放任主義

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 高校生の娘が1人いますが、私はあまり彼女を干渉しません。夜、彼女が遅く帰ってもすでに寝ていますし、この時刻より遅く帰ってきてはいけないと妻から一応の門限を提示されているにも関わらず、それを破るわけですから、何があってもそれは自己責任です。私は娘が自分の責任でやったことで失敗しようが、死のうが、それは運命だと思っています。しかし、彼女を産んだ母親である妻の愛情は全く別の話であり、それは父親の自分のそれとは比較にならないほど深いです。妻も働いているのですが、働いていながらも気がきではない。私は妻より早く上がって家にいることが多いですが、仕事が終われば自分の時間を楽しんでおり、門限を守らず遊んでいる娘など知らんというわけです。じゃあ、高校生である18歳までは心配すべきだが、20歳以降は心配しなくても安全だという保証はどこにあるのか?という話なのです。16歳で中学卒業して働いている子もいれば、母親になっている子もいる。その子たちが県外や外国で暮らしていたとしましょうか。どうやって夫婦でこの子の安全を守ってやれるのか?18歳未満は両親が安全を守る義務があるんじゃなかったのか?じゃあ、学生の間だけ守ってあげるというのは理屈としておかしいでしょ?というのが私の理屈であり、彼女を放任する理由です。私は彼女には自分の身は自分で守れる様になれと言い続けています。運が良ければ、他人が助けてくれるが、普通、他人が自分の為に血を流して守ってくれることはありえないと教えています。言い換えれば、自分で自分を守れないような、危険なことはするなということを教えています。これだけ言っておけば、娘の帰宅時刻は問題ではなく、彼女が自分で身を守れるのか?という本質的な問題であることに気づくはずですが、まるで門限を守らないことが問題であるかの様に騒いで事を荒立てる方が私はおかしいと思っています。娘が死ねばそれは悲しいが、交通事故で死ぬこともあるし、殺されることもあるわけで、それは全て彼女の過信がもたらす失敗であって普通は守り様がないことばかりです。

もう1つは娘が勉強をしない問題。

”自分はこの大学に行きたいが自分の今の学力はこのレベルなので、より勉強をしなければならない。特にこの教科が弱いのでより時間をかける必要があるし、場合によっては塾に通って補強する必要がある。”

高校生が勉強をする理由について、私はこれ以外の理由を思いつきません。では、勉強をしない理由は何でしょうか?まぁ、聞けば、きっと、色々、並べてきますよね?それもやらない理由ではなく、できない言い訳をしてきます。この言い訳の元は簡単で、色々言っているが、

”勉強で苦労はしたくないが、試験には合格したい。合格したら、親に束縛されることない県外の大学でキャンパスライフをエンジョイしたい”

という都合の良い、願望に尽きると思います。もちろん、私の学生時代は違っていたと言うつもりはなく、私も彼女と同じでした。しかし、経験上、そんな都合の良いことは起こらないので、娘には地道に勉強をする様に言っていますし、結果は定期考査や模試に現れるので、そのテストの点数や番数が下がれば、どんなに時間をかけようが正しい方法で適切な時間をかけて勉強やったとは評価されないと伝えてきています。したがって、テストの結果が下がり、目標とする大学に落ちることは自己責任であって、親はどうする事もできません。もっと、しつこく起こしてくれれば遅刻せずに済んだのにと親に逆ギレする子供がいますが、あの屁理屈と、もっと、親がしつこく言っていれば志望校に落ちることなかったのではないか?という屁理屈は、全く、同じことで、親がしつこくフォローしようがすまいが、合否は結局は本人次第なのです。

これら当たり前のことに対して、私は正しい道を伝えた後、娘がその道を進もうが、外れようがそれは娘次第であり、我々の問題ではないと周りには公言しています。これに対して私の両親も妻も私を放任主義が行き過ぎた父親だと見ている様で納得いかない様子。これが来年も大きな課題になりそうです。私は自分が親の言いつけを守らず、失敗したということはあっても、そこに親を巻き込んだ覚えは全くないため、私にはその不満の意味が理解できないのです。

定年後の生活

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 あと5年で定年です。それまで、目立たなくて良いので、人に疎まれることなく、世話になった会社へ奉公できれば良いと思っています。若い頃は、現場(海外現地)や工場が多く、コンプライアンスなども今ほど煩くなく、サービス残業は当たり前。45歳までの20年間は、上司に命じられるまま、あくせく働いてきたこともあり、体を壊しました。それ以降、あまり出世とか、必要以上の金には興味がなく、共働きで子供も娘1人しかいないので、健康管理とプライベートの方に軸足を移して、あまりストレスを溜めない働き方をしてきました。そういう意味では定年後に何をするか?に悩むことは絶対に無いと断言でき、早く退職をしたいと思っている人間の1人です。

 ゴールを迎える直前や迎えた途端、まるで役目を終えたかの様にあの世へ召される人を何人か見てきましたが、こんな残酷な人生もないと思います。もちろん、家族のために働くというのは、それなりに意義のあることだと思いますが、それが人生の全てなのか?と僕は思うのです。定年して時間ができたら、旅行でもして、家も改築して・・・なんて、私の年金と退職金では、そんな壮大な冒険ができないことは明らかです。しかし、健康でありさえすれば、今の様に軽いランニングで汗を流し、お手製のイタリアンをワインで味わい、食後のTea Timeを妻や娘と会話楽しむとか、英語学習や自身の専門である自動制御の研究等、学会に属しながらの知的生活を続けることとか、あるいは作曲やブログなどの創作活動も今まで通りにできます。おそらく、僕の定年は、そんなに退屈ではなく、小遣い上限を50,000円/月として過ごすアイデアを考えることで、1日はあっと言う間に過ぎる思います。

 これが昨年まで僕が考えていた定年後の理想的な知的生活の迎え方でした。しかし、最近は本当にそれが良いのか?と思う様になりました。記載している通り、仕事を辞めても、やることはたくさんあります。しかし、一方で、全部、1人できることばかりであり、全く、他人と接することのない生活になります。娘が進学や就職して他県に出ていけば、会話するのは両親と妻だけです。さぁ、そんな生活を続けた場合、ランニングなどの適度な運動は継続でき、サプリを愛用できたとして、今の若さを維持することができるでしょうか?芸能人が実年齢より若いのはメイクさんやスタイリストさんがついているからだけではなく、やはり、人に見られているという緊張感が若さの源になっているといいます。他人に接していれば、面倒臭くても、清潔感に気を使うし、おしゃれにもなります。もし、若さを維持するために他人との繋がりを求めて、サークルや団体に属すと、働いてもいないのに、余計な出資が伴います。そうであれば、疎まれない程度に今の仕事を続けるというのが最良の選択肢ではないか?と思うのです。知的生活のために気力や体力は残す必要があるので、適度な働き方が求められます。一方で、適度な働き方をするロートルほど、使い辛いはずなので、そこは注意しなければなりませんね。