定年後の練習

今、会社は連休に合わせて夏休み中なのですが、妻は帰省中、娘は夏休みの補習と部活で私は1人で家にいます。毎朝、5:00に起きて、歯磨き+洗顔後、洗濯物を畳んだり、猫の餌やトイレを替えたり、家事のルーチンをこなして、腹筋と腕立て伏せまでやると5:30になります。そこから、5.3kmのRunning。帰ってきたら、娘を起こして、娘がシャワーを浴びている間に簡単な朝食の準備をして、彼女が食べている間に風呂に入ります。登校する娘の方が風呂の優先権がありますので、この時間はRunningで汗をかいたまま、淡々とルーチンをこなすことにしています。今日は土曜日なので朝から掃除機をかける仕事も追加されます。こうやって娘が家を出る7:00過ぎまで起床から約 2時間、あっという間に過ぎていきます。在宅勤務の時は、夏休みの今と同じ様なルーチンでいけるのですが、出勤の時は公共交通機関を利用する私は6:00に家を出る必要があり、腹筋と腕立て伏せ後は軽く朝食をとって、NHKラジオ英会話をやって出勤です。今年の夏休み期間は妻も娘もいませんので7:00以降は好きなことに使えます。月〜木まではNHKラジオ英会話をやった後、このブログを1日置きにアップして、大体、自動制御系の設計を考案したり、プログラムを作って解析したりしています。昼食後も大体、これがメインなのですが、16:00にはショートコースのRunningにいきます。朝のコースで往路の折り返し地点までの上り坂500mを登らず、折り返すので往復で1kmほど朝より距離が短いのですが、1日のカロリー消費は400kcalの目標に対して750-800kcalとなります。家にいると、どうしても昼食を摂りますので、それを消費する為に、夕方のRunningを最近、追加したのです。買い物などに出れば、その分、歩くので、まだ、良いのですが、夜の晩酌をカロリーを意識せずに楽しむには、昼食を完全に抜くか、夕方走るしかないと思っています。出社していると昼食を食べたいと思わないので、おそらく、夕方Runningをすることはないと思います。もう1つ夕方に追加になったのがギターの練習です。朝昼で机上は完全に学習モードになっているので、机上の専門書やノートなど片付けて、これを音楽モードにする必要があり、最近面倒だなと感じます。ギターを練習するにも、楽曲作りをするにもMacは必要なので、机は共通なのですが、ちょっと狭いと感じています。こうやって17:00〜18:00には晩酌がスタートするのですが、最近、わかったのが、焼酎がRunningに影響がありそうだということと、ビール350ml 1缶+赤白ワインをグラス 2杯がちょうど良いということ。昨日は白ワインを通常より1杯追加して3杯飲んで寝たら、夜中にトイレで起きた時に、アルコールが残って気持ちが悪かったのです。やはり、年と共にだんだん飲めなくなってきている様です。ほろ酔いが目的ですので、酔いを感じたところで止めておくというのが丁度いいのかもしれません。焼酎は飲んでいる時はどんどん行けそうな気がして、飲み足りない感じになり、調子に乗って飲み過ぎてしまうのがいけないのか、Runningの時、何とも言えない気だるさがありました。一旦は焼酎にしようとしましたが、結局、ワインに戻しました。こうして、私の1日はあっと言う間に過ぎますが、やはり、お金はそんなに必要がないことがわかります。雰囲気を変えてスタバで英語や大学の専門書などの勉強をしたとしても、せいぜい、1日1,000円程度の小遣いで十分だと思います。家族が居ないと外出せず、食事も家の中にあるもので済ませようとしますので、その影響も大きいと思います。どうしても、譲れないのは知的好奇心が湧いた時に知りたいという衝動であり、本やノートを買うお金だけは何とか捻出したいと思いますので、1ヶ月に専門書 2冊分の5,000円はスタバ代とは別に小遣いとして持っておきたいですね。こうやって定年後の練習をしてみてわかるのですが、今の健康状態を維持できていれば、会社をやめても絶対に退屈することはないという自信があります。従って、妻も良いと言ってくれるので、今のところは60歳になったらスパッと退職しようと企んでいます。

