感染拡大行動の特定

コロナの緊急事態宣言発令後に特に若者が、日中の不要不急の外出を控えず、夜は夜で、20:00以降も自粛要請に従わず営業を続ける店に集まっていて、感染者の高止まり状態が続いているというニュースが連日流れています。これとセットで逼迫した医療現場の映像も流され、医療崩壊直前の状態にあり、救える命が救えない状態にあるとも伝えられています。いずれも事実だと思って見ていますが、事実は事実でも、極端な例を取り上げている場合もあるので、それが正しく今の日本を象徴しているのか?は冷静に見ていく必要があると思います。ある若者文化を研究している評論家が、”今の若者に、上から目線で強制する様に、昭和を楽しんできた、おっさん/おばさん政治家がいくらStay Homeと叫んだところで、そこに関心とRespectがない限り、絶対に言うことを聞かない。”と言っていました。私もおっさん/おばさんで、間違いなく、昭和後半や平成初期を楽しんできた世代であり、会社では社会人の若者と接し、大学生の甥っ子と接し、さらにもう一世代下の中学生の娘の世代に接してみて、年々、その”押さえつけの論法”が通らなくなっている事が分かります。Stay Homeだって、お願いであって、法を犯しているわけではなし、自分が動き回る事で感染させていると言う自覚も確証もないので、所詮、白黒はっきりしない世界です。何の根拠があって、我々、若者だけが悪として非難されるのか?と。散々若いころ、楽しんできた世代に、何故、自分たちだけが自粛を強制されなければならないのか?と。自分が20代であってもそう思うかもしれません。真面目に働いている人は特にそう思うだろうし、マスクをちょっとずらしただけで大学共通テストで不正と評価された受験生なんて本当に不運で可哀想だとも思います。国はその行動が感染拡大につながる迷惑行為であることをなぜ、データで示すことができないのか?なんでも可能性があることを、あれはだめ、これもだめと締め付ければ、受ける側のフラストレーションはたまる一方です。個人の行動ルートの可視化を中国ができているならば、日本が自国のテクノロジーでそれも中国よりは圧倒的に少ない人口の特定の世代に対して、それがやれないはずはない。夜の街を楽しもうが、昼間に会食しようが、自由だが、自粛に協力しないならば、あなた方の行動は、逐一、トレースさせてもらうので、スマホに専用のアプリを入れることを義務付けると、なぜ、言えないのでしょうか?エビデンス主義ならば、そのエビデンスとなる仕組みは、きちんと受け入れてもらわなければ、感染源になっていないという証拠もない。これが人権無視とか個人情報の侵害だと言うならば、代案で感染させていないという証を立てるべきだと私は思います。自由は欲しいが義務は、ごめん被ると言う一部の腐った若者を甘やかしちゃいけないですよ。一方で一部の腐った若者がとんでもない行動をしているからと言って、それを若者と一括りにするのは、もっと問題です。我々、大人は、もうちょっと毅然と襟を正して、感染拡大につながる非常識な行動を取る若者を限定的に抽出して、忠告する必要があると思います。私は先日、タクシーの乗りましたが、その運転手さんはおしゃべりで、マスクはつけていましたが、密室のタクシーの中で、道中、ずーっと話していました。彼はサービスのつもりで話していたのでしょうが、こちらは非常に不愉快だった。夜、徘徊する若者と、このおしゃべりな運転手さんは、私の中では全く同じです。感染拡大する行動をする人で括るべきであって、受験でマスクをずらした人と一緒ではない。受験でマスクをずらす事が本当に感染を拡大するのか?という評価の方が先決です。頭ごなしではなく、冷静に、証拠となるデータで諭す必要あるので、感染しやすい行動を特定する仕組みを急いで作って欲しいと思います。その為には個人の行動をある程度トレースし、情報を集めなければ何も始まらないです。

