伝えきれなかった思い

 私は大学2年の頃、その頃、高校時代の同級生で何となく付き合っていた彼女の友人の女性を好きになっていました。その人は歯学部の学生で1年後輩で長崎市の出身ではなく佐世保市から来ていました。付き合っていた同級生の彼女とは何となく勢いで付き合ったという事もあって、全くのプラトニックであり、キスすらした事もなく、自然消滅状態でした。一方で、私は、その彼女の友人の事ばかり、毎日、気になっていました。決定的になったのは自分が、当時、属していた軽音楽のサークルに彼女が後輩で入ってきてしまった事です。正直、これはまずいと思いました。いつか、自分の思いは悟られるのではないか?と。まぁ彼女に悟られるのは良いとしても、付き合っていた同級生の事をあれやこれや詮索され、自然消滅にしてしまっている事も咎められやしないか?と気が気ではありませんでした。私は当時、19歳で成人にもなっていない貧乏学生であり、彼女はどう考えても、お嬢様。そのうちに、私より2つ上の医学部の先輩が彼女を口説き始めました。ソアラを乗り回していた、これまた、坊ちゃんの医者の卵にどう考えても勝てる気がしなかったし、当時の自分は相当な奥手でした。非常に酒飲みが盛んな時代であり、特にこのサークルは急性アル中を続出させる様な飲み方をしていましたので、彼女に思いを伝えられないもどかしさを、焼酎を煽り、泥酔する事で誤魔化していました。そのうち、自分たちがライブをする機会に恵まれ、学園祭のトリを勤める事になり、相当、気合いを入れて、挑みました。ところが、そのライブは会場も野外のライブハウス版の様なもので、客と自分達の距離は非常に近く、まともに演奏ができない状態。兎に角、酒は飲まされるわ、ひっかけられるわ、どんどんステージに押し寄せてきて、もっている実力を発揮できずに終わった、最悪のステージになりました。自分としては、こんなに出来の悪いステージはなく、落ち込んでいると、ライブの打ち上げに来てくれてた、この彼女だけが、とても良かったと褒めてくれたのです。上手いとか下手とかいう事ではなく、そのパンクな状態をかわしながら、一生懸命、立ち向かって歌っているロッカーの姿が良かったという事らしく、確かに彼女がやっている音楽もハードロックでしたから、何となくシンクロしてしまったのかもしれません。帰りの電車が無くなり、タクシーに乗れる金も持ち合わせていなかったので1時間ぐらいかかる距離を歩いて自宅まで帰ろうとしていたら、彼女は私を1人暮らしのマンションに泊めてくれる言ってくれたのです。でも、絶対に何もしない約束でと言われました。絶対に何もしないと決めていたので、そのまま眠れず、悶々として、朝を迎え、お礼を言って家を出たのですが、この時、彼女は偉かったですねって言ったのです。これは皮肉だったのか、本心だったのか?今、考えてもわかりません。この後、彼女は全く、私と話す事すらなくなりました。ただ、じーっと私を見ている視線を感じる事は何度かありました。彼女は2つ上の先輩と付き合い、その後、私のバンドのドラマーと付き合いだしました。その間、自分の心は隠してただ見守りました。その後、この軽音楽のサークルの事は黒歴史として封じ込め、彼女への思いを振り切るかの様に死に物狂いで大学院に合格し、卒業して、私は新しい彼女を作り、実家を出ました。彼女も数年遅れて、歯科に勤務医として勤めだしたのですが、どうも実家から1分の歯科に勤務していた様なのです。自意識過剰なのかもしれませんが、彼女は私の思いを知っていて、告白を待っていたんじゃないか?とも思います。私の人生の後悔は2つあり、海外出張中だったため、大好きだった祖父を見舞えず、可愛がってもらったお礼もいえず、死に目に会えなかった事と、この彼女に、本当の思いを伝えきれなかった事です。勿論、私は今の妻が大好きで結婚し、パートナーとしても最高だし、とても幸せです。ですが・・夢にこの彼女を見る事があり、やはり、どこか思いを断ち切れていないと思うと、妻に申し訳ないと思います。彼女は53歳。もう、お互い、初老と言ってもおかしくない年齢です。あちらも家庭がおありになり、どこで暮らしているのかもわかっていますが、訪ねていくわけにも行かないので、偶然にでも会えたら嬉しいと思っています。笑い飛ばしながら、正直に思いを伝えられたら最高ですけどね。