やりたい事:ギターを基礎から

 元々、いつかやらねばと思っていたことの1つにギターを基礎から練習するというのがあります。私は中一からギターを弾いてきました。しかし、先にフォークギターを始めていた同級生に影響され、彼が我流で弾いていたため、私も基礎から学んだという経験はありません。当時、出版されていたギターマガジンのTAB譜と雑音の多い、カセットテープの音を耳コピーして、こう弾いているんじゃないかなという探り弾きでフォークソングや歌謡曲をコピーしていたわけです。ギターを弾くならば当然知っておくべき、基本的なスケールも知らず、コードもMajorとMinorにせいぜい、7thを乗せる程度でした。だから、どんなに複雑なコードが楽譜に書かれていても、C(major)、Cm(minor)、C7、Cm7のどれに近いか?を聞き取って、誤魔化してバッキングしていたし、リードギターはカセットから聞こえた通りの音のフレットを探して弾いていました。オリジナルキーに#と♭が出てきたら、C#はカポタストを1フレットにつけて半音上げてCで演奏するし、カポを2フレットにつけてAで弾けばC♭になります。1980年代の長崎は市街地の浜の町付近でギターを売っている様な楽器屋が、覚えているだけで5店舗もあり、各店舗にはそれぞれ、店員で凄腕のギター弾きのお兄さんが居て、接客がない時はひたすら音楽談義をしながら、ギターを弾いているので、彼らから習ったり、盗んだりというのもありました。高校になるとバンドを組むことになるのですが、私はボーカルでしたから、ギターは伴奏程度、弾ければいいし、自分が弾かなくてもバンドには2人もサイドとリードのギターリストがいた為、ギターの腕を磨こうとしたことは一度もないわけです。当時、私が歌っていたのはハードロック系の音楽なので、そもそも、ギターを弾きながら歌うというのは難しいというものありました。大学になるとオリジナルソングを演奏するバンドを組むのですが、最初は量産出来ていた自作の曲もだんだん弾切れになっていくのを実感しました。幸い、ギター担当も曲を作ってくれるので作詞さえちゃんとやれば大目に見てもらえるのですが、何で自分の曲はこんなに単純でつまらないのか?と行き詰まりを感じる様になったのです。それは、作曲の時に自分から自然に出てくるコードやメロディーのバリエーションやギターの弾き方に原因がありました。日本のフォークソングや古いハードロックのコピーばかりをやっていたわけですから、私が大学の頃にノリの良いと言われ万人に受けるコード展開やリフというものを全く勉強していないし、自分のもつそれらはバリエーションが少ないということに気づいたわけです。メロディを作る上でリードギターを弾ける方が有利だとも思う様になりました。そしてギターの腕を上げたい、1から練習したいと思いながら、道半ばでバンド稼業から足を洗い、今の会社に就職して30年が経ってしまいました。ここ5〜6年ですかね、また、創作意欲が湧いてきて曲を作ろうと思い、何度かギターを基礎からやり直す事にTryしましたが、歌っている方が楽しいし、得意なので、結局、気づいたら歌っていて、ちっともギターの練習になっていないというのを繰り返していました。そして、今度こそはと思い、会社の夏休みを利用して練習し始めました。ブルースギターのリフをそれこそペンタトニックスケールだけで数パターン、目をつぶっていても弾けるまで同じリフを繰り返し、繰り返しやろうと決心しています。一度弾けたら、そのリフをやめてしまうというのは今回は一切なしで、自然に手癖として弾いているというのができるまで先には進まないことにしています。最近買った、BossのLoop Station、RC-5もあるのでこれを使って1人セッションもできる。環境は十分です。