ノート

 ブログで書くのも、おかしな話かもしれませんが、私は手書きが好きで、愛用のMontblancの万年筆で最近、お気に入りになったツバメノートに、今流行りのモーニングページ(モーニングノート)に近い、日々の記録を行なっています。出来事を記録するのが日記ならば、このモーニングページというのは感情を記録し整理するものだと理解しています。思いつくままに、今、心に思ったことを赤裸々に紙に書き出すことでイライラや迷いなどの感情や何かやりたいけどモヤモヤしてどこから手をつけて良いかわからない思考の整理に役立つそうで、モーニングページが流行る前から、実行していたことです。書き殴る様に行などを意識せずにひたすら吐き出す様に書くのが良いそうですが、私はそういうのは、好きではなく、読み返せる程度の字でバランス良く書きたいと思う方で、字が汚いと逆にストレスになります。”ラテの乱れは心乱れ”という名言がありますが、まさしく、日によって、文字のバランスが変わってしまいます。自学するときのノートも同じですが、何度も消すことができるシャープペンシルを使うと、特に理数系のノートは何か問題を解いて閃いたりすると、消した後の黒ずみを含め、本当に汚いです。少しでも、解消しようと、方眼タイプのノートを使っていますが、これが一番、良い様です。マス目1つの中に日本語ならば1文字、英数字は2文字を書くということを決めて、1文字ずつ丁寧に書く。あと10分以内に書き終えなければならない等と制限をつけると、乱れるので、そういう時はできるだけ、書かない事にしています。時間制限のある書き物など、今の時代はないはずで、板書ですら写メで済みます。何かを考えながら書く場合は相当な時間を要するわけで、そもそも、思考中に時間は必要だし、理数系教科の様に、思考の過程で数ケースのTry & Errorを繰り返し書く必要がある場合は、先にノート以外のメモ紙か、雑記用の安いノートに鉛筆で書きながら考え、まとまったところで、まとめ用のノートに丁寧に書けば良いだけで何の支障もないはず。そこでノートには次の5つのタイプがある事に気づきました。手書きが必要なのは、考えてみれば、3項と4項だけで、3項は思考のプロセスノートと言っても良く、ここは手書きの方が良いですが、まとまってしまえば、2項はWordで良いのかなと思います。しかし、自分の思考があっちに行ったり、こっちに行ったりしている過程も記憶として残しておきたいと思うならば、3項をしっかり手書きで清書しても良いかもしれません。4項はこのブログの最初に書いたモーニングページであり、PCで打っても良いのでしょうが、PCでは”じっくりと自分に向き合えず、正直な気持ちに気付きにくい”という人や”読み返した時に、ワープロ文字では何だか味気ない”という人も居るかもしれません。確かにPCはこのブログの様に”人に伝える事を目的にした文章”を書くのに適しており、心を吐露するには役不足かもしれません。今日もいくつかのノートを書くと思いますが、できるだけ1文字ずつ丁寧に書きたいと思います。

1.ただ、何か書き写すだけのノート

これは今はほとんど不要なはずで、講義の板書を書き写している様な場合。

2.バラバラの書籍に書かれている情報を1つに纏め、自分の言葉でわかり易く整理するノート

これは、文理系共通で配置以外は思考が伴わず、機械的に作成できる。

3.2項以前に思考が伴い、疑問点や問題を明確にして、それを解決するノート

(1)文理系共通では、1つの書籍に書かれている内容が理解できない場合、2項に行き着く前にあれやこれや疑問点があり、それらを記録し、別の書籍を調べているプロセスを記録する場合。

(2)理系教科固有では例題や証明等を自分で解いているプロセスを記録する場合。

(3)仕事の場合はアイデアを記録する。

4.自分の感情を整理するノート(モーニングページ)