小さな幸せに気づく

 ”全てを手に入れたが、僕は全く幸せを感じなかった。”というのは、矢沢永吉さんがトーク番組で言った名言です。もう1つコンサート後の打ち上げで”こんな美味いビールが飲めるならば、俺、ギャラいらない。でも製作費に金かかるから、ギャラ頂戴。”というのもあります。私は矢沢さんのファンではないですが、この2つの言葉は私の中にずっと教訓として残っていて、幸福とは何か?に答えを出すヒントになっています。一言で言えば、矢沢さんは”欲というのは限りがない。”という事を知り”小さな事でも日々、感謝して生きるべき。”という事をおっしゃりたかったのだと思います。希望した大学に合格し、卒業して、希望する会社に入り、若い頃から欲しくて欲しくてたまらなかった物を働いたお金で手に入れ、大好きな女性にプロポーズしたらOKしてもらって、結婚をし、マイホーム、車、家具・・など、2人の好みを探りながら揃え、やがて、子供にも恵まれる。これだけで十分、幸せです。しかし、この幸せな空間にも、日々、不幸につながる火種は燻っています。ちょっと会社で上司と反りが合わず、イライラして、それを家庭まで引きずり、奥さんにぶつけてしまう。一度ならば我慢もできるが、度重なると、やがて、奥さんも受け止めきれなくなり、限界に達し、爆発。そこで、初めて、可愛かった彼女に鬼嫁の一面を見る。一度、面が割れれば、もはや、隠す意味なし。そういえば、あれもこれも気に食わなかったと、どんどん過去の事を引きずり出し、2人で納得して揃えたはずの生活必需品や家具にまで、”本当は好みじゃないが、妥協してあげただけで、本当はあれが欲しかったのだ”と、難癖をつけだす。甘かった新婚時代から10数年足らずで男女の時期を過ぎ、やがて、子供は反抗期を迎え、全く寄り付かず、勉強にも身が入らない。働くだけでも必死なのに、今度は先生に呼び出され、子供の素行や成績の問題点を指摘される。自分の学生時代と比較して、あまりにも違いが多い為、理解ができず、ついには自分の苦労話や武勇伝を語り、受け流される。幸福の裏には、ちょっとしたきっかけで、この様なマイナスの事象が起こるわけで、それを不幸と言うわけです。登場人物も時代も空間も全く同じなのに、出来事に対する感じ方とその後の言動によって、幸福と不幸という全く違う空間になってしまうパラレルワールドの様です。全ては人間の欲。こんなはずじゃない、もっと、より良い何かがあるという向上心もいい加減にしておかないと、ただの苦行。さらに大事な妻や子供を、その欲に巻き込むなどもってのほかです。あぁ今日も一日、終わった。色々あったが、ランニング行って、風呂入って、ビールでも飲んでくつろぐか・・これが幸せだと最近、つくづく思います。私の晩酌代はビール 1本で250円 /日。赤&白ワイン:1,200円 x 8本/月=9,600円/月で320円/日。合わせて570円/日です。ここにナッツやチーズなどのつまみを乗せても1,000円/日かからない。年金暮らしで、これを続けても、おそらく大丈夫だと思います。会社を辞めたら、昼は図書館か家で好きな勉強や読書をして過ごす。部屋にはギターもあるし、英語の教材も大学の専門書もMacもある。庭に出れば季節で草花が見れる。自宅から15分歩けば自然があり、電車一本 で120円で市街地にも観光地にも行ける。大好きな妻と生意気だが可愛い娘が側にいて、階下暮らす両親が元気ならば、何も望むものはないわけで、十分、幸せだと思う様になりました。

青の主張

こちらの説明を聞かず、質問に答えず、全く、論点からそれた事を先に話出す人がいます。私もまだ修行が足らず、急いでいる時は、その様な応対を特に立場や年齢が自分より下の人に対してやってしまい反省することがあるのですが、20代-30代は年長者の我々でさえ、その様な応対をしている事が多く、それに気づいていない様なのです。私は流石に相手が勘違いしていると途中で気づいても、上司やお客さんの話は最後まで聞いて、その人たちの質問にまず答える訓練はできているので、それはないつもりなのですが、どうも、相手の年齢と立場に関わらず、自分の主張だけを通さないと気が済まない人が多くなってきている様に感じます。勿論、”おっしゃっている事を確認させて頂きたいのですが、こういう意味ですか?”と前置きをして自分の理解した内容を自分の言葉や文章で伝えるならば、相手の言っている事を理解しようと努めて、コミュニケーションを取ろうとしているのだから問題ないです。しかし、こちら言っている事を確認もせず、理解もしないまま、いきなり、自論を展開してくるわけです。年下ならば、まだしも、自分よりはるかに経験の多い年長者にです。これは2つ影響があると思っています。1つは自分の主張を通さないで黙っているのは負けという欧米式教育の影響。もう1つは我々、年長者がパワハラを恐れて反撃してこないという畏怖の念の欠如。欧米式教育は理不尽な論破とか言い合いではありません。ちゃんとディベートの基礎を教え込んだ上で論理的に主張を通す術を彼らは子供の頃から学んでいるのです。日本の大学でそれをゼミか何かで、上っ面だけかじって、真似しても、全く、日本社会にそぐうわけがありません。会社の社風というのは、芸能界のトレンドとは違うのですから、そう簡単にキャリアのない世代だけで変えうるものではないのです。それが国際的に正しいとしたら、もっと、緩やかなスピードで変わるはず。なぜ、それが言えるかいうと、私が入社したころ、国際的には常識となりつつあった現在の会社の文化がうちで定着したのは、20年ぐらいの時間を要しているからです。フレックスタイム、ペーパーレス、テレワーク、ノマド、メール、チャット・・これらは20年前、私が一緒に仕事をした欧米人達は、もう始めていました。その頃の私の職場には、まだ、パソコンもなく、規律を重んじ、罵声が飛び、酒臭く、封建的で、効率の悪い仕事をしており、手書き文字や絵を書ける事が1つの設計者のスキルとして重んじられていた頃です。これでは、スピードも質も日本は欧米に絶対に勝てないと当時は羨ましく思ったものです。しかし、それが当たり前になるのに20年かかった。これが事実です。つまり、今、若者が仕入れた情報で実行したい仕事の効率化やトレンドは今後、定着するのにそれくらいかかる可能性があるという事です。これもはっきりは言えませんが、前例はそういうことです。また、我々のほとんどは、セクハラは相当、気をつけますが、パワハラの処罰は別に怖くないです。愛情を持ってやった事ならば、一応、筋は通せるし、憎しみでやるときですら、絶対に勝てる相手には喧嘩は売らないというだけの話。本気で相手を思って指導するならば、そのくらいの覚悟がないとできないと思っています。しかし、今、そんな気すら起こらないのは、私が時代に追いついていないか、本気になれる若者がいないかのどちらかだと思っています。これも断言できません。でも、どちらかだというのは間違いないです。