ブログタイトル変更:変わりたい自分と踏み出せない自分

 ブログタイトルは本当に悩むのですが、今回からタイトルを変えました。”変わりたいと自分と踏み出せない自分”です。自分の心のうちをまんま表現しようとしたら、やはり、”自由な不自由人”でも”Rock’n Break Through”でもないなと反省しました。バンドや曲のタイトルならば、こんな曖昧なものでも良いのでしょうが、私がこのブログで表現したかったのは、”何か現状の自分にこんなはずではないという思いがあって、変わろうとするんだけど、なかなか、その一歩が踏み出せない。その踏み出せない原因が、恐怖なのか、飽きなのか、気力の問題なのか・・”という中年男のジレンマの様なものです。若い頃は何にでも躊躇なくTryし七転び八起きで立ち直ってはまたTryするというアクティブさを持っていたと思うが、最近は七転八倒したまま、立ち上がれないのではないか?という不安が先に立って躊躇するし、仮に心機一転、何か始めることが出来たとしても、それに寝食忘れて没頭する気力がなくなり長続きしない自分が不甲斐ないと感じてしまう。そんな思いを綴りたかったのでした。特に同世代に少しでも共感してもらえるならば、嬉しいなと思いながら書いています。問題は何事も”あぁそれならば、知っているよ。あれでしょ・・”と悟り切った様に何事もThe Endにしてしまい、それを掘り下げることも多面的に観察するということも忘れてしまっている、凝り固まった脳。だから、とにかく興味の沸いたことをこのブログに残して発信したいと思いました。ブログは読者にとって役に立つ記事であることが前提であるとよく言います。しかし、一方で自分がブログに書きたいと思ったことは、それがわずか1日、2日であっても、興味が沸いたことでもあるわけで、その単発の興味をストックしたり、あわよくば、読者から、さらに広げてもらったりすることは、自分にとっても良いことだと思いました。そう。このブログの源泉は、人様に影響を与えるなどという烏滸がましいことではなく、自分を変えたいという思いだという正直な気持ちに今更ながら気づきました。だから、このタイトルが最も相応しいと納得したので、これから、”変わりたいと自分と踏み出せない自分”でいきたいと思います。そして、作詞と同様、思ったことを正直に書き続けますので、今後とも宜しくお願いします。

時代で変わる正義

 作曲家の小山田圭吾氏が、若いころ、障害者の同級生に対するイジメの実行犯だったことを1990年代の週刊誌に武勇伝に様に語っていたことに世間が批判が集まり、ついに彼の楽曲はオリパラ開会式で使用しないという結論になりました。私はこの結果を見て、時代は変わったなと思いました。昨日7/19まで、実行委員会はオリパラ開幕をあと4日後にひかえている状況を考慮し、彼の曲を採用する方針を変えないという結論を出していたものを、たった1日でひっくり返したというのは、SNSのインパクトの大きさを感じますし、いかに、今の世の中が、コンプライアンス重視になってきているかがよくわかる事件でした。街頭インタビューで答えていた人達がテレビに映っていましたが、特に20代-30代は”この人のやったことは信じられない。障害者が主役のパラリンピックを考えた場合、続投は絶対にありえない。”という意見が多かった様に思います。期限重視のおやじ達に鍛えられた、私らは、どちらかと言えば、ここまでやってきたことを全部、白紙に戻し、新たに作曲家を連れてきて、1から楽曲を作り直すなんて、ありえないだろうし、昨日までの実行委員会の判断は当然だと思っていました。それが1日で覆ったという事は”間違いは間違いとして認め、きちんと襟を正し、あえて厳しい選択をする”という人として当たり前の事が、これまでは建前としてきた部分まで、実行される様になったという事。今後、日本が清く正しくお天道様に恥ない生き方をしている人達が絶対に損をしない国になる事すら予感させます。今まで私も仕事では随分、ルール違反を強いられてきました。本音と建前をよくわきまえて行動する事が真の大人という評価をされ、ルールはルールと、現実的な工程やコストを重視するがゆえに、ルールが軽視されていた時代も現実にあったのです。品質は最後にお客さんに製品を納入する時に80点以上のA判定となればよく、まずはC判定で出し、途中は軌道修正しながら、とにかく工程を守って納入できたということが誉であると教えられていました。私は元々、大学院でデータ重視の日常を送って就職しましたので、この感覚が許せないと思っていた方です。私が就職した年はまさに、この小山田氏が音楽会で脚光を浴びていた1990年初頭のの渋カジ時代。バブルが弾けた直後でしたが、世の中は活気に溢れ、多くのお金が出回っており、細かい事をいう人は野暮とされていた時代です。派手で声が大きい人が優位に立てる時代であり、私の会社もその様な人が牛耳っていた様に記憶します。入社して3年ぐらいですかね、その時代にも社風にも馴染めませんでした。根拠のない状態で仕事が進んでいく事が不安で仕方なかったのです。生きる為にだんだん、その派手で声の大きな人を演じる様になりました。本来の自分ではないので、すごくストレスがかかり、仕事は進めやすくなった反面、そういう人に見られている事が嬉しいとは思いませんでした。ようやく、本来の自分に戻る事ができたのが、過労死とかワークライフバランスとかいう言葉が聞こえ出した、15年くらい前、40歳になったころだったと思います。娘も生まれたばかりだったので、世の中の風向きは追い風だと思いましたよ。また、不景気になると決まって会社に現れるのが企業コンサルという商売の人たちでデータで煽っては改善を求めるため、数値で可視化する事を求められる様になりました。しかし、これも自分にはうってつけでありであり、元々、理系とはかくあるべきという信念でしたので、非常に住みやすくなったと感じました。データや図解で特に力のある幹部クラスを説得し、自分の方針を実行してしもらう事に快感すら感じていました。一方で、そういう風潮に変わって、創造性という点で面白みがない仕事が増えたというのも、また事実で、同時に魅力ある個性的な人たちが少なくなっていった気がします。そして、今度は、とことん、コンプライアンス遵守の時代へ移行している象徴がこの事件ではないか?と思いました。良否の判定基準はデータではなく、ルールと曖昧な倫理観です。少しでも守っていない有名人や公人が現れると顔が見えない一般人からSNSで袋叩きに合う。袋叩きにされた公人はもはや、一般人以下の扱いであり、次は政治がその公人や有名人なりを権力で舞台から排除する。排除しなければ、政治に矛先が向くから。ルールや正義を定義する人の責任は重大です。1人の人間の人生を左右する。注意を要するのはルールや正義は時代で変わる事です。