5.ただ、今日の出来事を記録するだけのノート。

4項と纏めるとプライベートは良いが、仕事の事を一緒に記録しづらいので分けている方が良い。

コロナ緊急事態宣言の根拠

 1都3県(東京、神奈川、千葉、埼玉)に2月7日までの緊急事態宣言が出す方針で決定しましたね。ここ1ヶ月の感染者数の増加傾向から判断すれば已むを得ないと思いますし、私はむしろ、決断が遅すぎたという声に賛成です。テレビで取り上げているので極端な例かもしれませんが、街頭のインタビューに答えている若い人の中には”自分は感染しても重症化しないので、普段通りに外出を控えることもなく、店が営業している限り、夜遅くまで遊びまわっている”と平気で答える人もいて、こういう他人の迷惑を顧みない若い人達には宣言や特措法で縛り、飲食できる場所や時間を制限し、遊ぶ場所を減らすというのは有効だと思います。街に活気がなく、ゴーストタウンの様になってしまえば、出歩く理由はなく、ただ、寒いだけなので、外出する動機や誘惑も減るでしょう。時短の対象になった店や施設には、国や地方自治体は、しっかりと時短による損失をお金で補填する制度の確立も同時に求められると予想し、最低限、そこはしっかりやらないと、成立しないと思います。しかし、私はそれだけでは不十分だと思います。なぜならば、三密にならず、飛沫感染も抑止できる対策が取れるという事で、時短対象になっていない店や施設を利用するお客さんも同時に減るわけで、店は開けている以上は補填もなく、逆に商売にならないからと店を閉めても、国がそれを命じたわけではないから、知らないと言えるとすれば、まるで”へびの生殺し”の様な状態を生む事は容易に想像できると思います。国が求められていることは”一旦、国民全員が不要不急の外出をしなくても良い環境を国が作り、感染拡大をこれ以上増やさない。”ということです。止めたいのは経済ではなく、不要不急の外出です。働く為に普通通りに会社に出勤し、密閉された会社の中で、ソーシャルディスタンスを意識しながらサラリーマンとしての活動を行う事は”不要不急の外出”と言わないでしょう。その人から見れば会社が休業していない以上、出勤するしかないはずなのです。会社自体が休業し、出勤しなくても、生活が保証されているならば、みんな、休みますよ。サラリーマンが毎日、多少、熱っぽく感じてもコロナ判定基準の37℃を超えてなければ公共交通機関を使って出勤している事実があるとすれば、それは感染の原因にならないと断言できますかね?そもそも、平熱は人それぞれですが、何℃を平熱として37℃以上という設定にしているでしょうか?熱は平熱より何℃高くなったかで、その人の体調は決まるわけで、36.5℃でも感染を拡大する人も居るのではないか?と思うわけです。私は長崎に暮らしていますが、徐々に感染は拡大しています。普通のサラリーマンですが、在宅勤務率を上げる努力をする様、指示は出ていますが、仕事に支障をきたす人は出勤して良いという甘めのルールです。Inputでは、むしろ、在宅勤務でネットの調子が悪く、指示された内容を聞き間違え、失敗しましたなんて言い訳をする人の方が問題視されます。また、Outputの方は、ネット環境では相手に伝わらないコミュニケーションしか取れない人もいます。そんな事ならば、出勤して働けというのが会社の指示です。勤務に支障をきたさない事が在宅勤務の条件だからです。本当に飲食関係だけが感染を広げていると言えるのでしょうかね?そういう影響度を特定する分析はやった上で飲食の影響度が大きいと判断するデータがあって、制限をかけているのでしょうか?本質は、店に感染を拡大する様な振る舞いをする客が来ているか、感染を拡大させないという意識が希薄な店があるかのいずれかではないのかと思うのです。遅くまで開けていて良いので席数を制限するとか、ルールを守っていない人を入店させないとか、席数の制限をはじめ、飛沫感染防止やソーシャルディスタンスをとる配慮など、感染拡大を抑止する為の最低限のルールを守らず営業している店は厚労省の権限で閉めさせる事ができる等の特措法で縛った方がより効果的だと思うのですが・・これはこれで人権侵害とか言われるのでしょうかね?経済活動を止めるというのはどうもおかしい気がするのです。止めたいのは感染させるかもしれないという意識の低い人ではないでしょうかね。

サンカ(山窩)