オリンピック/パラリンピック

 私は野球やサッカーを始め、あまりスポーツ観戦が好きではないのですが、さすがに、ここまで難航すると、1人の日本人として、東京オリンピック/パラリンピックには触れざるを得なくなります。東京に開催が決定してから、コロナが蔓延する以前から、会場の費用、ロゴの盗作、招致をめぐる汚職疑惑によるJOC 竹田会長の退任、最近では、森さんのセクハラ発言による辞任まで、まぁ、まるで、”東京で開催することを神が拒んでいる”かの様な障害が続きました。何故、よりによって日本での開催年にコロナが蔓延したのか?と、中国のコロナウィルスによる策略的な人為パンデミックまで疑いましたよ。もし、事実ならば、実際に中国もコロナの被害国ですから、オリンピックの開催を阻む為の肉を切らせて骨を切る戦略としては、あまりにも被害甚大と言わざるを得ないのですが、何と言ってもあの人口ですから、その程度の事はやるのではないか?と思ったのです。多分、現実的ではないですが、本当についていないと言わざるを得ない。このオリンピックの主旨は何か?私が知る限り、コロナウィルスを制圧できている前提で海外の選手やお客様をご招待し、震災から復興した日本を世界にアピールする事ではなかったでしょうか?コロナウィルスの脅威が日本または東京に内在している状態でいくら4年に一度しか出場のチャンスがないとは言え、まず、海外の選手達がそんなリスクを犯してまで、来てくれるか?という話です。私が外国人で娘が選手だと仮定して、もし、4年後、自分は出場できるかどうかわからないから日本に行かせて欲しいと言ったら、4年後、出場できる様に努力することに専念し、今回は日本に行かないで欲しいと、説得すると思います。もちろん、自国もそれなりにコロナウィルスが蔓延しているという前提であってもです。外国ではどんな変異種が潜んでいるか、また、それが自分たちにどの様な影響があるのか?全く、未知なのですから、非常に不安を感じます。無理に行って、出場するまでに感染すれば、出場できないばかりか、今度は帰国もできなくなる可能性があります。外国である以上、その国の国民の感染者が優先されるわけで、外国人が、きちんとした設備のある病院へ入院でき、そこで適切な治療や看護を受けられる保証もありません。どう考えても、今の日本に行くことが娘にとって良いことだとは思えないでしょう。そういう感じで、まず、選手が集まらないでしょう。観客はTVを見れば良いのですから、よほどの思い入れがない限り、日本に来て会場で観戦したいと言う人は少なく、チケットの払い戻しになるでしょう。これによって期待する収益は得られないので、リスクを恐れず、ある程度の選手が参加し、無観客で開催できたとしても、おそらく、期待する経済効果は得られず、赤字で実行することになります。さぁ、この約63万枚と言われるチケット減収による赤字はどこから補填されるのか?橋本さんの後を受けた丸川オリパラ担当大臣は明確に東京都が考える事と主張していましたね?彼女の主張は正論で、国は開催都市契約の当事者ではないというのがその裏付けです。小池都知事も言われるまでもなく、その覚悟はあるはずですが、事さらそれを取り立てて釘を刺すのは、私も大人気ないと思いました。ウィルスが蔓延していること、国策によって抑制できていないことに端を発しているのに、この赤字が国に責任がないと言う主張は、私には全く理解できません。東京都が何か国の意向を無視して、単独でコロナの蔓延を拡大したのですか?たまたま、オリンピックの主催都市が東京都だったというだけの話で、東京都は日本国の管理下ではないですか。一丸となって震災からの復興をアピールするのは、東京都ではなく国。それがオリンピック・パラリンピックの目標であった事を、もう忘れているとしか思えません。聖火リレーは一体どこを走っていますか?福島をスタートして日本を走っているのです。契約者がどうであれ、これが国のイベントであることは明らか。なぜ、国は手を差し延べようとしないのか?だから、日本は一枚岩になっておらず、危ういと外国から思われるのですよ。