Boss Loop Station RC-5

 意を決して、今日、Amazonでギターのエフェクタの一種であるLooper(ルーパー)を購入しました。ある曲でAメロ:4小節x2回、Bメロ:4小節x1回、最後にサビでCメロ:4小節x2回、間奏にAメロ:4小節x2回の様な曲があったとして、Aメロ、Bメロ、Cメロを必要な数だけ繰り返せば、その曲の1番から間奏まで出来上がります。この繰り返す(ループさせる)エフェクタがLooperと呼ばれるものです。まず、Aメロを4小節 x1回演奏し、録音します。RCシリーズの場合、録音は(1回目)1,2,3,4→(2回目)1の(1回目)4の終わりではなく、(2回目)1に入る前のブレス(→)で録音停止するというのが、大事な様で動画などで見ると(1回目)4の終わりで切った悪いループの例が紹介されています。余談ですが、こういう操作は私らの世代は得意で、まさにカセットテープ時代全盛の頃に中高生だったので、どこで今の曲の録音を終わりにして次の曲とうまく繋いで編集するか、違和感をない様にするには、どのあたりで止めておくかというのが、アナログスイッチ的な操作で慣れています。エフェクタの場合は楽器を弾きながらなので、その操作は足になりますが、同じ様なものです。そうすると次が”オーバダブ(オーバダビング)”という操作でこの録音されたAメロを延々、ループして繰り返しますので、ここに必要なギターのバッキングやリードギターのソロなどを重ねていくわけです。ギターの例でいれば、ベースラインがループしている間に自分の気に入ったリフができるまで、練習します。気に入ったリフができたら、そこのオーバダブして、重ね取りできるというわけです。RC-5はリズムマシーンも搭載しているので、リズムマシーンを流しながら、最初、ベースラインを取ることが多いと思います。Aメロx2回を重ねに重ねて自分の気に入った音に仕上げたら、ライブではRC -5は13時間、99ループを保存できるため、Aメロx2回はLooperで演奏させ、Bメロ、Cメロはリズムマシーンだけを生かし、1人で生ギターで演奏、また間奏ではLooperに演奏させるという様な構成で演奏できるわけです。99ループ保存できるのですから、Bメロ、Cメロも最終的にLooperで1曲に繋ぐというもの、おそらく可能なのではないか?と思うわけです。優れているのは、PCへこのLoopを転送できるという点で個別にLoopとして仕上げたものを最終的にMacに送ってLOGIC Proで編集ということもできそうです。