私も最近、知ったのですが、かつて大和朝廷から滅ぼされた、熊襲、蝦夷、土蜘蛛等と言った反体制の少数民族の一種で、サンカ(山窩)と呼ばれる民族が昭和までこの日本の山の中に戸籍も持たずに、生存していたという情報を得ました。同和問題や部落差別問題で取り上げられる、穢多(エタ)や非人の子孫の方々は生まれながらにして言われもない差別を受け、人として扱われない過酷な時代を過ごされた方々も多いと聞きますし、現代でさえ、まだ、特定のエリアに差別問題が残っているそうですが、その方々には、きちんと戸籍はあって日本人として認可されている点で、日本政府のサンカの方々に対する処遇は違います。まず、いつからこの方々が我々、日本人の先祖の系列から外れて、山で独自のライフスタイルや文化を形成して暮らす様になっていたのか?というのは諸説あます。一説には縄文時代の終わりから弥生時代の初期に日本に暮らす人達(あえて日本人とか国民という表現は避けます)の中にフラットな関係の縄文文化から上下関係のある弥生文化に移行できた弥生人と、自然と調和したライフスタイルでフラットな関係を維持したい縄文人に分かれ、弥生人の子孫が我々一般の日本人に、一方、縄文人の子孫が少数民族に分岐していったという説もあります。この分岐点が大きな時代の変わり目において、諸説あり、現代に近いところでは明治維新後という説まである様です。私は色々、情報を見ていく中で、彼らは、サンカではない日本人(弥生人の子孫)と自分たちの獲った物や手作りの生活品を農作物やお金と交換していたという事実があったり、使っている文字はサンカ文字と呼ばれる独特の象形文字で、サンカ同志は全く通じない言語(隠語という説もありますが)で話していたという事実から、縄文人説を信じています。私はこのサンガのご先祖様は、熊襲とか蝦夷の様な戦闘能力の高い少数の弥生民族ではないと思うのです。もし、大和朝廷の脅威になる様な武装集団であったならば、まず、中央政権に従わせる為の交渉があり、交渉の場では、大和朝廷から使者が伝える言葉の意味を解していなければならないし、返答もまた然りです。蝦夷の中には阿弖流為(アテルイ)の様に戸籍を持っていたかどうかは兎も角も、勝者側の大和朝廷が書き残した名前すらあります。つまり、蝦夷や熊襲は我々、日本人の先祖、つまり上下関係のある文化を受け入れた弥生人を先祖に持つただの反政府軍であり、”何か大和政権のやり方が気に食わないから従いたくない”という集団だからこそ、滅ぼされたのだと理解しています。サンカという特殊な言語や文化で戸籍すら持たない日本人が本当に弥生時代から昭和まで生存できていたとしたら、それは毒にも薬にもならない中央政権にとっては脅威でも何でもない民族だからこそ、捨て置かれた結果だったのではないか?と思うのです。分岐点が現代に近づくと今度は使っている言語や文化の面で矛盾が出てきそうです。流石に明治維新が分岐点だと仮定した場合、新政府のやり方に耐えらなくなった江戸時代の庶民が、いきなり山の中で独自の文字や文化を考え出し、自然と協調した暮らしを築いていたというのは考えづらいです。似たような民族にアイヌ民族の方々がいます。しかし、彼らはのルーツはその身体的な特徴から我々、日本人が属するモンゴロイドではなくシベリア南部に多いコーカソイドにあり、明治時代に統制されるまで別の意味で日本人扱いされていないし、地理的にも大和政権や幕府等の覇権もロシアから統制される事も免れたのだと想像します。旧石器時代から現代まで続いている民族という説もあり、ちょっとサンガとは違う理由で生存し続けてきたわけですが、言語や文字が明らかに日本語とは異なり、フラットな関係を良しとする点などは、縄文時代あたりから長らく生存してきた民族という点で共通している様に思うわけです。おそらく、アイヌも日本国の脅威にはなり得なかった為、長く生存したのだと理解します。失礼だなと思うのは、ドロップアウトした日本人がアイヌやサンカのふりをし、悪事を働いた例も多くあった様で、彼らのステータスを落としている点です。戦後になって、目撃例はなくサンガは姿を消したそうです。これが何を意味するのか?アイヌの様に既に現代人に同化した結果なのか?、日本人としても認められず、生活困窮者としてホームレスに紛れて暮らしているのか?密かに政府が集落を襲い、皆殺しにしてしまったのか?きっと自分はサンガの子孫であることを知っていても、明かすことはないと思うと残念です。あの縄文から弥生に移行するときに、現代までの人類の発展があった反面、人がヒト族たる、大事な掟を破り、破壊し尽くしてきたとも思うからです。それを取り戻そうとして、コロナは暴れ回っているのかもしれませんね。スペイン風邪もエイズもSARSも、多めにみてやったが、今度ばかりは愚かな人類を許さないという感じで猛威を振るっている様に私は思えます。

ツバメノートへ転身

 最終的にツバメノートA5サイズに落ち着きそうです。もっとも、インクフローが多く、EFで国産のFの太さのあるLammyでしかも石丸で購入したカクテルインクで書いて、裏抜けや滲みがなく、Montblanc146のEFで引っ掛かりがなく、さらに乾燥も早い。これ以上の紙質のノートはないかもしれません。万年筆ユーザとしては非常に、気に入りました。価格はAmazonで4冊で968円。1冊は30枚綴じで242円なので、60ページとすれば約4円/ページ。一方、LEUCHTTURM1917のA5サイズは1冊 251ページで3,190円なので、約13円/ページ。単純にページ数だけで比較すればツバメノートの方が3倍ほどのコスパの良さです。ですが・・このまま、紙綴じのツバメノートをカバンに入れて持ち歩き続けると、きっと、劣化します。そこでAmazonでCollasaroレザーノートを購入しましたが、Q&Aを見るとA5ノートを収納することができないと記載ありましたので、結局、返品しました。レザーノートとしてリフィルと一緒に購入する必要があった様なのです、好みのレザー調でモスグリーンだったので、非常に良いと思ったのですが、ツバメノートをカバーする事が目的なので残念です。これからカバーだけを購入しに行きます。あとはMonthlyのカレンダーシールが欲しかったので、以下のシールを購入しました。これは既にLEUCHTTURM1917でお試し済みであり、Montblanc 146では確実に滲む事がわかっています。スケジュールは変更が多いのでフリクションで書く方が良いのかもしれませんが、取り敢えず、多色ボールペンで記入していこうと思います。

LEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム1917)

 万年筆でも裏抜けせず、引っ掛かりも少ない程よい綴じノートがないものか?と探していたら、バレットジャーナル信望者の妻からLEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム1917)というドイツ製のノートを紹介してもらいました。妻が持っていたノートに少し試し書きをさせてもらって、これならば大丈夫と確信がありました。イタリア製のモレスキンノートの様に裏抜けせず、フランス製のRHODIAの様に開きにくくなく、日本製のLifeノートの様に裏抜けはないが紙が厚く引っ掛かり易くもない、これぞ求めていたノートだと、急いで長崎の老舗である石丸へ行き、A5サイズとA6サイズの両方を購入しました。税込で5,000円ちょっとでしたかね・・通常は方眼を選ぶのですが、あえて、妻が持っていたノートと同じドットを購入し、来年は、これを使い切るぞとワクワクして家に戻ってきました。まず、小さいA6サイズで試し書きしようと、書き始めたところ・・妻のノートで試し書きさせてもらった時とは違う、何とも文字のバランスが取りにくい違和感がありました。そして、何か引っ掛かりもあります。もっとも懸念していた、裏抜けは流石にないのですが、一言で言うと書きにくいのです。色々考えていると、字を書くときに紙面か机上におくべき右手の小指球(小指を正面から見て左側から下の方に降りた部位)が浮いているのです。A6サイズは紙面が狭いので当然、机上に小指球置いて、右手を安定させて書くべきなのですが、右側の紙面に書く時に何故か浮いている。コクヨの同じサイズのメモ帳で試してみたところ、そうはなりません。わかったのは186ページ綴じられたこのノートの約15mmの厚さに原因がありました。大体同じ大きさのモレスキンノートポケットサイズは6ページ多い192ページで厚さは10mm。この5mmの差が使い始めの数ページの頃は大きく影響し、机上と紙面の差でペンを傾ける事になる為、何か違和感があるのです。自然にペンを立てたくなり、それによって小指球が浮いてきます。新しい事もあって、180°に開いてくれないというのも多少あるのかもしれません。もう1つは紙の硬さです。裏抜けしない紙質である為か、厚くて、ペンが思うように滑ってくれないのです。システム手帳ではダヴィンチのリフィルやトモエリバーを使っているほぼ日手帳を使っていたので、比較的、薄めの滑りやすい紙質に慣れていて、わがままかもしれませんが、ある程度は滲んでくれないとぬらぬら感がなく、文字のバランスが取りにくいのです。これは使っているペンにもよるので一概には言えないのですが、私が使用しているMontblanc146のEFニブのインクフローでは確実に引っ掛かりがあって、ちょっと厳しかったです。と言う事で高い授業料でしたが、このノートは使わない事にしました。でも、時々、思い返した様に使いたくなるかもしれないので、少なくとも1年は保管しておきたいと思います。今日は大晦日で、もう、今日中に来年のノートを決める必要がありので、これから石丸に言って、ツバメノート、紳士なノート、場合によってはコクヨのいずれかを選択し、ノートカバーをかける事になりそうです。