距離感の問題

このブログで全ての女性を敵に回す可能性はありますが、あえて綴ってみます。最近、つくづく感じるのは、娘、妻、母・・身近な女性の面倒さです。妻は兎も角も、血縁のある娘も母も、ウザいと感じる事が増えてきました。父や弟など身内を含め、男性というのは大抵の場合、間合いを大事にするもので、必要以上に他人の領域に踏み込まない、希薄な関係が多いので、女性というよりは人間同士の距離感なのかもしれません。特に若い頃は、男性でも確かにウザい奴はいました。こいつ、いつまで俺の部屋に居るつもりなんだろう、早く帰ってくれないかな・・という奴です。逆に何も言わず、そばに長時間いても、何となく通じ合い、苦痛ではない人もいます。自分の人生の中に過去2-3人しか居ませんが、こういう人との関係性に距離感は問題になりません。自分は他人にとってそうなり得ないと思っているので、できるだけ距離を保つ様に心がけています。ウザいと思われるのは、辛いからです。話を女性に戻すと恋愛中は適度な距離感があります。ところが結婚すると家族という括りを女性は好み、もう身内なんだからと開けっ広げで付き合おうとしてきます。これは、亡くなった妻の母からそれを言われました。私は、よそよそしく、家族にふさわしくないと言う訳です。いやいや、私はあなた方の家族になったつもりはなく、私の家族を示せというならば、せいぜい、あなたの娘である妻と娘だと考えていますという感じなのですが、何か家族というものを広げようとします。これは義母に限ったことではなく、うちの実母も同じです。しかも、”せいぜい”なのであって、あまり、家族という縛りに共感できないタチなのです。愛がないと言われそうですが、では、一体、その家族とやらは、私にどんな愛を与えてくるのか?と言う話です。まぁ血縁とか夫婦とか言うものほど、曖昧で危ういものはないというのが実感です。私は離婚して今の妻と再婚しているのですが、今まで波風が立つことはあっても、娘がある程度の年齢になるまでは、総じて、今の妻と再婚して良かったと思うことばかりでした。しかし、次第に娘の教育方針で全くそりが合わない事がわかり、さらに、悪いことにこの発声障害のおかげで怒っていると誤解される事が増え、ギクシャクし出しました。これを回避するには、娘にあまり触らず、物言わぬ事しかない為、そうやって距離を保とうとすれば、今度は無関心過ぎる言われます。さらに母親が、この燻りに油を注ぎます。要は娘が思春期で愛想悪く、寄り付かない、昔は素直で可愛かったのに・・と言うのです。なぜ、こんなタイミングで一体感を求めようとするのか?父親の私ですら妻子と一体感が得られず苦慮しているのに、あなた方の事まで知ったことではないと言う感じです。父は娘のこの状況を察し、距離をとってくれています。しかし、私の母は、この状況でも、なお、ズカズカと立ち入ってきます。ここで、妻がさらに不機嫌になるという悪循環。まぁ、たまったものではありません。家の外まで自分の逃げ場を広げる男性の気持ちが最近はよくわかります。私の場合はコロナが緩和されると、おそらく、どこか隠れ家を探すことになると思います。二世帯住宅がこんな危機を迎えるとは想像もしませんでしたが、早く、独立して娘が出て行ってくれないか?と願うばかり。火種は思春期娘と距離感を見誤る母である事は間違いありません。

在宅勤務

 8月お盆明けから今まで約7ヶ月間、週1回の出社ペースで在宅勤務を継続してきました。私の会社は自宅から電車とバスで片道 約45分間かかる場所で、比較的、近いのですが、往復90分間(1.5時間)というのは、今になって思えば、なかなかのロスタイムだったと感じます。6:30-15:30が定時なので、終業時刻は17:00から1.5時間前倒しで、夕方にランニングの時間も十分取れます。16:00から走り出すと、大体、30分後には家に着くのですが、そこから風呂に入って一息つくと17:00過ぎになり、その後、1時間、TOEICに向けて英文法の問題集を30問解きます。在宅勤務だと、会社よりリラックスしているのは確かで、動かない割りに、しっかり、朝食や昼食を採ってしまいます。従って、今は、カロリー過多にならない様、朝を遅らせて10:00ぐらいにパンかカロリーメイトを軽く食べ、昼食の時間はスープ程度にしておきます。こうすることで、朝食の時間はサプリ、青汁、コーヒーだけになり、英語とブログの時間に回すことができます。昨日は昼食の時間がスープだけで余るので、そこをTOEICの英文法の問題集を解く時間に当てました。夕方、整形外科に行く予定だった為、そこからウォーキングに行けば、きっとサボって晩酌する事がわかっていたからです。ウォーキングから戻ったのは17:00前だったので、ここから、あと1時間、何かをやれば、もっと効率的なのですが、17:00を過ぎると悪い習慣ですぐに晩酌モードに入ってしまいます。整形外科の結果は骨もアキレス腱も異常はなく、筋肉に炎症が起こっていただけなので、痛みが引いたらランニングを再開して良いと言われました。話がだいぶん、それましたので、在宅勤務に戻すと・・こうやって通勤時間が節約でき、余計な付き合いの食事などがなくなると本来、やりたかった事に時間が取れるのでお勧めですという事を言いたかったのです。通勤時間を読書や英語のヒアリングに使えば良いじゃないか?という人もいるかもしれませんが、私の場合は、結果としてほとんど集中できていませんでした。風景の変化や人の動きが視界に入ると雑念が入ります。ヒアリングはこういう状況でこそ、より集中力が鍛えられ有効ではないかという意見もあるかもしれませんが、それは英語慣れしている人だけがそう言うのであって、実際は相当、集中して聞かなければ、ほとんど場合、意味は掴めないと私は思います。読書は言わずもがな、雑念が入ると集中できないのは必然です。在宅勤務は周囲の目がないので、サボろうと思えばいくらでもサボれます。個人の裁量に任せても、きちんとOutputが出せる人しか許可されないので、自分も含め、モラル面の意識は高い方だと思いますが、Outputを出そうにも、出せない日もあるわけです。それは、どこかの部署と連携して仕事をしている場合や、自分の部署でも誰かのOutputが自分のInputになっている場合に、相手が期待通りの仕事をしてくれない場合、ガッツリ空き時間になってしまいます。思い切って有給休暇を使えば良いのですが、やはり、私も日本人であり、万が一に備えて、少しは残しておきたいと思いますので、そこは待機になってしまいます。もちろん、正当な理由があるから良いのですが、もう50歳も超えれれば、20代-30代と比べれば、時給も高いわけで、待機とか勉強とか言うわけにもいかず、やはり、生産性のあることをしなければなりません。1つ在宅勤務のデメリットがあるとすれば、自部署の誰が過負荷になっているのか?あるいはどんな知見不足で困っているのか?が、在宅勤務では見えにくいということ。出勤していれば、大体把握できるので、自分の空き時間で困っている人を助けてやることができます。メールが流れてくれば、在宅勤務でも可能な場合がありますが、きちんと上司が取り上げて、正式にサポートの依頼がくるまでは、メールだけで動くと炎上したり、間違った対応をしたりしますので、やはり、ここは指示まちとなります。特に若い社員の場合は、上司があえて、手助けしないことが、本人にとっての勉強という場合があり、下手に手を出せないのですが、その状況が出勤していれば、見えやすい。同じ世代が困っていれば、それは勉強であるはずはない訳で遠慮なく助けるのですが、わざわざ本人から同世代の私に自分からメールで助けて欲しいと言ってくる人は、プライドもあるはずで、なかなかいません。このまま在宅勤務を継続していても、誰も文句は言わないし、私自身が困ることはないのですが、4月からどうするか?悩んでいます。