このサイトが詳しいので興味のある方は是非、確認されてください。

臆病と出不精

 私は子供ころから癖で先読みしてせっかちに行動するところがあります。こう書くと頭が良い事をひけらかしたいのか?と誤解されそうなので、補足すると、先読みはその悪い予感が当たっていてせっかちに動いて良かった事もあれば、逆に悪い予感がただの杞憂に過ぎず、せっかちに行動した結果、損をする事も多いです。損とは、もう少し、その杞憂を解消する為に使った時間は他の事に有効に使えたとか、あるいは、もう少し慎重に考えていれば、さらに良い選択肢があったという様な事です。すごく臆病であり、あれも起こるんじゃないか、こういうこともあり得るんじゃないか?という考えが巡ります。知らない土地に行ったり、馴染みのない人と一緒にいると、全く、気が休まりません。海外では特にそうで、仕事と食事、ジムがあればジム以外は、一歩もホテルの部屋から出ることはないです。自分は旅行を楽しめないタイプであることを今更ながら妻と喧嘩して気づきました。国内ならばまぁ我慢はできますが、外国は嫌です。しかし、ただの我慢でしかない。旅先に求めるものなど実は何もなく、若いころ、それが苦痛だと思わなかったのは、好きな女性と夜を一緒に過ごすことができるという非日常を体験できるからだと気づきました。実はラブホでも近場の温泉でも泊まれればなんでも良かったという、ひどい話ですが、若気の至りと言えばそれまでの話であり、ただ、その女性を妄想しながら抱きたいだけ。じゃあ、家庭をもち、その非日常がなくなった今、あえて旅行に行く意味は何なのか?ということになります。行けば無理やりでも、あっちこっち連れ回されますから、新たな気づきや面白い発見もあるのです。ですが、自分からそういう行動を起こす気にはならないです。これは若い頃から同じ。ホテルや旅館の雰囲気とか食べ物とかそういうものにどちらかと言えば興味があるだけで、観光という気分にはなれないです。やっぱり、自分は家庭生活には向かないと思います。娘が小さかった頃は可愛さで我慢できるのですが、もはや、幼少の娘も立派に成長しているので、彼女の好みに合わせることも、もはや、できないし、その義務もありません。そもそも理解できないという感じです。そうなると妻と一緒にということになりますが、部活などで長崎を離れられない娘を1人残してまで旅行にいくこともない。ますます、そういう機会は減っていく一方です。よく定年退職したご主人が奥さんに長年、苦労をかけたお詫び?にと旅行に誘い、退職金を散財するという話を聞きます。長崎などは港町ですから、周りは海で客船の旅などは非常に盛んです。私はこれもできそうにありません。先に説明した通り、長生きした場合を想定すると、私は退職金を散財するほどの度胸はないですし、妻は同業者でいわゆる内助の功という意味で私には貢献していません。週末は食事など一緒に過ごすことが多いですが、日常は私が寝ているときに帰ってくる様なパターンが多いです。そもそも奥でおとなしく家を守っている奥さんと呼べる人ではない。表でバリバリ働く管理職です。長年苦労をかける様なことをした覚えもありませんし、私のことは私がやります。長期出張が多かったので、それが当然だと思っており、生活に慣れきっているのです。料理以外の家事も家を中心に動く私がやることが多いです。料理はやろうと思えば何品かは作れますが、妻が料理をできない時は、1人で食べる分を買う方が安いと気づきました。娘も好きなものを買って食べています。私は自分の住むところは快適にしたいので、掃除も洗濯も苦にはならないのです。自分の書斎が一番落ち着く場所であり、ここでほとんどのことが完結します。臆病と出不精ならば、お金は貯まるはずなのですが、なかなか目標に届かないのは何故でしょうね?