夫婦共働きとは

 お坊さんほどは厳しくはないですが、私にはやるべき家事があり、長年継続しています。妻や娘と私は美意識が全く異なるので、自分が快適に過ごす為に家事を習慣化し、自発的にやる事でやらされ感をなくす様にしようと決めました。家事というのは、妻が1回しか今週、やっておらず、土曜日に遅くまで寝ているのに、何故、自分が3回もやらされているのか?とか言うと、特にフルタイムの共働きの場合は、夫婦関係が上手くいきません。また、勢い余って、自分のセンスで思春期の娘の部屋を勝手に片付け様ものならば、父娘関係も上手くいきません。自発的にやるのだけれど、決して、やってあげているアピールをしない事です。二度手間にならない程度に、さらっとやってしまっている事が大事です。朝、起きると、まず、洗濯物を畳み、洗った食器を棚に片付けます。これは妻がやって欲しいと言ったわけではなく、私が放置されているのが嫌だから片付けるのです。次に猫のトイレ掃除、餌や水の交換です。2匹の猫が何故か妻にはあまり懐かないのは、明らかです。これも、任せておくと忘れる。猫の餌は香りが大事であり、量が入っていれば良いというものではなく、交換する必要があるのです。火金は可燃物、木はプラ+資源ごみをまとめ捨てる。この捨てるは最近、私の在宅が増え、妻が出勤途中に捨ててくれます。掃除は土曜日にリビングと書斎は私が掃除機をかけます。ランニング後はできるだけ古いお湯で風呂を済ませ、2日に1回、風呂掃除をします。この時、排水溝の髪の毛などは彼女たちが掃除する事は絶対になく、ヘドロ状になるまで放置するので、ここも私が掃除します。これに加え、妻が管理職をやっている頃は夕食作りがあったのですが、彼女が管理職を終えた後はお返ししました。彼女は元々、料理とかお菓子作りは好きなのです。時間と余裕さえあれば、私がやる理由は全くないです。すごく、大変だと思うかもしれませんし、遅くまで残業して凌いでいる30-40代では、なかなか難しいものがありますが、私が今の様になったのは、否応無しに40代でそれをやらなければならない環境になったという事が大きいです。はっきり、会社にも共働きと育児の状況を伝え、理解してもらい、できるだけ定時に上がることを許してもらいました。妻には海外を含め一切の出張、一切の残業を断らず、安心して働いて良いと伝えました。むしろ、色々、仕事を選んで不平不満を言う様ならば、みっともないので、会社を辞めて欲しいと言うつもりでした。それは会社に貢献したいという高い志に反するからです。会社も女性活躍とか格好の良い事を言っている建前、じゃあ、お前はクビだともいえず、困惑したと思います。もし、母の申し出に従い、私もめちゃくちゃ残業しまくって、家庭を放置し、全部の家事をやってもらっていたとしたら、おそらく、今、70代後半になってしまった母には相当な負担を強いてしまうことになったのではないか?とも思うのです。妻は私の様に会社と家庭をこなせるほど、器用ではなく、なんでもハマってしまう理系の性格です。私とは考え方が違い、会社に貢献することに、生きがいを持って働いている会社人間なので、じゃあ、どこまでやれるか働いてもらうかという感じでした。私より8年ほど後に入社しており、似たような職種でもあるので、危なっかしいところもたまに見えるのですが、しかし、頑張ったことでそれなりの役職も与えらえ、期待通りに貢献していると思いますし、正社員が二人で稼いでいるので生活は豊かな方だと思います。私は会社などに幸福はないと思って生きてきました。全く、妻とは逆の発想で生活が不安だから、安定した企業で好きでもない仕事をして仕方なく働いているのです。従って、会社から管理職のオファーを受けても一切、受けない。人からは、”せっかくのチャンスなのに、なぜ、受けないのか?給与も上がるし、権利も増えるのに・・”と当時は不思議がられました。そう言ってくる人には”チャンス?じゃあ、君を推してやろうか?社長になれると言うならば受けてもいいが、半端に出世して何が幸せなのか?が今だにわからない。それに今の所得で十分、暮らせる。”と言い切ってきました。頑張りたいとか貢献したいとか言っている妻が頑張ればいいのです。両方がそういう事を言っていると、娘は放置され、家庭はもっと荒れていた思います。夫婦というのは上手くできているなと思います。