サントリーサプリメント

 これまで、サントリーサプリメントではDHA&EPA+ セサミンEXを愛飲していて、セサミンEX時代を含めるともう10年以上になります。このセサミンEXはどちらかと言えば、若さとか目覚めの良さとか体力維持などアンチエージング系と言えます。しかし、セサミンEXを飲んでいる途中でこのDHA&EPA+セサミンEXが登場したので、途中でこちらに切り替えています。若さや体力も確かに必要で、サプリで補うことは大事だと思うのですが、何かを行動を起こすにもやる気とか気力の持続だとか脳の方にも気を使う必要があると思ったからです。セサミンEXでは試した事はないですが、効果を再認識したくて、時々、DHA&EPA+セサミンEXをやめてみることがあります。そうすると、私の場合は、確実にRunningや英語の暗記などに影響が出てくることがわかります。しかし、やる気とか根気の様なものが、DHA&EPA+セサミンEXでは少し厳しくなっていることを実感していたところ、オメガエイドが目に止まりました。長期愛用者である私は毎年、誕生日月に1つだけサプリ1ヶ月分を無料で試せる権利があり、今月はその誕生日月なので3日ほど前から試しています。効き目がわからなくなるので、DHA&EPA+セサミンEXは控えているのですが、朝からオメガエイドだけを飲むと気力が湧いてくる感じがします。よく見たことはなかったのですが、気になって、成分を以下の通り、比較してみました。セサミンEXは単価も最も安く、アンチエイジングに効果的なセサミンは10mg、一方でDHA&EPAの方にもセサミンは10mgなので、この効能の差はDHA&EPAの差であり、DHA&EPAの方がセサミンEXより高くなるのは明らかです。従って私の場合、脳に効くサプリを求めていたわけなので、セサミンEXだけでは、そのケアはできない為、乗り換えて正解でした。一方、オメガエイドはDHA&EPAと比較すると、さらに単価も高く、含まれている成分でDHA(ドコサヘキサエン酸)とEPA(エイコサペンタエン酸)はそれぞれ300mgと100mgで同量です。違いはDHA&EPAの方にはDPA(ドコサペンタエン酸):15mg、セサミン:10mgが含まれているのに対して、オメガエイドの方にはARA(アラギドン酸):120mgが含まれている事。このARAというのは肉や卵に含まれる成分でDHAやEPAと同じオメガ脂肪酸の一種。つまり、オメガエイドはオメガ脂肪酸を集めたサプリであることがわかります。DPAはn-3系脂肪酸に分類され、健康を支える素晴らしいパワーを持っている青魚由来の成分としか記載はないですが、DHA、EPAとは異なる脂肪酸です。このオメガ脂肪酸は前向きな気分を維持する事が立証されている様なので、今の私のニーズにあっています。セサミンは捨てがたいので、セサミンEXに戻して、オメガエイドに乗り換えようかと思案しているところです。やはり、健康や気力の維持を優先して投資するのは、私にとっては当たり前なので、惜しいとは思いません。ただ、DHA&EPAとオメガエイドを両方飲むとあまりにもDHA&EPAを摂取しすぎではないか?と心配なのです。

1.セサミンEX(3粒/日) : 90粒(30日分)=4,082円/270粒(90日分)=9,525円

米胚芽油(国内製造)、セサミン/ゼラチン、ビタミンE、グリセリン、トコトリエノール

■栄養成分表示[3粒(1.11g)あたり]