焼酎

1ヶ月禁酒して、また、晩酌を始めてしまいました。やはり、どうも、酒は止められないのかもしれません。何か一区切りつくと飲みたくなります。仕事や健康に影響がある様な飲み方をしているわけではなく、禁酒もやればできるのですが、だんだん、禁酒していることで人生の楽しみを1つ失っている気分になって、また、始めてしまうのです。仕事が終わってRunningに行ったらすぐに飲みたくなるので、仕事が終わったら、やるべきルーチンをやって、Runningすることにしています。晩酌の最大の問題は夜の時間を有効に使えないことなのですが、最近、気づいたのです。言い訳するわけではないのですが、飲んでも飲まなくても夜に何か頭を使う事をする気力は残っていません。Runningに行かなければ、まだ、その気力は多少はあるのですが、Runningに行ったら、もう、ダメだということです。昼間仕事をやっていますので、どうしても、夜は抜きたいと思います。何の為に色々な趣味や独学を今、やっているのか?と言えば、英語は仕事の為というのもあるのですが、ほとんどのことは、定年後、仕事のない日々を退屈せず、お金をかけずに過ごす為です。定年になった途端、仕事に縛られることがなくなり、時間を持て余した挙句、昼間から酒びたりになっている人もいると聞きますので、それを自制する何かは必要になります。きちんと朝起きて、夕方17:00まで何かで縛る必要があると思いますが、それが、私の場合は大学の専門教科や英語の勉強になると思っています。だから、仕事終わりにさらにこれらをやらなければならないとなると、相当ストレスが溜まります。もちろん、仕事の様にやり始めれば、面白いこともあると思います。ですが、本を開き、ノートにまとめる様な作業は結局、自然ではなく、奮起しなければならない。その気力が仕事が終わった後、さらにRunningまでした後で、残っていないのは、特にこの年齢ならば自然だと思う様になりました。体力的なものもありますが、一番は、精神的なもので、脳が働かないのです。だったら、夜はリラックスして過ごした方が良いと思い、飲みすぎない程度に晩酌をすることにしました。晩酌して気持ちよくなると歌おうという気になり、ギターを弾いて軽く歌うことで声帯のリハビリにもなります。高い声で歌いすぎない様に気をつけなければなりませんが、毎日、少しの時間、普段より大きな声を出すことは、痙攣性発声障害のリハビリには有益な様です。同じ様な活動に見えるかもしれませんが、酒を飲んだあと、作曲やギターの基礎練などをする気になりません。私にとってはこれらは英会話や絵をやっている様なもので、同じく、自分を奮起して取り掛かる必要があります。音楽は好きですが、やはり、とっかかりは苦行なのです。晩酌していて気づいたのは、飲みすぎなければワインよりも焼酎のほうが合っているということです。コスパもワインよりは良いです。ビール350mlは欠かせないので、その後、焼酎なのですが、炭酸水とレモンで割って飲みます。グラス4杯、いいちこと白岳です。昨日、その量を飲んで寝ましたが、少し残っていて重い感じがあるので、2杯〜3杯に止め様と思います。ワインは飲んでいる最中にすぐに眠くなりますが、焼酎は飲んでいる当日は快調であり、眠気もほとんどありません。そしてワインは夜間、目覚めることが多かったのですが焼酎はそれが少ない様です。Runningはやはり、禁酒の効果は絶大で、晩酌をしていると多少、辛くなります。まぁ、体型維持の為、あるいは、歳とともに下半身の筋肉を落とさない為に走っているので、早く走る必要はありません。スロージョグならば、晩酌はさほど影響はありません。ちょっと言い訳がましいですが、寝食を忘れ独学する様な真面目な研究者にはなれない様です。

