疲労の錯覚

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 最近、何事にも粘りがなくなったと感じますが、その大きな原因は眼精疲労と睡眠時間にあると思います。加齢で老眼なので仕方ないのではないか?と少し諦め気味でしたが、眼精疲労が眼を酷使した結果だとしたら、それは根本原因を突き止めて改善すべきかと思い、色々、試して様子を見てきました。結果、私の場合は、支配的な眼精疲労の要因は会社でほとんど休憩なしに向き合っているPC作業、仕事が終わった後もプライベートで使用しているMacでの作業、そして、待ち時間が少しでもあればネットサーフィンしたり、就寝前に習慣になってしまっているYOU TUBEなど、スマホの過剰な依存に原因があるということで間違いない様です。

 最初は何事にも脳疲労が原因だと思っていたのです。脳が何らかのストレス受けることで、何事にもやる気がなくなり、あたかも体が疲れているかの様な錯覚を起こして体を休ませようとする現象のことです。何かし始める前からすぐに横になりたいというパターンが多かったし、比較的、好きな”ギターを弾いて歌う”ということを無理やりにでもやり始めるとその疲労感が無くなっていくのに気付き、好きな事ならばできるので、モチベーションの問題だと思っていたのです。ギターを弾くという行為は、ただ、自室に行って、Macを立ち上げてDisplayに歌詞を映し、好きな曲を選んで歌えば良いだけなので、勉強やこのブログの様に何か考えてOutputするという行為ではなく、脳の負担は比較的少ない行為です。しかし、これすら、やり始めるまで若い頃と比べてすごく億劫なのです。歌い出せば楽しいのに、やり始めるのが億劫というのは脳疲労ではなく、何か他に原因があると思いました。一方、テレビを横になって観る行為は全然、億劫ではないです。別にそれがとても観たい番組でも何でもないのに、ギターを弾いて歌う方が明らかに楽しいはずなのに、ギターを弾き出すまでが億劫というのは何なのか?と考えていました。おそらく、ギターを弾きながら歌うという行為はテレビを横になって観るよりも肉体に負担をかける行為だとわかっているから億劫なんだという結論に至りました。つまり、楽しいと思っていることでも肉体に負担がかかりそうなことに脳でブレーキがかかって、なかなか、やろうという気力が湧かないということに気づいたのです。

では、ランニングはどうなのか?特に今の寒い時期、外に出るのも億劫です。しかし、ギターを弾くよりも肉体に負担がかかることが明らかなのに、習慣になっています。肉体に負担がかかると脳が判断した行為全てにブレーキがかかり、なかなか、やり始められないというのであればランニングもとっくに止めていてもおかしくないのですが、これは続いています。おそらく、やらなければならないこと(つまり義務)になっているからだと思います。走ることをやめると、食事制限したり、太ったりと、もっと自分にとって嫌なことが起こる。だから続いていると思います。

 いずれも、続けられるのは、やれば楽しいか、やらなければ嫌なことが起こる事ばかり。その行為を始める前より疲れるのは確実だけど、それに足る何かが行為の結果、得られれば、その行為を難なく始められるということ様です。だから、仕事も英会話もランニングも義務的に続いている。そして楽しいことがわかっているギターはたまたま、”やれば楽しいので、じゃあやってみるか”のスイッチが入れば、やれてきているということになります。ところが同じギターでも”作曲”とか”基礎練”はどうでしょう?”作曲”は”面白味”が出てまでに相当、時間がかかるし、機材を毎回セットするのに準備がいるし、TAB譜通り忠実に運指する”基礎練”はスポーツのそれと同じで、全く楽しくはありません。つまり、義務でもなく、楽しそうに思えないことはなかなか始められないということがよくわかります。

 それで話は眼精疲労に戻るわけですが・・”面白い域に達しておらず、努力を要する段階にある勉強”は脳が”肉体的に疲れることはないと信じ込める環境”と”これをやらなければ後が苦しくなると感じる義務感”が必要だと思い、当面、克服すべき疲労は眼精疲労だと思っています。勉強は考える以上、脳は疲れて良いのですが、その前に目が疲れてブレーキがかからない様、PCやスマホに向き合う時間を最小限にしたいと考えています。

ランニング

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もう 15年ぐらいは続けているといると思いますが、私は週4回のペースで5.3kmの距離を走ることを習慣にしています。昔は雨天を除き、毎日走っていたのですが、さすがに50代になってだんだん疲労感も残る様になってきたので、月水金の出勤日は昼食を抜いて、通勤で歩数も稼いで、走ることは控え、在宅勤務の火木と休日の土日の週4回に減らしました。さらに昔は5.3kmを 25分-26 分で息もゼーゼーと上がるほど心拍数をバリバリに上げて走っていたのですが、これが疲労感の主因であることがわかり、今はスロージョグに変えています。以下のコニカミノルタのHPによれば大体、150-160拍/分を維持して走った方が良さそうだったので、Apple Watchのワークアウトで計測しながら走っています。

(URL) https://www.konicaminolta.com/jp-ja/athlete/running/sports_safety/004.html

 長崎はご存知の方も多いかもしれませんが、坂が多い街であり、私のコースもアップダウンが激しいコースです。往路はほぼ登りで折り返しに到着すると、昔はボロボロになっていました。今は心拍数を抑えているので、そこまではないのですが、この心拍数というのはApple Watchが正しく計測できていると仮定すれば、必ずしも息苦しさとは一致していません。呼吸が苦しくなくとも、例えば早朝に起き抜けで走ったりすると走り出しの頃は心拍数だけが一気に170-180拍/分まで上昇していて驚かされることがあります。快調に走っているし、何ともないのですが、一応、用心のためにペースダウンします。想像ですが、ポンプである心臓が頑張って血液を全身に押し出してくれているからこそ、酸素不足にならず苦しくないのではないでしょうか?しかし、一方で心拍数が上がれば上がるほど、走った後に残る疲労感は大きくなることがわかっていますから、走っている間は快調だったとしても、その日は倦怠感で何もできないという状況になれば本末転倒です。

私が走る目的はアンチエージングと体重維持です。やはり、好きな食べ物を制限しなければならないというのは、カロリーを制限すると同時に必要な栄養も不足することになるため、結果、スタミナ不足や老化に繋がります。もう若くないのだから、ウォーキングにしたらと妻からも言われますが、ウォーキングは同じ距離を往復するのに時間が2倍の1時間になりますので、せっかちな私はその30分の時短をどうしても譲れないのです。おそらく、老化で弱る足腰の筋肉を維持し、太らない様にするだけならば、ウォーキングで良いと思うのですが、黙っていても、その時が来ると思うので、走れる限り走ろうと思っています。

 もう1つ心配は以前ほど足が上がらなくなったことによってすり足になりがちで、つまずくことが増えたという事です。骨折するほどではないですが、本当によく転ぶ様になっています。でも、まだ走り続けたいと思う、今日この頃です。