熱量/7.42kcal、たんぱく質/0.35g、脂質/0.63g、炭水化物/0.03~0.15g、食塩相当量/0~0.02g、ビタミンE/55.0mg、セサミン/10mg、トコトリエノール/2mg

2.DHA&EPA+セサミンEX (4粒/日): 120粒(30日分)=5,346円/240粒(60日分)=9,234円

■原材料名

DHA・EPA含有精製魚油(国内製造)、ビタミンE含有植物油、米胚芽油、セサミン/ゼラチン、グリセリン、ビタミンD

■栄養成分表示[4粒(1.66g)あたり]

熱量/11.6kcal、たんぱく質/0.50g、脂質/1.03g、炭水化物/0.04~0.11g、食塩相当量/0~0.02g、ビタミンE/55.0mg、ビタミンD/5.0µg、DHA/300mg、EPA/100mg、DPA/15mg、セサミン/10mg

3.オメガエイド(6粒/日): 180粒(30日分)=5,832円/360粒(60日分)=10,497円

■原材料名

DHA・EPA含有精製魚油(国内製造)、ARA含有食用油脂/ゼラチン、グリセリン、ヘマトコッカス藻色素■栄養成分表示[6粒(1.96g)あたり]

熱量/13.6kcal、たんぱく質/0.58g、脂質/1.21g、炭水化物/0.05~0.13g、食塩相当量/0~0.03g

■機能性関与成分[6粒(1.96g)あたり]

DHA/300mg、EPA/100mg、ARA(アラキドン酸)/120mg

■その他成分[6粒(1.96g)あたり]

アスタキサンチン*/1mg*アスタキサンチンは、ヘマトコッカス藻から抽出したカロテノイド色素です。

頑張ったけど結果が出ないとは?

ずいぶん、空いてしまいました。今回は中学3年の娘について綴ってみます。”試験で頑張ったけど、今回も目標とする点数なり順位なりを達成できなかった”という言葉を何度も娘から聞いています。彼女は私立の中高一貫校に通っていて、このまま高校に進学し、文系志望とは言え、今のまま、理数教科で赤点スレスレの点数を取りまくると退学勧告を受ける事になります。そういうシステムでも頑張る事ができる、医者、官僚、弁護士の卵たちがウヨウヨいる様な学校なので、成績の順位は期待していないのですが、何とか退学勧告は受けずに高校を無事卒業して欲しいと思っています。そういう、崖っぷちの彼女が”頑張ったけどダメでしたってどういう事?”となってしまいます。私の理解では”勉強を頑張ったけどダメだった”ということは経験がありません。余程、試験範囲を勘違いしていたとか、体調が悪かったという様な特殊な事情でもない限り、”頑張った結果が成績に出てこない”という事は経験がないので理解できないわけです。社会じゃないので、誰かに妨害されたり、正論が通らない世界ではなく、ただの中学校です。しかし、妻に聞くと”そういう事もあるさ”と言います。”じゃあ、このまま、勧告を受けるまで、そういう事もあるさでいいんだな?”と聞くと、悲しい顔になります。あまり責めると娘の問題にも関わらず、モラハラ夫と言われるので、口をつぐむしかないのですが、ついていけそうにない、今の私立中学を退学して近所の公立中学へ編入するチャンスはあったのに、娘がそれを拒否して、今の状態になっているので今後どうするつもりなのか?と次のステップについて、聞いているだけなのですが、どうも上手く伝わらない。娘と妻で失敗の傷を舐め合っている感じです。妻は真面目で成績も良かった様で、国立大学に推薦で行けたので、ほとんど苦労はなかったらしく、私から見ていると一生懸命、コツコツと努力している連中を要領が悪いとでも言いたげなムードがあります。それに対して、私の場合は不器用で、1日でも自学を休むとどんどんついていけなくなるので、そういう山掛けで試験を受ける様なことはただの一度もやったことはなく、コツコツ、毎日やるタイプです。勉強はそんなに甘いものじゃないということをよく知っています。だから、どうしても娘の日頃の姿勢を見ていると、甘いとしか思えないわけです。一生懸命頑張るとは朝がきたのにも気づかないし、体重が2ヶ月で15kg以上減少するほど、寝食忘れて没頭することが私にとっての勉強でした。それは中学生にはまだ無理だと妻は言います。崖っぷちというのは普通、満足に眠ることや食事の時間すら制限されると私は思うわけで、それが死に物狂いでやったという事です。ただし、それを別に強制しないし、耐えられないならば、逃げていいよと言って、そこから逃げ出せるチャンスを与えても、今更、公立中学に転入するのは落ちこぼれた様で恥ずかしいと今の私立中学に残ったのも娘の意志なのです。この八方ふさがり、かつ、自分でも気づいているはずの矛盾だらけの状態を”やったけど、今度もダメでした・・”でどこまで逃げ切れるのか?を見守ろうと思っています。妻からは、成績については触れないで欲しいと言われて、すでに2年経ちましたが、結局、幸せになっていない様に見えます。この中学に入学するまで受験勉強は私から、相当、フォローされ、死ぬほどきつかったと思いますが、合格した時に得た感動は大きかったはずです。小学生が乗り越えられた試練を中学生が乗り越えられないことを不思議に思わないのか?と思う、今日この頃。なぜ、そう見てくれだけにこだわるのか?自分に相応しい場所で咲けば良いと言っても理解できないのは何故でしょうね?ただの一度も達成感を得られない学校が自分にあっているはずもなく、そもそもブランド品に身を固め、自分を偽っている様なものです。全く意味がありません。