創造と仕事の切り替え

 最近、テクニカルな仕事をする機会があって、プライベートでやっている大学の専門学科のやり直しが役立ったのですが、大学院のころには難なくできていた、じっくりと考え、正しく理解するという粘り強さがなくなっていると感じました。大学院の頃は学会の論文締め切りや最後は修士論文の締め切りという比較的、ロングスパンでの期限というものはあるのですが、仕事の様に1週間ベース、数日ベースで期限に追われるというのはありませんでした。だから、落ち着いてじっくり理解するなんて猶予はほとんど与えれることはないない中で長年、今の仕事をやる癖がついており、60%程度、理解した状態、見切り発車し、一応、期限に間に合わせた上で指摘を受けながらでも軌道修正し、先方に迷惑を掛けないというやり方になっていると思っています。大学や大学院を卒業し入ってきたばかりの新人には、自分でわかっているだけに申し訳ないと思いながらも、じっくり考えて過ぎて期限を守らない社員に育てるわけにはいかないので、60%理解したら取り敢えず何かOutputをする様に指導します。ちゃんと理解するまでじっくり考えろとか、これありきでなくあらゆる可能性を検討せよと指導されてきているであろう大学院生には非常に酷なことだと思っています。自分でも感じるのですが、残りの40%は当たっていることもあれば間違っていることもあるわけで、そこをつかれると痛いわけですが、そこを何とかいなさなければ仕事にならない。大抵は時間稼ぎして、先方に少し猶予をもらい、そこだけに集中して短時間で答えを出すということになります。残り40%を全部理解するまで何も発信しないという選択より、相手が求めている部分だけを調べ答える選択の方が理にかなっているし、遥かに効率的です。結局、相手の求めるパーフェクトな回答というのは100%理解することが必須ではないので、一般的な仕事のやり方としては、これが正しいと思います。一方、大学院という場所は、言えば、未解決事案だけを取り扱う研究機関であり、未解決だからこそ、早計な結論を出すのはふさわしくないわけです。あらゆる可能性をじっくりと熟考する必要があり、時間もかけて良いのです。一方で仕事も何か問題を解決するための需要があるからこそ仕事になるわけですが、その内容は仕様として明確な場合が多いです。何かを新しく創造するということは少なく大抵、結論は決まっています。お金を払ってくれる顧客が求める結果を出すためにその仕事をするわけで、顧客の満足する結果を短期かつリーズナブルな価格で出すということに知恵を絞る以外にないです。明らかに研究とは質が違います。ですが、この仕事の中でこれまでの知見では解決できない事案もたまに出てきます。そうなるといきなりアカデミックなことをやることになり、新たな型紙を作らなければなりません。大学院の様な猶予は与えられないにしても、ある程度、ロングスパンで熟考を重ねる事を求められることになります。この切り替えがすごく難しいと最近、思っています。歳を取るとそういう仕事が増えてきます。つまり、経験や持てる知見を一般化して、形にして欲しいというNeedsなのです。私はプログラムを多少かじっていますので、専門家に委託する前にある程度のデモソフトを作って表現できるという強みがあります。仕様書や補足説明だけで伝えきれないところを実際に動きとして見せて発注できるというのは、かなり優位に立てます。だから、何か生み出す仕事を任せられることが、最近は増えてきています。ありがたいのですが、一般の仕事もあるので、この切り替えに悩んでいるというのが実情です。

痙攣性発声障害:Runningと歌を再開

 Runningはあれだけ声帯に影響あると断言し、”中止を決断”とまで書いておきながら、結局、再開かよという感じだと思いますが、結論として再開しました。疲労は確かに影響ある様なので、走って疲れることは無関係だとは言いませんが、少なくともRunningが声帯を痛める直接の原因ではなかった様です。終盤になると顎が上がって傷口がつっぱり、それが影響するのか?とか、ゼーゼーとなるまでピッチをあげる事で声帯にも影響するのか?とか、色々、疑ってみましたが、どうも無関係の様です。数日休んでも、結局、声を出しづらい時は出しづらかったし、出せる時は出せました。あと、歌もファルセットで無理に出す様なキーの高すぎる曲を選ばなければ、むしろ、歌いすぎない程度に毎日、時間を決めて歌っている方が声帯の位置としては安定する様です。このところ、ブルーハーツ、井上陽水、来生たかお、福山雅治、桑田佳祐、藤井フミヤを3日連続で回しながら、1日に30分程度、歌ってきましたが、翌日、話し易いと感じます。以前は朝から音読をやっていたのですが、最近はやめていたので、趣味がリハビリになるならば、こんなにいいことはありません。今日も自分がメインスピーカの2時間程度の会議を2つこなしましたが、何とか持ちました。日本語の会議はこの程度ならば、何とか支障なくこなせそうです。問題は英語ですね。Siriを英語にして、やりとりをするとよくわかるのですが、なかなか、厳しいものがあります。Siriはマイクの受信レベルとか色々制約があって、普通の外国人に面と向かって話す会話より確実に難しいのですが、出張して会議することができなくなった現在は、Net Meetingしかないわけで、Siriが理解できる英語を話すことを目指さなければ、成立しないと思っています。1つ救いは、iPhoneのマイク付きヘッドホンEar Podの音声は比較的クリアに聞こえている様だという事。まだ、日本語のNet Meetinigでしか試していませんが、PCのマイクや会議机などにおいてみんなで使う無指向性のマイクよりは随分、マシな様です。DMMなどの比較的安い、Net英会話で少し慣れようかとも考えたのですが、ちょっと贅沢だと思い止めました。外国人と気軽にチャットできる無料のコンテンツか、会社に居る外国人とプライベートでも会話できる関係性を気づけば良いのですが、残念ながら外国人も若返っており、友達として付き合うのはちょっと若すぎる。かと言って、私的な目的で、早々、公式な会議を開いて外国人に参加してもらうというのもできないので、やはり少し手出ししても慣れておいた方が良いのかもしれません。聞くこと、読むこと、書くことはできるのですが、話す機会が最近めっきり減ってきているのが気がかりです。今日は雨なので走っていませんが、歌いましたので、明日、どうなっているかが楽しみです。また、違う結論がでるかもしれません。