コロナ禍 飲食店の救済

 このところ、各地で高止まりが続いているコロナ感染者数ですが、さらに悪いことにイギリスでは変異したウィルスまで発生している様子。今日のニュースではイギリスからの日本への入国は制限はかかっているが、香港に帰国した留学生からこの変異ウィルスが発見されたとか。この留学生がすでにこの変異ウィルスをばら撒いていたら、香港からすでに日本に入ってきている可能性もあります。さて、このコロナですが、テレビ報道では”医療崩壊はもう間近。医療関係者はもう限界です。みなさん自粛を。”と医師団が東京をはじめとする首都圏の人々に訴える映像が流れたかと思えば、その呼びかけによって、自粛している様には見えない街の映像も同時に流れています。また、Go To禁止令が出されたことで観光業や飲食業の方々の落胆し、失望した姿が流れている事もありました。今の時代は新聞やTV以外にネットがありますので、ここにも様々情報があり、その中でもTV以上に過激かつ刺激的な映像が流れることがあるYOU TUBEでは”実はコロナはただの風邪か、悪く見積もってもインフルエンザと同じで、ウィルスが粘膜に付着しているから陽性とし、発症していない人までカウントすれば風邪だってこれ以上の感染者数になり、同じく、三密の中で流行していく。また、基礎疾患のある人や老人から死んでいくというのも必然であり全く同じ。違うのは未知の部分が多く、信用できるワクチンがまだ完成していない事”と楽観的な意見を主張する人もいます。ここ長崎でも日々、0人か一桁の感染者数だったものが、ここにきて30人近くの感染者数にまで増えており、やはり、拡散してきたなという感じなのですが、これが死をもたらす病なのか?というのは、身近に感染者がいない為、よく実感できないというのが率直な感想です。50代の私でも地方にいれば、この程度なのだから、そりゃ若い人に自粛せよと言っても、自分達の生死に直結していなければ、普段通りに行動すると思うのです。菅政権になってから特に経済を回すことの方を優先してきている様に思えるのですが、自粛してくださいの結果がこれです。ちょっと考えて見ればわかる話であり、自粛って自粛であり、罰せられないのだから、特に飲食業は従わない人が出てきます。従わない人の暮らしぶりが特にコロナにも感染せず、良ければ、自分だけが貯蓄を食い潰している状態を真面目に自粛しているのは馬鹿らしいと感じ、さらに従わない人が増えます。そうやっていつまで経っても、普通に営業していれば人は集まります。そこでクラスターが発生し、たちまち、病院が忙しくなります。コロナを優先して受け入れている病院であっても、限られたスタッフでコロナではない重篤な患者さんも診察し、手当をしているわけで、医療現場は逼迫し、医療ミスも増える可能性があります。つまり、救える命が救えないという事になります。感染者が増え、死者や重症者が増え、コロナも収まらないならば、結局、経済も回せないです。つまり、”全国の感染者が一桁になるまで、一旦、経済を止めて、入国も出国も禁止し、それによって稼げない人の生活を政府がまずは1年間保証する”以外にないと思います。例えば、4人家族の1世帯に毎月30万円配ったら、国が破綻するのでしょうかね?日本の世帯数を6,000万世帯としましょう。このうち人を集める場所で仕事をしている世帯を1割としても600万世帯です。1ヶ月間に1.8兆円、1年間で21.6兆円が必要です。日本の飲食店の店舗数は67万店らしく、そこで働く人は437万人というデータがあるので、もう少し減るのかもしれませんが、国の年間予算は102.7兆円ですから、これを1年間だけ143.3兆円にするだけです。もちろん、コンビニや材料を売る市場などは対象外。人が集まるといっても長く三密状態にならない場所は外します。ファストフード、カフェ、レストラン、飲み屋等であり、その中でも出前で凌げる店にはこの30万円を審査の上、支給せず、営業を許すかわり10万円以下の助成金を渡す方針にしても良いのです。まず、一旦、止めて、自己申告してきた人を審査にかけて支給とすれば良いのではと思います。落ち着いてきたら、経済を回すに変えなければ、あまりにも半端すぎます。

労働の価値

ザ・シークレットもページ数で2/3に達し、今は”人間関係の秘密”を読んでいます。一言で言えば、”自分を愛しなさい。自分の魅力に気付いて自身を好きになれば、人から見ても輝いた人になり、人が集まる”という内容であり、まぁ月並みと言えば月並みです。読んでいるうちに、このザ・シークレットの作者であるロンダバーンを調べたくなりました。本の写真では、年齢は30代後半か40代前半ぐらいにしか見えないのですが、ウィキペディア情報が正しければ1945年生まれと記載があったので2020年現在は65歳という事になります。ご存命かどうかも未知の様です。関連記事を色々、リサーチしていたら、”引き寄せの法則で闇堕ちしたリアルな実話-引き寄せの法則に振り回されて”というサイトを見つけました。このサイトの開設者もスピリチュアルなお仕事の人の様だし、単にザ・シークレットを実践して上手くいかなかったから、否定論者になっている可能性もあるので、全部を信用しようとは思いません。しかし、引き寄せの法則の熱烈な信者は”何でも思い通りに引き寄せる事ができる自分は特別な存在であるというエゴの塊の様な傲慢な人間になる”という意見には共感できるし、確かに注意が必要だと思いました。もし、本当に引き寄せの法則が正しく、望むものが次々と自分の手に入ったとすれば、弱い人間はどんどん堕落していくというのは容易に想像できるからです。苦労は少なく、収穫は多い方が良いに決まっていますが、この考え方は日本人にはしっくりきません。武田邦彦先生がブログでおっしゃっていましたが、アーリア人の子孫である現代の欧米人には、その倫理観が受け継がれていて、侵略は善、労働は損、できるだけ調達した奴隷を働かせて自分達は遊んで暮らすのが当たり前の発想が元々、あるそうです。一方、日本人は苦労して収穫することが当たり前で、その苦労するプロセスが人を成長をさせるみたいな、倫理観が間違いなくあります。サボったり、自分だけが楽をしてはいけないという考え方です。ザ・シークレットの作者は欧米人です。そもそも労働や苦労に対する倫理観が日本人の我々とは異なりますから、どこか受け入れ難い、胡散臭いと思うのは必然の様な気もしますし、書かれている通り、実践できたとしても得られる成果は異なるのではないか?と思うのです。ただ、私はそんなに欧米の倫理観を否定するならば、なぜ、日本は明治維新以来、欧米文化をここまで受け入れたのか?とも思うのです。憧れなのか?危機感なのか?あるいは已む無くだったのか?日本から生み出された技術もあるのでしょうが、大元となっているアイデアとか発想というのは、ほとんど、欧米発で、それらの応用とか改良に日本の技術の素晴らしさがあると私は理解しています。逆にアイデアの創出と、それに基づいた初品の華々しいリリースは欧米は素晴らしいが、その後、より精密により実用的に改良し、ブラッシュアップしていく段階では仕事が丁寧な日本人が群を抜いているのではないでしょうか?それは苦労を厭わない日本人にしかできないこと。金持ちになりたいと願いながら、ひたすら努力していたら、その苦労したプロセスによって人間的にも成長できたし、求めた富も得た。これが日本人にとって最高の引き寄せではないでしょうかね?