 

日本企業のパワハラ問題

最近、我が社でも自分と同世代の50代が20代-30代の若い社員から訴えられているケースが頻発している様ですが、たとえ仕事だけの付き合いとは言え、お互いが必要以上に親密になれば、男女問わず、今後、ますます増える問題だと思います。ケーススタディで色々、勉強する機会はあるのですが、正直、現場はそんな極端な例題がいきなり火種になる事はなく、見ている限り、絶えず燻っているという感じがします。50代が20代-30代の意見を尊重するということは、まず、よほどのことがない限り無理です。しかし、パワハラ抑制の基本は相手の立場で物事を考え言葉を選んでコミュニケーションを図る事にありますから、この時点で無理だと思っているのです。誰が考えても多くの場合、その業界においては20代-30代が50代を仕事で指導できる様な組織構造にはなっていません。それは勤続年数が短い中で一生懸命、努力し、実務能力が極めて高い20代-30代が居たとしても、何の努力もせず、時代に乗って上手く生き残ってきた50代にすら、絶対に逆えない倫理観が元々、我が国にあり、そうであれば、企業ではそれに準じた組織運営しかできないからです。つまり、年長者を敬う日本文化が、会社では実力、実績に関わらず長く勤めてきた者を崇拝する倫理観に繋がり、それがパワハラの原点になっていると私は思っています。年長者を敬うのが悪だと言っているつもりはないので、誤解なさらないでください。その国にはその国の倫理観に沿った原因があるはずで、パワハラやイジメというのは永久に人間社会からなくなる事はないと思っています。私の考えとして、ここで述べているのは、日本の企業におけるパワハラの原因です。早い人は18歳で就職し、一応定年の60歳まで勤めると仮定すれば、どんなに頑張っていても、大体、自分の将来が朧げながら見えてくると、どこかでトーンダウンします。経験的には今から約10年前の45歳を超えたあたりでしたが、”もう、いいかな”と思う時期が私にもありました。この”もう、いいかな”は、”やる事は全部やり尽くした、だから、もう悔いはない。”という意味ではありません。”どうでもいいかな”の”いいかな”です。要はもう、自分は”字も見えにくく、無理も効かず疲れやすくなってきたので、後輩に最前線を任せ、どちらかと言えば指導側に回るべきかな”と思うわけです。私の場合は、40代は管理職が多かったので、実務上の責任も負っていたわけですが、それでも、指導が主体であり、現役ではなかったと言えます。最初はこれまで一緒に戦ってきた、当時の30代-40代にはRespectされ、指導もスムースなはずです。まだ、戦士のオーラの様なものが残っているからです。ところが、これが10年ほど経つと、だんだん、”最近、あの人、ほとんど定時で上がっている様だし、一体、何をしているんだ?口先だけじゃないか。”という評判が立ち出します。そもそも管理や指導に残業を良しとしないムードがあるので、やりたくてもやれない状態になります。当時、一緒に働いていて、自分をRespectしてくれていた30代-40代はそれぞれ40代-50代になり、もはや、指導する立場。指導とか言っても、実務を教える相手はいません。現場の方はだんだん、20代-30代が主力になって、声が届きにくくなります。インフラもシステムもどんどん便利になり、使い方を知らない50代が下手に触ると仕事の邪魔になり兼ねません。現役の手伝いもできないということになります。昔ならば、年金も十分ならば早期退職するか、あるいは、55歳ぐらいで、協力会社への出向し、バイト程度で食い繋ぐ手もあったのでしょうが、それを選択できない年金事情もあり、65歳まで雇用を延長する道を選ぶ人がほとんどです。つまり、職場を変えずに何か仕事をしなければならない為、20代-30代と接さない仕事だけをやり続ける事は、ほとんどの場合、無理です。身内でもない20代-30代はもはや、息子、娘の年齢であり、文化も言葉も違う為、毎日、仕事上の付き合いとは言え、言葉使いや態度に違和感を感じるはずです。実は自分も若い頃、同様に当時の若者では常識とされている言動をとって、散々、ベテランに怒られた経験があるわけで、その経験があったからこそ、今、こうして生きながらえていると考えると、注意をしたくなります。ここで失敗するのが、”当時の自分の怒られ方を今の若者に対して再現してしまう事”です。注意はしていいのですが、その言い方がパワハラになりかねない。もっと言うとパワハラになりそうな注意しかできないという事です。違和感=この野郎・・になってしまいます。注意された若者は、そんな怒られ方を親でもないアンタから何故、僕がされなければならないのか?という思いはあるが、いまだ年功序列の日本企業では、都度、その不快さを発した相手に伝えても良い企業環境ではない。耐えているうちに、鬱になるか、匿名の告発と言う形になるのだろうと思うわけです。若者の問題でなく、年金または関連企業への再就職の問題のいずれかを解決しない限り、日本企業のパワハラ問題は無くなりません。親子ほど離れた世代が一緒に働く職場環境が、そもそも、今は通用しないと言えるのですから、互いが密に接さずに1チームでOutputを出せる環境に変えなければ、改善しません。では指導や技術を伝承できないではないか?という人もいるかもしれませんが、それは、今はVRもSNSもあるのですから、いくらでもできますよね?再雇用という形態は、やはり、考えものだというのが、私の意見です。再雇用で残ってくださいと若者から求められる人だけの権利としてはどうでしょうか?