痙攣性発声障害:ランニング中止を決断

 以前にも疑いを持って投稿したことがあるのですが、息が上がる様なランニングは呼吸器系なのか、疲労の方なのかは定かではないですが、声を出しにくくする様です。今の季節、強い日差しや高い気温の中で走ることが多くなると交感神経が体温を一定に保とうとするため、心拍数を上がります。昨年、秋から思い立ってスロージョグに切り替え、疲労が溜まらない様、心拍数を抑えた走り方を続けていたのですが、どんなに抑えて走っても心拍数が上がる様になってきました。タイムも一時期と比べて5.3kmの距離で2分ほど短くなっている様なので、日差しがきついと熱中症が心配なので何とか早く終わらそうとか、雨が降りそうな兆しを感じると本降りになる前に帰りつこうという様な意識も働いて、早足になっている可能性もあります。以前よりは心拍数を意識しながら走っているのは間違いないのですが、最近、心拍数のピークが180-190拍/分まで上昇します。目標は150拍/分なので160拍/分ぐらいでピークを抑えておかないと達成できません。疲労感が残り、走ったあとは何もしたくないという日が増えてきた様に思います。毎年、GW、夏休み、正月と妻の実家の鹿児島に帰省していた時に感じていた事なのですが、帰省中、1週間程度、走る事もなく、歌う事もなく、普通に3食食べて生活していると声が出しやすくなるのです。帰省しているので親戚まわりや墓参りや鹿児島市内へショッピングなどに出かけたりで結構、身体ともにストレスのかかることは多いのですが、酒、歌そしてランニングをやめていると調子が良いという感じなのです。今は禁酒してほぼ1ヶ月目、歌は1週間程度歌っていませんが、ランニングは続けています。その状態で声が出しにくい状態に変わりがないということは、酒や歌をやめるだけでは改善しないということです。しかし、昨日、出社で帰りが少し遅くなったのでランニングを1日サボったのですが、それだけで、今朝、英会話の練習をしている時に、発声しやすいと感じました。起きたての時が一番、声が出やすいので、昼ごろにあまり変わっていなければ、疲労ではなくランニングによって呼吸器系から受ける影響は大きいかもしれません。晩酌していないので多少、サボっても急激に太ったりすることはないと思うので思い切って1週間休んで試してみようかと思っています。でも、デスクワークばかりで、何もしないというのは、健康には良くないので、日が沈んでから歩くことにします。歩いている時はあまり感じた事はないのですが、走っているとだんだん手術の傷がつっぱってくる事があり、微妙にそういう喉の筋肉なども発声に影響しているのかもしれません。確かに力んでしゃべった跡のつっぱり感と同じ感覚なので、走っている間に同じ様な力みが加わった結果なのかもしれません。この障害は治ることはなく、慣れて付き合って行くしかない。であれば、発声を楽にする様な方法を自分で見つけるしかないです。人前で話すことがなくなれば、もう、どうでも良いのですが、まだまだ、仕事は続ける必要ありです。