断をしたところまで書きました。やり取りしたメールを追うと2018年9月24日に以下のリンクにある一色記念ボイスセンターの問診をWebで受け、録音した音声データを送ったのが最初でした。一応、これまでブログに綴った様な経緯をある程度、要約し、メールに添え報告しました

(URL) https://www.hiroshiba.com

 2018年10月に一度、手術前の診断を受け、この病院でもスコープで確認した結果は”外転型痙攣性発声障害”という事で手術によって完治は難しいが、改善は見込めるという事を告げられ、2018年12月14日に手術日を決定しました。術式は以下の甲状軟骨形成術 1型で決定し、要するに声帯を動かす軟骨を削ってクリアランスを狭め、声帯の開き過ぎを抑えて声を出しやすくするという手術です。逆に内転型の患者さんは発声時、声帯が締まりやすい傾向にあるので声帯が広がる方向にチタンブリッジを装着する2型となり、その他、症状によって3型と4型がある様です。

 手術は局部麻酔で喉を3cm~5cmほど切り、発声しながら骨を削るという手術になります。時間的には手術室に入ってから3時間程度だったと記憶していますが、時間については少し曖昧です。手術中、激痛を伴う様な事は私の場合はなかったし、麻酔の注射が痛かったという覚えもありません。ただ、グラインダーやノミで骨を削る音や振動がリアルに聞こえるので、そういうのが極端に苦手な人は怖いと感じるかもしれません。気持ちが悪いというのは多少あっても、痛みがないというのは間違いないです。更に声帯の開き具合を調整して削るので削る前にどの位置まで狭められるのかを鉗子等の手術道具で動かしながらチェックします。その際に気道がふさがる様な息苦しさを感じる場合がありますが、実際は片側ずつ締めていっているので完全にふさがる事はなく、呼吸には影響ありません。これも、そういう感覚の問題であって、もし、もう1回やったら、そういう恐怖感は減っていると思います。

 手術後、1日入院するのですが、翌日には固形物を飲み込める様になっていました。手術から1週間は全て筆談となり、話す事は禁じられます。きっと苦痛だろうなと思っていたのですが、会社を休んでいるので、そこまで苦痛ではなかったです。2週間後に抜糸となるのですが、京都まで抜糸の為に行くわけにはいかないので、近くの外科に紹介状を書いてもらい、そこで抜糸しました。手術後、1ヶ月、3カ月、6カ月そして1年とスコープによる診察がありましたが、発声時に期待した上限までしか開いていない事は確認され、この手術で一定の改善は見られたという事になりました。確かに声はリハビリ当時より低音が響きやすく、出しやすくなりました。今日はここまでとします。次回は手術後 約3年経過した現在の状況を綴ってみたいと思います