 不登校

 1回目の緊急事態宣言の頃は、なかなか夏休みが終わらず、やばいと思った頃もありましたが、今のところ、娘は不登校ではありません。私立の進学校なので成績は相当悪いですが、それでも学校は好きだと言ってくれます。昨日、BSスペシャルで不登校とフリースクールの番組をやっていましたが、そこに出てくる子供たちは、”こうなってしまうのは仕方がない”と思える”教師や周りの生徒からの濡れ衣”やそこから発展した”いじめ”がきっかけになっている子供達もいれば、”どう考えても、本人が甘えているだけで、それを親が腫れ物にでも触るように扱ってきた結果ではないのか?”と思いたくなる様な子供達もいました。私は、特に、小学生の姉弟を不登校の子供として抱える家庭が非常に気になりました。お姉ちゃんは完全に被害者で、やってもいない悪事をやったと教師からも同級生からも言われ、もう何もかも嫌になったパターン。一方で弟は”僕がやりたい様にやらせて欲しい”と主張し、どう見ても親が甘やかした結果でこうなったパターン。特に、この弟は2−3年生だった記憶していますが、一日中、ゲームとYOU TUBE三昧で、このままではこの子の為にならないと冷静に話し合おうとした父母に向かって、”ねえ、話は終わった?ゲームしたいんだけど・・”という豪傑さ。強制されるのが大嫌いというわけです。これに対して児童心理学を専攻していたと思しき、何人かの教育の専門家がでてきて、”子供の自発性に任せるべきで、不登校は今や悪ではない”とまで断言していました。確かに文科省は”不登校の子も認め、彼らが教育の機会を失わない様、フリースクール等、学校以外の居場所を認める法律”として2017年に教育機会確保法というものを制定しています。この番組に出てきたあるフリースクールではそこに居るスタッフは勉強を強制しないし、積極的に勉強を教えないポリシーで、子供たち自身に計画を立てさせた上で、やりたい事を自由にやらせる様なシステムでした。その中から興味のある分野が出てきて、子供達自身が自分にマッチした進路をそれぞれ見つけ、自発的に必要な教科や学校を選択して勉強しだすということらしいです。正直、このお姉ちゃんの様な子供には最適だと思いましたし、良いシステムだと思いました。私は古い人間ですが、私自身がそういう性格なのでよくわかります。教師に教えられて良かった勉強は何1つないと断言できます。教師に教えられたのは、勉強や部活に向き合う姿勢やテストや受験に向かう精神力、そして、その教師のもつ魅力によって、自分もあぁなりたいという一人のお手本となる人間像の様なものです。絶対に勉強は自分の力で、独学やるべきものだという考えは社会に出ている自分の中でいまだに根強いし、仕事にもそのポリシーは生きています。つまり、学校は学科を学びに行く場所ではなく、社交性を含む人間形成の場所であり、学科を学ぶだけならば、自分で教科書や問題集を使って学び、補完として塾に通えば十分です。そういう意味でこの教育機会確保法というは、的を得ていると感じます。不幸にして義務教育期間の学校では勉強や部活どころではなく、いじめ等で負のスパイラルしか与えない場合だってありうるわけですから。我々の学生時代は、その逆境に耐えてこそ、人間は強くなるし、それが、社会で生き延びるために不可欠とされてきたわけですが、私はそんな事は絶対にないと気づいていました。教師や親も人間ですから、自分が不機嫌な場合にそういう根性論とすり替え子供に暴力を振るい、暴言を吐いてはけ口にしているということはそのあたりのつっぱりと同じく、ありうるということに早くから気づいていました。だから、安心して自分の目指したい道を目指す事ができない学校ならば、フリースクールは絶対にありだと思い、システムには賛成です。ですが、一方で、この弟の様なケースに対してどうでしょうか?自分のやりたい事を自由に続けていられる世界がこの世にあるかという話になりませんかね?この様な子が自発的に何かに目覚め、俄然やる気を出すとすれば、それは自分が大好きなゲームやYOU TUBEの何かでしょう。しかし、その世界で飯を食うプロになるということと、ユーザとして楽しむということは、全く別の話です。もちろん、小学校低学年にそんな理屈がわかるはずはない。つまり、一旦、強制力を持って王道に戻してやる必要があると思うのです。親が説教している最中にその長い話はいつ終わるのか?と顔色1つ変えずに質問する子供が、正常な躾をされてきているはずはない。この子は上司や先生に対しても同じ事をいうのか?と言えば、そんな事はないはずで、親だから甘えているわけです。親に甘えて学校に行かず、親もそれを容認している。学校が学びの環境に最適でないわけではなく、機会を失っているわけでもなく、学ぶ気がないわけです。こんな状態で不登校になっている子は、引っ張ってでも学校に押し込むべきだと思います。そこでどんな反応が出るか?をよく見てから、不登校扱いすべきではないですかね?色々、苦労はあるのでしょうが、それはどの家庭にも、それなりの苦労があります。正直、この親には甘さと憤りを感じ、こんな子供を、絶対に、そのまま社会に出してくるなよと思いましたね。