お金持ち

ロンダバーン著のザ・シークレット(The Secert written by Rhonda Byrne)を貪る様に読んでいます。痙攣性発声障害のリハビリにもなるので音読することもあります。約300ページのうち大体、半分の168ページまで今日の時点で読み終わりました。今日はちょうど”お金の秘密”で非常に身近で、外国の話とは言え、思い当たる事も多く、誰もが、まず、思いつく”欲しい物”でもある為、非常にスムースに頭に入りました。最初にジャックキャンフィールドという作家の話が出てくるのですが、この人の父親が彼に与えた”人生とは苦しいもの”と”お金は苦労しなければ手に入れらないもの”という、一見、庶民の誰もが、信じそうなネガティブな教訓を否定できた彼はその後、この”秘密”を使って大成功するわけですが、その話はちょっと置いておいて、響いたのは、この父親のネガティブな感情です。この感情は”お金持ち=人を騙して儲ける悪人”という彼にとっての”普遍の真理”から出てきているとジャックは語っています。ジャックはお金に関して、常にネガティブな話を、毎日、父親から聞かされて育ち、だんだん、自身も苦難に満ちた道を歩んでいた様で、ある時、実業家のクレメント・ストーンに出会ってから、彼の教えに従い、考え方を変えて道がひらけた様です。この内容を読んだとき、まるで、自分の様だと思いました。振り返ってみても、”食うに困った極貧体験”は思い当たらないのですが、”他人が難なくできている色々なことが、お金がない事で思う様にならなかった”という思い出はあり、そのたびに、お金の話をされた覚えはあります。うちは、もっとひどく”苦労しても手に入らないお金や物はある。贅沢こそ敵である。”に近い精神論が我が家にポリシーとして1本通っていた様に思えます。嫌なことがあれば、会社をやめる様な、お世辞にも社会に適合してスムースに世の中を渡っていたとは言えない父や、とにかく、戦争から戻ったあとは”極貧生活で食うや食わずの生活”を強いられた祖父母のいわゆる”貧乏癖”の様なものが、私が社会にでるまで、蔓延していたのが、我が家でした。ザ・シークレットを読んで、はたと気づいたのです。私は今は豊かな暮らしだと、思っているのですが、この”貧乏癖”の様なものや”お金へのネガティブな感情”はしっかりと父や祖父母から受け継がれ、特に進路に関して娘に悪い影響を与えていないだろうか?と。”求めれば何でも与えれられる様な甘い人生”はあり得ないので、この家をでたあとの君の人生は苦しいことの方が多いのだと、あらかじめ教えておいて、甘えた根性で社会に出て行って苦労しない様にしたいという親心のつもりでしたが、”それは間違ったネガティブな感情で自らが引き寄せた父親である私の人生”の話であり、その感情がなかったら、”求めるものが何でも手に入る、苦労知らずの薔薇色の人生”だったかもしれないという事に気付かされた思いです。それが真実だとしたら、つまり、。ザ・シークレットの引き寄せの法則が真実だとしたら、私は娘に詫びなければならないと思っています。何かこの本に書かれている秘密を実証できる手段がないか?と少しワクワクしながら考えています。